のろ)” の例文
手紙の文句はプツリときれてをりますが、その意味は邪念に充ちて、まづい假名文字までが、のろひと怨みに引きゆがめられてゐるのです。
この両の手が血で赤くなった時を想像して見るがい。その時のおれは、己自身にとって、どのくらいのろわしいものに見えるだろう。
袈裟と盛遠 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして男をのろうています。男は女を捕えました。無理に引っぱってがけのそばに行きました。……あゝあぶない。……(叫ぶ)あッ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
なんじ女房こそのろいの悪魔である如くギラギラ光る目でジロリと見て、フトンをかぶったり、腕組みをしてソッポを向いたりしている。
オモチャ箱 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
Kはうなずいてみせ、単調で無意味なはしゃぎかたをどうしてもおさえられないでいるあの行員のカミナーのことを、心ひそかにのろった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
博士は、私の一語一語に、顔を赤くして、ドイツ軍をのろっていた。しかし、私に対しては、思いのほか、不快に思っていないらしい。
人造人間の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
てつきり持逃げされたなと思ふと、基督は楊の木をのろはずには居られなかつた。それ以来その郊外には楊の木は育たなくなつたさうだ。
生れつきとはいえ、このように頑な性分を、どんなに自分はのろい憎んだことだろう。杉乃はこう云って、両手でかたく顔をおおった。
竹柏記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二人の運命を想いやる時には、いつでも羞かしい我の影がつきまとうて、他人ひと幸福さいわいのろうようなあさましい根性もきざすのであった。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
つまり孰方も別れた方がいいのを知りつつそれだけの勇気がなく、ただ自分たちの弱い気質をのろっては当惑している状態にあった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
国境の山の線を、のろいにみちたひとみがじっと振り仰いだ、もうその辺りの中国山脈の脊柱せきちゅうは灰色の夕雲に、まだらになって黒ずんでいた。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなたのようなかたが不幸にばかりおあいになるわけがありませんわ。……わたしは生まれるときからのろわれた女なんですもの。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
と、いいかけたとき、久しぶりに旧師と邂逅かいこうして、和らぎに充たされた若者の面上には、またも苦しげな、のろわしげな表情が返って来た。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
はずかしながらわたくしは一神様かみさまうらみました……ひとのろいもいたしました……何卒どうぞそのころ物語ものがただけ差控さしひかえさせていただきます……。
俺には何一つ希望のぞみはない! 俺はいったいどうしたらいいのだ⁉ ああ俺は恋をのろう! 俺はあらゆる幸福を呪う! 俺は人間を
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お神はそう言って涙をいたが、昏睡こんすい中熱に浮かされた銀子は、しばしばのろいの譫言うわごとを口走り、春次や福太郎がそばではらはらするような
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そうして彼の持ちきたした金策談に耳を傾むけた。けれどもい顔はし得なかった。心のうちでは好い顔をし得ないその自分をのろっていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうして彼には自分の考えと感情とが、毒悪と憎怨とに制限されているのではないかと、のろわしく思われないこともなかった。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
どこの屋敷のいらかもゆうぐれの寒い色に染められて、のろいの伝説をもっている朝顔屋敷の大きな門は空屋のように閉まっていた。
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
肉身をのろい滅ぼしてかえって痛快を叫びたいお銀様が、どうして、弁信一人ぐらいが、つこうとも、離れようとも、心にかけるはずがない。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
蛇はのろいであり、豚は穢れです。モーセの蛇によって十字架を連想するごとく、ゲラセネの豚によっても私どもは十字架の呪いを思います。
そしてどうしてわたくしには、こう孤独な寂しい人間ばかりがかれて来るのかと、おのれの変な魅力がのろわしくさえなった。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
やう/\あきらかなかたちとなつて彼女かのぢよきざした不安ふあんは、いやでもおうでもふたゝ彼女かのぢよ傷所きずしよ——それは羞耻しうち侮辱ぶじよくや、いかりやのろひや
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
如何いかなる場合においてもそれは好かない。そんなことを云ふと随分笑ふ人もあるだらうけれど、我輩の手はのろはれた手なんだ。
椎の若葉 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
綾子が尾張屋を抜け出したことが確かめられてから三日目の夜、又しても恐ろしいのろいの影が、取り残された三人の上におそいかかってきた。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼は、クリストフのように、自分の不幸をのろい、不幸の原因たる彼女を真正面からののしる、などというすべを心得なかった。
骨がらみにでもなってしまえとのろう一方、あの照子となら、ほんとに世帯を持ちたかったのだと俺は悲しくなるのだった。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
が、家庭の中では、母・妻・乳母おもたちが、いまだにいきり立って、そうした風儀になって行く世間を、のろいやめなかった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
いつ自分達のそばで戦争をして、流れだまがとんで来るかしれなかった。彼は用事もないのに、わざわざシベリアへやって来た日本人をのろっていた。
(新字新仮名) / 黒島伝治(著)
彼が謳歌おうかした後年の日本資本主義のための最ものろわしきいっさいのものを夢にも知らなかっただろうところの、タイクン政府通訳官福沢諭吉氏は
咸臨丸その他 (新字新仮名) / 服部之総(著)
私にもその瞬間それに似よつたものがきざしたのは事実である。父や継母をのろひながらもの叔父を見ると「父の敵」と云ふ感じを直ぐ私は感じた。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
健在すこやかなれ、御身等、今若、牛若、生立おいたてよ、とひそかに河野の一門をのろって、主税はたもとから戛然かちりと音する松の葉を投げて、足くその前を通り過ぎた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
美奈子は、夜が近づくに従って、青年が自分の存在を、どんなにのろっているかも知れないと思うと部屋にいることが、うにも苦痛になって来た。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ある者はド・メェーストルのごとくそれを讃美するであろう、またある者はベッカリアのごとくそれをのろうであろう。
圧制家デスポト利己論者イゴイストと口ではのろいながら、お勢もついその不届者と親しんで、もてあそばれると知りつつ、玩ばれ、調戯なぶられると知りつつ、調戯なぶられている。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
多時しばらくかどに居て動かざるは、その妄執もうしゆう念力ねんりきめて夫婦をのろふにあらずや、とほとほと信ぜらるるまでにお峯が夕暮の心地はたとへん方無く悩されぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ちょうど雷雨季らいうきがやって来た。彼等は雷鳴を最もおそれる。それは、天なる一眼の巨人きょじんいかれるのろいの声である。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
どんな危険なことでも、あののろわれた岸へ戻るよりはましだったろう。その恐ろしい荷を投げ棄てると、その犯人は市の方へ急いで漕いで行ったろう。
生白い男体に僧衣をまとってのろいに来たのだが、お前の一念がこの鐘を鋳上げたばかりに、己の指の爪という爪にもありがたい仏身の力がち満ちて
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
こめのろくれんと三郎兵衞の人形ひとがたこしらへ是へくぎうつて或夜三郎兵衞が裏口うらぐちよりしのび入り居間ゐまえんの下にうづめ置是で遺恨ゐこん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そしてただ、私達をこうした境遇におとした父と叔母とをのろった。「あいつらは今に罰が当って野垂のたじにするよ」
したがって、自己おのれの生活に対して、何の懺悔さんげも、反省もなしに、ただいたずらに世をのろい、人をうらむことは、全く沙汰さたの限りといわざるを得ないのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
てん恩惠めぐみかさね/″\くだり、幸福かうふく餘所行姿よそゆきすがた言寄いひよりをる。それになんぢゃ、意地いぢくねのまがった少女こめらうのやうに、口先くちさきとがらせて運命うんめいのろひ、こひのろふ。
父親は娘の前途をのろっただけで、行方ゆくえを捜索しようともしなかった。家の中はいよいよ落莫らくばくたるものになった。主人の吝嗇りんしょくはますます露骨になってきた。
どうせ他人なら遠慮はいらぬ! あくまでも左膳をのろって、いっそあの人の何もかもをめちゃくちゃにしてやれ!
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
実に根性のまがったいやな奴らだ。いっぺんったら後を引くし、もし遣らないと、のろったりくだらぬことを言いふらしたり、色んな仕返しをはじめるんだ。
富籤 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
そしてそれ等の振舞がのろわるべきであることを語って、私は自分の善良なる性質を示して彼女に誇りたかった。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
人は上下にかれ貧富に隔てられた。のろいを以て語られる資本制度は、その帰結であった。事実が示す如く、工藝美の衰頽すいたいと資本制度の勃興ぼっこうとは平行する。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
われ星に甘え、われ太陽に傲岸ならん時、人々自らを死物と観念してあらんことを! われは御身等をのろふ。
地極の天使 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
と極度の疲労のため精神朦朧もうろうとなり、君子の道を学んだ者にも似合わず、しきりに世をのろい、わが身の不幸を嘆いて、薄目をあいて空飛ぶからすの大群を見上げ
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)