えのき)” の例文
森と言っても崖ぎしの家に過ぎない、ただ非常に古いえのきしいとが屋根を覆うていて、おりおり路上に鷺の白い糞を見るだけであった。
後の日の童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
市場の西の大えのきの下では、“醜草市しこぐさいち”とも、ただ“クサ市”ともよぶ泥棒市がときどき立つが、それさえ、かれには、愉快に見えた。
というから粥河はこれを飲んでは大変と顔色がんしょくが変りまする。其のうち海の方に月は追々昇って来ますると、庭のえのきに縛られて居る小兼が
たもとくろく、こんもりとみどりつゝんで、はるかにほしのやうな遠灯とほあかりを、ちら/\と葉裏はうらすかす、一本ひともとえのき姿すがたを、まへなゝめところ
月夜車 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
夜、父が寄席へ出かけた留守中、浜子は新次からおうまえのきの夜店見物をせがまれると、留守番がないからと言ってちらりと私の顔を見る。
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
一緒にえのきの実を集めたり、時には橿鳥かしどりの落して行った青いの入った羽を拾ったりした少年時代の遊び友達の側へ帰って行った。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
何しろ二十年ちかく昔の事であるから、記憶も薄くなつてはつきりしないが、お宮の坂の下の、えのき小路、といふところだつたと覚えてゐる。
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
平次の指さしたのは、塀の内から大きなえのきの枝が差出たあたり、塀から二間ばかり離れて流れて居る、三尺ほどの溝川でした。
後世にも峠を境木峠と呼ぶもの多く、その木は主としてえのきであったゆえにまた榎峠の多いことは、昨年の『考古学雑誌』にもこれを述べた。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「こはいぶかし、路にや迷ふたる」ト、彼方あなたすかし見れば、年りたるえのき小暗おぐらく茂りたる陰に、これかと見ゆる洞ありけり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
墓を囲んだすぎえのきが燃えるような芽を出している。僕にはなぜか苦しすぎる風景であった。夜が待ち遠しい位だ。早く夜になってくれるといい。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
と呼びながら、身長せいの高い肩幅の広い男が、大えのきすその、やぶの蔭から、ノッソリと現われて来た。その声で解ったと見え
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
海晏寺の前のえのきの傍で擦れちがい、八幡祠の諍闘けんかの際に見た女にそっくりであった。女は広巳と眼をあわすなりにっとした。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
わたくしは此句を黙誦もくしょうしながら、寝間着のままって窓にると、崖のえのきの黄ばんだ其葉も大方散ってしまったこずえから、鋭い百舌もずの声がきこえ
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すると直ぐそこからえのきが芽を出して、正月の十七日にはその枝に沢山の大判小判の金貨がなりました。正月にかざる繭玉の由来はこれだと申します。
竜宮の犬 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
向う座敷は障子をあけ放して、その縁側に若い女客が長い洗い髪を日に乾かしているのが、えのきの大樹を隔ててみえた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
川向こうを見ると城の石垣いしがきの上に鬱然うつぜんと茂ったえのきがやみの空に物恐ろしく広がってみぎわの茂みはまっ黒に眠っている。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
えのきの古株の多年地中にうずもれしが、このごろ掘り出だされしために、燐光りんこうを放ちしものなることが判明せりとぞ。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
つい下のえのき離れて唖々ああと飛び行くからすの声までも金色こんじきに聞こゆる時、雲二片ふたつ蓬々然ふらふらと赤城のうしろより浮かびでたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
ここだと思いやしたから急にえのきの姿を隠してアハハハハと源兵衛村中へ響くほどな大きな声で笑ったやりやした。
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
へいの向うは松平相模守まつだいらさがみのかみの中屋敷で、大きなえのきが五本並んでおり、その裸になった枝に雀が群れていて、ときどきぱっと飛び立ってはまたべつの枝にとまり
あだこ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ある小駅につづく露次では、うず高くつみ重ねられた芋俵をめぐって、人がありのように動いていた。よじくれたえのきくさむらのはてに、浅い海が白く光っていた。
秋日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
炭坑事務所から二十間ばかり離れて、三四本の大きなえのきが立っていた。その下に、三匹の馬が繋がれていた。
狂馬 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
だんなは物知りだからご存じでしょうが、下谷の練塀ねりべい小路の三本えのきの下に、榎妙見というのがありますね。
からからに乾いて巻きちぢれた、けやきの落葉やえのきの落葉や杉の枯葉も交った、ごみくたの類が、家のめぐり庭の隅々の、ここにもかしこにも一団ずつたむろをなしている。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
欝蒼としたけやきえのき、杉、松の巨木に囲まれた万延寺裏手の墓地外れに一際目立つ「蔵元先祖代々之墓」と彫った巨石おおいしが立っているのが、木の間隠れに往来から見える。
えのきのようでもあるし、くすの木のようでもあるが、といって話しあっていると、畳の上に寝そべって、紙の上に絵をかいていた俵的が、むくむくと起きあがったと思うと
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
庭の隅に一本のえのきの大木があった。その枝の間を、まんまるい月がそろそろと昇りはじめた。初秋の風が、しのびやかに葉末をわたるごとに、露がこぼれ落ちそうだった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
女はこの界隈かいわいを、のたうち廻ったものらしく、二、三町隔たった広場にある、大きなえのきの下に、下駄やくしのようなものが散っていた。自身に毒をんだという話もあった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
えのきみきをたたいてきたえただけのことがあった。尾沢生は口先ばかりだ。ただ堀口生にけしかけられて気が強くなっているのだから、一騎打きうちでは元来正三君の敵でない。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
参宮道の真中のえのきの大樹の下に立つと、何かいい知れず悲しくなって、その大樹に身を寄せておもておおうているうちに、いつしか、しくしくと泣いている自分を発見しました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
金竜山きんりゅうざん浅草寺せんそうじ名代の黄粉きなこ餅、伝法院大えのき下の桔梗屋安兵衛ききょうややすべえてんだが、いまじゃア所変えして大繁昌はんじょうだ。馬道三丁目入口の角で、錦袋円きんたいえんと廿軒茶屋の間だなあ。おぼえときねえ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
高知市外の潮江うしおえ天満宮には、むくえのきの並木があった。大粒で肉付きのよい椋の果は小粒で色の美しい榎の果より、はるかに甘く、一合も食べたら、結構おやつの代りになった。
甘い野辺 (新字新仮名) / 浜本浩(著)
西側は、けやきむくえのきなどの大樹が生い茂り、北側は、濃い竹林がおおいかぶさっている。
桑の虫と小伜 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
枸杞くこ(葉)。イロハカヘデ(葉)。山吹の新芽。藤の芽と蕾。えのきの新芽。ギバウシユ。ナヅナ。ヤブカンザウ(新芽)。ツハブキ(莖)。雪の下の嫩葉。ミミナグサ。スズメノヱンドウ。
すかんぽ (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
隣りの寺の屋敷にある大きな、高いえのきこずえが、寂寞に堪えないといったような表情をして(実際、そんなに感ぜられた)軽くふわふわとそよいでいた。僕はわけもなく悲しくなって来た。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
昼さがりからは冬の陽の衰えた薄日も射さず、雪こそは降り出さなかったが、その気配を見せている灰色の雲の下に、骨を削ったようなえのきや樫の木立は、寒い凩に物凄い叫びをあげていた。
不幸 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
縫止ぬひとめのはせ返りし菅笠すげがさと錢はわづか百廿四文ばかりの身上にて不※ふと立出たちいで江戸へ行んとせしが又甲斐國へ赴かんと籠坂峠かごさかたうげまで到りしが頃は六月の大暑ゆゑえのきかげ立寄たちより清水しみづむすびて顏のあせを流し足を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
支那でいわゆる冬瓜蛇はこの族のものかとおもうが日本では一向見ぬ。『西遊記』一に、肥後五日町の古いえのき空洞ほらに、たけ三尺余めぐり二、三尺の白蛇住む。その形犬の足なきかまた芋虫によく似たり。
夜目よめながら老木おいきえのき洩る月のしろがねの網に狂ふものあり
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
或日わざ/\前年彼を見たえのきの蔭に行つてみた。
古い村 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
半日の閑をえのきせみの声
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
えのきさ。」
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
すゞめだつて、四十雀しじふからだつて、のきだの、えのきだのにまつてないで、ぼく一所いつしよすわつてはなしたらみんなわかるんだけれど、はなれてるからこえませんの。
化鳥 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
弟はまた弟で、えのきの実の落ちた裏の竹藪たけやぶのそばの細道を遊び回るやら、橿鳥かしどりの落としてよこす青いの入った小さな羽なぞをさがし回るやら。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「親分も知つて居なさるでせう、十二そうえのき長者——新宿から角筈へかけて、一番大地主で、家には鎌倉の執權しつけんとかの、お墨附を持つて居る」
古い城下の、しいえのきやタモの大木のある裏町には、星ぞらがともすればおおわれがちで、おけらがぶるぶると、溝汁どぶじるの暗い片かげに啼いていた。
(新字新仮名) / 室生犀星(著)
ヨワンえのき伴天連バテレンヨワン・バッティスタ・シロオテの墓標である。切支丹キリシタン屋敷の裏門をくぐってすぐ右手にそれがあった。
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
道しるべの古びた石の立っているえのきの木蔭。曼珠沙華の真赤に咲いている道のとある曲角に、最前さいぜんから荷をおろして休んでいた一人の婆さんがある。
買出し (新字新仮名) / 永井荷風(著)
向座敷は障子をあけ放して、その縁側に若い女客が長い洗い髪を日に乾かしているのが、えのきの大樹を隔ててみえた。
秋の修善寺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)