“いくら”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
幾何25.4%
幾許12.5%
幾干12.5%
何程11.0%
幾等6.6%
幾金6.6%
若干4.0%
幾分1.5%
多少1.5%
幾多1.5%
幾程1.5%
幾値1.5%
幾価1.5%
若干金1.1%
何人0.7%
如何0.7%
幾千0.7%
幾干金0.7%
幾干銭0.7%
幾杯0.7%
幾額0.7%
何分0.4%
何金0.4%
幾人0.4%
幾何金0.4%
幾個0.4%
幾分位0.4%
幾室0.4%
幾文0.4%
幾時0.4%
幾箇0.4%
幾計0.4%
幾銭0.4%
数多0.4%
沢山0.4%
維倉0.4%
若干錢0.4%
許多0.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
木客の数は多いので幾何いくらでも応ずる事ができた。と、そのうちに前方の声が弱って来て、小さな声になり、やがてそれがぴたりやんだ。
死んでいた狒狒 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
エヘヽヽ此辺このへんでは如何いかゞさまで。書生「ヤーこれいのー幾許いくらぢや、うむそれは安いの、うてかう。銭入ぜにいれからだいはらつて立帰たちかへりました。 ...
世辞屋 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
内儀「御覧よ、こういう心だもの、実に私も此のには感心してしまったが、お前幾干いくらお金があったら此の暮が行立ゆきたつんだよ」
文七元結 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
知らん男ぢや無いですか。何程いくら、酒が嫌ひでも、飯が嫌ひでも、日本人の好誼よしみとして、殊に今夜の如きは一月一日、元旦のお正月だ!。
一月一日 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
幾等いくらベルを鳴らしても戸が明かないので、仕方なしに門の石段の上へ革包かばんを据ゑて其れに腰を掛けて二人で書物を読んで居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
母は大方かかる事と今朝けさよりの懸念けねんうたがひなく、幾金いくらとねだるか、ぬるき旦那どのの処置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の弁に
大つごもり (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
気懸きがかりなのはこればかり。若干いくらか、おあしにするだろう、と眼光きょのごとく、賭物かけものの天丼を照らした意気のさかんなるに似ず、いいかけて早や物思う。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お吉は夫の顔を見て、いつもの癖が出て来たかと困つた風情は仕ながらも自己おのれの胸にものつそりの憎さがあれば、幾分いくらかは清が言葉を道理もつともと聞く傾きもあるなるべし。
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
トロリとした鶴見つるみ神奈川かながはぎて平沼ひらぬまめた。わづかの假寢うたゝねではあるが、それでも氣分きぶんがサツパリして多少いくら元氣げんきいたのでこりずまに義母おつかさん
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
幾多いくらも違ひは致しませんのに、にぎやかな方をいらつしやいましよ。私その代り四谷見附みつけの所までお送り申しますから」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「そうでございます。石垣苺と申して皆東京や横浜へ出ます。あんな口も碌に利けない草木をだまして毎年二千三千という金を揚げる家が幾程いくらもありますよ」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
泥土の中に、汗を流して、この苗一つが、幾値いくらになるかといふやうな考へだけで働いてゐたら、沸いてゐる泥田の蛭に食はれて、半日も、働いてはゐられまいと思ふ。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
日の光が何となく薄いような気持がする、話相手はなしサ食うものは一粒幾価いくらと言いそうな米を少しばかりと例の馬の鈴、寝るところは木の皮を壁に代用した掘立小屋
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
若干金いくらか、旅費を出して、東京から私を呼ぶったって……この土地の人は、土地流の、土地能の、土地節の、土地謡の方が大した自慢でね、時々九段や、猿楽町……震災で焼けたけれど
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
十兵衞が手には職人もあるまい、彼がいよ/\取掛る日には何人いくらも傭ふ其中に汝が手下の者も交らう、必ず猜忌邪曲そねみひがみなど起さぬやうに其等には汝から能く云ひ含めて遣るがよいとの細い御諭し
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
然し晩になると大概校長さんが来ますからその時だけは幾干いくら気嫌きげんえだが校長さんも感心に如何いくらなんと言われても逆からわないで温和おとなしゅうしているもんだから何時いつか老先生も少しは機嫌が可くなるだ……
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
(一体幾千いくらで)ああその言葉に呪いあれ! と冬子は思った。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
如才なきお吉は吾夫をかゝる俗僧づくにふにまで好くはせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に幾干銭いくらか包み込み、是非にといふて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
幾杯いくら飲める?』
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
『ム、幾額いくらく?』
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
誠に正直一途いちずの人で、或る日、本郷春日町かすがちょう停留場の近所で金を拾い直ぐさま派出所へ届け、落とし主も解りその内より何分いくらか礼金を出した所、本人は何といっても請け取らないので
そこで、沢田へそれを届けると、何金いくらお礼をしたら好いかという。製作の日数の掛かっただけ一日一円という割にして私は報酬を貰い受けた。
世間を見ればここに坊主と云うものが一つある、何でもない魚屋さかなやの息子が大僧正になったと云うような者が幾人いくらもある話、それゆえに父が私を坊主にするといったのは
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
此辺の田舎でも、ちっとまとまった買物を頼めば、売主は頼まれた人に、受取うけとり幾何金いくらと書きましょうか、ときく。コムミッションの天引てんびきほとんど不文律になって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
すゝみ其は旅籠屋の下女がたくみならん貴樣の方にくしはなしとはかりたるに先には鼈甲べつかふの櫛の幾個いくらもあらんにより指替さしかへ似寄によりの品を出して貴樣をあざむき歸せしなるべし其女を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
幾分位いくらねむつたからぬが夢現ゆめうつゝうちつぎのやうな談話はなし途斷とぎれ/\にみゝはひる。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そういうような室は幾室いくらもあり、なお中に見ることを許されない室も沢山ございました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
着物はなし六百文の銭はさしが切れ、彼処此処あちらこちらへ散乱致して居りますのを拾い集めて漸く四百幾文いくら、五百に足りない銭を、これでも命の綱と思い、ずぶ濡れになって前橋の手前まで来ると
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
時ぐもり印旛落しをぎ出でて幾時いくらならぬに明るさざなみ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
此の人は神田佐久間町河岸にいる山口善右衞門やまぐちぜんえもんという炭問屋すみどんやで、うちは八間間口で、土蔵も幾箇いくらかあり、奉公人も多く使って居ります。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
とげいよ/\江戸の普請ふしん成就じやうじゆの上は片時も早く彼地へ下り變に應じ機に臨み施す謀計ぼうけい幾計いくらもあるべし首尾能御目見おんめみえさへ濟ば最早氣遣きづかひなし然ば發足有べしと江戸下向げかうの用意にこそはかゝりける
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
小舎が二戸ある、一つは徳本峠を下りると直ぐの小舎で、二間四方の北向きに出来ている、徳本の小舎というのがそれで、放し飼の牛馬を一頭幾銭いくらという、安い賃金で、監督する男が住んでいる
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
成程なるほど元子は見たところ節操々々みさを/\して居る。けれど講習会をに何をして居るか知れたものでない。想像して見ると不審の点は数多いくらもある。今夜だつて何を働いて居るか自分は見て居ない。
節操 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうもあとの方らしい。とにかくも両方まじってたと云うのが一番おだやかのように思われる。世の中には軽蔑しながらもこわいものが沢山いくらもある。矛盾にゃならない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「ハハハ。△産党の九州執行委員長、維倉いくら門太郎。やっと気づいたか。馬鹿野郎……アッ、新張の奥さん……どうもありがとう御座いました」
女坑主 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「こりや若干錢いくらだね。」と訊ねた。聲が調子はづれて、腦天なうてんからでも出たやうに自分の耳に響いた。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
しかしそれはまずそれとして何もそんなに心配せずとも或種類の芸術に至っては決して二宮尊徳にのみやそんとくの教と牴触ていしょくしないで済むものが許多いくらもある。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)