つまづ)” の例文
人間はすべてつまづき、すべてが絶望の苦悩を持つてゐるものであると、伊庭は云ふのである。どの人間も、絶望は長く、喜びは短い。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
馬車あまた火山のあなより熔け出でし石を敷きたる街をひて、間〻馬のその石面のなめらかなるがためにつまづくを見る。小なる雙輪車あり。
からかみを開けたも知らぬ。長火鉢につまづいたも知らぬ。真暗で誰のだか解らぬが、兎に角下駄らしいものを足に突懸けて、渠は戸外へ飛出した。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「娘は路地の外で殺されてゐたのを、一足おくれて歸つて來たお袋が、つまづいて氣が付いた、まだ月は出なかつたし、昨夜は自棄やけに暗かつた」
花桐は殿中から下がって来る長い渡殿わたどのの歩みのあいだに、胸がみだれてくることを感じ、歩みも、せかせかと悲しく不意につまづきさえしていた。
花桐 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
八つばかりの女の子が七面鳥に追ひかけられて逃げ切れずにつまづいたあとから、例の七面鳥がその兒の足をつついたのである。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
やがて未練みれんらしく立留つて見たが、男の追掛けて來る樣子はない。先程つまづいた松の木の梢に梟か何かの鳴く聲がしてゐる。
或夜 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
お信さんは更に続けて言ひかけたが、その時突然石段につまづいて、あはや前にのめりけようとした。丁度坂の中途だつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
こちらの方はこれで良いとあきらめていた矢さきの折だっただけに、梶はまだ断ち切れぬ糸も感じて、ふとつまづくよろめきに似た思いもするのだった。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
大理石のつまづいたり、壞れて落ちた蛇腹じやばらの破片に引つかゝつたりし乍ら。肩掛にくるまり乍ら、まだ私は見知らぬ赤ン坊を抱いてゐるのです。
彼女は男と女との違ひはあつても、神谷のあの、ものにこだはらない、つまづくことを気にしない、転んでも平気で起き上る身軽さを羨ましく思つた。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
一寸ちよいとつまづいても怪我けがをするのに、方角はうがくれないやまなかで、掻消かきけすやうにかくれたものが無事ぶじやうはづはないではないか。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
脚の弱つて居た田中は、つまづいて前へ倒れた。余り急に、姿勢を転じたので、騎兵は馬もろ共横に倒れた。還幸の行列は桜田門を指して粛々と進んだ。
政治の破産者・田中正造 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
あがけばつまづき、躓いては踠き、揚句あげくに首も廻らぬ破目はめに押付けられて、一夜あるよ頭拔づぬけて大きな血袋ちぶくろ麻繩あさなわにブラ下げて、もろくもひやツこい體となツて了ツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
旅魚屋の傳次は本堂へ出ましたが、勝手を知らんから木魚につまづき、前へのめるはずみに鉄灯籠かなどうろうを突飛し、円柱まるばしらで頭を打ちまして経机きょうづくえの上へ尻餅をつく。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私はこれまでに随分長く、又随分多くさうした若い鍛練せざる心のつまづいたり、倒れたり、裏切られたり、空中楼閣のやうに土崩瓦解どほうがかいして行くのを見た。
エンジンの響 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
最初の一手ぐらゐでつまづくやうな坂田の将棋ではない、無理な手を指しても融通無碍ゆうづうむげに軽くさばくのが坂田将棋の本領だといふ自信の方が強かつたのだ。
聴雨 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
君が私と同じつまづき方をするなんて思ひも寄らない。女を愛さない君が! (中略)美は自分の不測の力の影響についていちいち責任を負つてゐる暇がないんだ。
なんでも井戸浚さらへの時かで、庭先へ忙しく通りかゝつた父が、私の持出してゐたくはつまづき、「あツ痛い、うぬ黒坊主め!」と拳骨を振り上げた。私はかつとした。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
科学は政策に光明を与え、政策の方法を正しからしめ、その行手を照し指示する。科学の援助が無ければ、政策は一歩ごとにつまづきながらよろめき歩むことしか出来ない。
何方どつちへ行つても、見覺えた道へは出られなくつて、まご/\してゐるうちに、足は疲れて眠くもなつて、木の根につまづいて打倒ぶつたふれたまゝ、前後も知らず眠つてしまつた。
(旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
お專は見ておまへすそに血が付て居るは如何なされしやと問はれて傳吉はおどろきながら打返うちかへして見れば裾裏すそうら所々に血の付て居る故是は不思議ふしぎなる事かな昨夜河原にて物につまづきけるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
アメリカである百姓の飼つてゐる牝牛めうしがものにつまづいて、脚を一本折つたことがあつた。百姓は人間ですら義足が出来る世の中に、牝牛に義足の出来ない筈はないと考へた。
赤土の道では油断をすると足をすくわれて一、二回滑りおち巌石がんせきの道ではつまづいて生爪を剥がす者などもある。その上、あぶの押寄せる事はなはだしく、手や首筋を刺されて閉口閉口。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
僕 愛の為に? 文学青年じみたお世辞はい加減にしろ。僕は唯情事につまづいただけだ。
闇中問答 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
順作は女をさきに立てて走って線路を横ぎろうとした。女がつまづいて前のめりに倒れた。順作ははっと思って女を抱きあげようとした、と、そこには女の姿もなければ何もなかった。
藍瓶 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
兎角練習の足りない人の思想は偶然と云ふ石につまづき易い。それは恐然きようぜんの法則、プロバビリチイの法則と云ふものを知らないからだ。あらゆる学科にあの法則で得た発明が沢山あるのだ。
ただ鹿の仔が従順について来るのが可愛らしかつたので、ふりかへりふりかへり、石につまづいたりしながら、ぢき近くの海のなぎさへ下りていつた。金ちやんと勝ちやんと豊ちやんもついて来た。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
わたくしはつまづいて転びました。その上へ兵卒が乗り掛かつて来ました。その兵卒の上へマカロフが飛び付きました。その時わたくしの顔へ、上の方からぬくいものがだらだらと流れ掛かりました。
あたまからちてころ/\と鐵砲玉てつぱうだまとほころがつてくのを、たふれながらけて與吉よきち卯平うへいのむつゝりとしたかほけるのである。與吉よきちつまづいてたふれてもそのときけつしてくことがない。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
らじとべしかひなおよばず、いらつて起ちし貫一は唯一掴ひとつかみと躍りかかれば、生憎あやにく満枝が死骸しがいつまづき、一間ばかり投げられたる其処そこの敷居に膝頭ひざがしらを砕けんばかり強く打れて、のめりしままに起きも得ず
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
煉瓦を運ばされるやうになつてからは、番頭がやかましくて、もう娘の分まで働いてやれなくなつたが、其代り娘がつまづきはせぬか、煉瓦の重味おもみつぶされはせぬかと、始終其様そんな事ばかり気にしてゐた。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
誰れよりもだ逸早く走らんとしてつまづける流れ星かな
註釈与謝野寛全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
つまづいたり転んだりしてゐた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
めしひたり、つまづかめ、將來ゆくすゑ遠く
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
つまづきや負ける
未刊童謡 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
つまづ
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
と、地面じべたのたくつた太い木根につまづいて、其機会はずみにまだ新しい下駄の鼻緒が、フツリとれた。チヨツと舌鼓したうちして蹲踞しやがんだが、幻想まぼろしあともなし。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
さきにゆく菊枝どのいのう。菊枝どのいのう……はれ、聞えぬげな。(つまづくが如く、二足三足下手の方に歩みよりて。)
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
この事件ももう山が見えたやうですが、思はぬところにつまづきがあつて、錢形平次をもう一つうならせてしまつたのです。
と言掛けまするが、取上とりのぼせて居りますから、木の根につまづき倒れる処を此方こちら駈下かけおりながら一刀浴せ掛ければ、惠梅比丘尼の肩先深く切付けました。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
しかし、この統一乃至整理が、差別を認めない境に至るまでには、幾度か差別に就いてつまづかなければならない。
心理の縦断と横断 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
市に舞ふ人もこれにつまづく習ぞといふ。母上は半ば戲のやうに、さらばその福の車に、われも倶に登るべきか、と問ひ給ひしが、俄に打ち驚きてあなやと叫び給ひき。
もとところには矢張やツぱり丈足たけたらずのむくろがある、とほくへけてくさなかけたが、いまにもあとの半分はんぶんまとひつきさうでたまらぬから気臆きおくれがしてあし筋張すぢばると、いしつまづいてころんだ
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
さうだらう? 大日向教もその伝でゆくつもりだ。何事も賑やかな明朗な宗教が、つまづいた人間に魅力があるもんだ。いまに大日向教の本殿で結婚式が始まるやうになる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
私が植込みの根元にあつた如露につまづいた時にも、これは音響としては人間の耳にとどく程の物ではなかつたのですが、それでも、夜の事でもあつたので私は驚いて夫人の方を
帆の世界 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)
「幸運に見棄てられた者は、友にも常に忘らる。」とくわんぬきはづして外へ出ながら、私は呟いた。私は障碍物につまづいた。私は、まだ眩暈めまひがし、眼はかすんで、身體も力が拔けてゐた。
そして幾箇いくつの橋を渡ツて幾度道を回ツたか知らぬが、ふいに、石か何かにつまづいて、よろ/\として、あぶなころびさうになるのを、辛而やつと踏止ふみとまツたが、それですツかりが覺めて了ツた。
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
頼み夫より戻りの途中とちう大井村の河原にて宵闇の暗紛くらまぎれにつまづきしにて生醉なまゑひの寢て居し事と存じ其儘罷歸り今朝見ればすそは血だらけ故はじめて驚きまして御座ると云に理左衞門胡論うろんなる申條言解くらいぞ茲を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
老人としよりつまづくとあぶなうてな。」