“いくら”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
幾何24.3%
幾干12.8%
幾許12.8%
何程9.8%
幾金7.2%
幾等6.8%
若干4.3%
多少1.7%
幾価1.7%
幾値1.7%
(他:40)16.9%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「御勝手の道具で、売って幾何いくらにも成らないようなものは、皆なあの老婆ばあやにりましたよ」と豊世は附添えた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
集っていた人の中で、丁度其少年のお祖父さん位の年頃の紳士が、ポケットに手を入れて幾何いくらかのお金を少年に渡しました。
私の見た米国の少年 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
三ちゃん、お前さんのとこなんぞも、やっぱりこうかねえ、浜へはちっとでも放れているから、それでも幾干いくらか少なかろうねえ。
海異記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
志村しむらがあのくらけるなら自分じぶん幾干いくら出來できるだらうとおもつたのである。
画の悲み (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
三「此様こんな物を持って来たって仕様がねえ、買ったって百か二百で買える物を持って来て、是で幾許いくらばかり欲しいのだ」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
をぢさんをばさんに迫られて、余義無くお前も承知をしたのならば、僕の考で破談にするほう幾許いくらもある。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「お前さん怒るなら何程いくらでもお怒り。今夜という今夜は私はどうあっても言うだけ言うよ」とお源は急促込せきこんで言った。
竹の木戸 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
高原にて路に迷う すると広い原の中でどういう風にみちを失ったのか何程いくら行ってもその川のあるところに出ない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
こうなると老人の得意はさぞかし、手間は相応掛かっても、元が掛からない手細工ですから、幾金いくらにしても儲けはある。
何んでも手に一つの定職を習い覚え、握りッこぶしで毎日幾金いくらかを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たものです。
幾等いくらベルを鳴らしても戸が明かないので、仕方なしに門の石段の上へ革包かばんを据ゑて其れに腰を掛けて二人で書物を読んで居た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
老婆はひどく喜んだ。「お前さんは正直者だ。感心な男だ、お蔭でたすかったよ。これは幾等いくらもしないものだが、先の夫の形見かたみでね。」
王成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
弾正太夫のべている部下は総数四千人とは云うけれど、これは直接の部下なのであって、この部下以外に間接の部下は若干いくらあるとも想像が付かぬ。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そうは云っても五年前よりよくなったことも若干いくらかはある。散在していた風呂屋女を吉原の土地へ一つに集め、駿府の遊女町を持って来たなどは確かに面白い考えだ」
三甚内 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「それは多少いくらか気を悪くなさるだろうけれど、言わないで置けばこの後どんなことに成りゆくかも知れないよ」
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
床に入って眼を閉じている時、この時には多少いくらか良心の眼はめそうなものだが、実際はそうでなかった。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
水西荘の玄関には、半切はんせつ幾価いくら、屏風いくらと、貼り出してあるという話じゃないか。
梅颸の杖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
話相手はなしサ食うものは一粒幾価いくらと言いそうな米を少しばかりと例の馬の鈴
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「旦那、お立派なお侍様で、幾値いくらがとこでもありませんぜ。そんな、阿漕あこぎなことをいわないで、買っておくんなさい。口開くちあけだ」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泥土の中に、汗を流して、この苗一つが、幾値いくらになるかといふやうな考へだけで働いてゐたら、沸いてゐる泥田の蛭に食はれて、半日も、働いてはゐられまいと思ふ。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
人の紹介で逢つて見たことも有るし、今歳ことしになつて二三度手紙の往復とりやりもしたので、幾分いくらか互ひの心情こゝろもちは通じた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
木曾に居る時も、幾分いくらか彼はその心地こころもちを紙にむかって書いた。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
這箇こつち鬱勃肚むしやくしやばらで、飲めも為ないのに幾多いくらでも引受けたんだけれど、酔ひさうにも為やしない。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
幾多いくらも違ひは致しませんのに、にぎやかな方をいらつしやいましよ。私その代り四谷見附みつけの所までお送り申しますから」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
しかもその日、晩飯を食わせられる時、道具屋が、めじの刺身を一臠ひときれはしで挟んで、鼻のさきへぶらさげて、東京じゃ、これが一皿、じゃあない、一臠、若干金いくらにつく。
木の子説法 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
若干金いくらでも。」と待合の女中にささやく。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
十兵衞が手には職人もあるまい、彼がいよ/\取掛る日には何人いくらも傭ふ其中に汝が手下の者も交らう、必ず猜忌邪曲そねみひがみなど起さぬやうに其等には汝から能く云ひ含めて遣るがよいとの細い御諭し
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたがかげになって助けてやれ、皆そなたの善根福種になるのじゃ、十兵衛が手には職人もあるまい、あれがいよいよ取りかかる日には何人いくらやとうそのうちに汝が手下の者も交じろう
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そうら解った、わたくし去日このあいだからどうも炭の無くなりかたが変だ、如何いくら炭屋が巧計ずるをして底ばかし厚くするからってこうも急に無くなるはずがないと思っていたので御座いますよ。
竹の木戸 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「然し晩になると大概校長さんが来ますからその時だけは幾干いくら気嫌きげんえだが校長さんも感心に如何いくらなんと言われても逆からわないで温和おとなしゅうしているもんだから何時いつか老先生も少しは機嫌が可くなるだ……」
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
(一体幾千いくらで)ああその言葉に呪いあれ! と冬子は思った。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
遊里で取り分け持てるのはすなわち銀座の客衆で、全くこの時代の銀座と来ては三宝四宝の吹き出し最中で、十九、二十の若い手代さえ、昼夜に金銀を幾千いくらともなく儲け、湯水のように使い棄てた。
紅白縮緬組 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「あなた幾干金いくらかお遣んなすったの、御祝儀を。」
幾干金いくらですか。」
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
如才なきお吉は吾夫をかゝる俗僧づくにふにまで好くはせんとてか帰り際に、出したまゝにして行く茶菓子と共に幾干銭いくらか包み込み、是非にといふて取らせけるは
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
源太もうやまつつしんで承知の旨を頭下げつつ答えけるが、如才なきお吉はわが夫をかかる俗僧ずくにゅうにまでよくわせんとてか帰り際に、出したままにして行く茶菓子とともに幾干銭いくらか包み込み
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
幾杯いくら飮める?』
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
幾杯いくら飲める?』
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「それはそうかも知れませんが、しかし幾程いくら免職になるのがこわいと言ッて、私にはそんな鄙劣ひれつな事は……」
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「ナニお前十代の内なら秋毫ちっとも厭味なこたア有りゃしないわネ。アノ方が幾程いくら宜か知れない、引立ひッたちが好くッて」
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
誠に正直一途いちずの人で、或る日、本郷春日町かすがちょう停留場の近所で金を拾い直ぐさま派出所へ届け、落とし主も解りその内より何分いくらか礼金を出した所、本人は何といっても請け取らないので、先方むこうの人もそのこころざしに感心して観音の彫刻を依頼されました。
そこで、沢田へそれを届けると、何金いくらお礼をしたら好いかという。製作の日数の掛かっただけ一日一円という割にして私は報酬を貰い受けた。
ソコデ私の父の身になって考えて見れば、到底どんな事をしたって名を成すことは出来ない、世間を見ればここに坊主と云うものが一つある、何でもない魚屋さかなやの息子が大僧正になったと云うような者が幾人いくらもある話、それゆえに父が私を坊主にするといったのは、その意味であろうと推察したことは間違いなかろう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
此辺の田舎でも、ちっとまとまった買物を頼めば、売主は頼まれた人に、受取うけとり幾何金いくらと書きましょうか、ときく。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
幾分位いくらねむつたからぬが夢現ゆめうつゝうちつぎのやうな談話はなし途斷とぎれ/\にみゝはひる。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
そういうような室は幾室いくらもあり、なお中に見ることを許されない室も沢山ございました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
着物はなし六百文の銭はさしが切れ、彼処此処あちらこちらへ散乱致して居りますのを拾い集めて漸く四百幾文いくら、五百に足りない銭を、これでも命の綱と思い、ずぶ濡れになって前橋の手前まで来ると、少し日があたって来ました。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
時ぐもり印旛落しをぎ出でて幾時いくらならぬに明るさざなみ
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
と連立って参ります。此の人は神田佐久間町河岸にいる山口善右衞門やまぐちぜんえもんという炭問屋すみどんやで、うちは八間間口で、土蔵も幾箇いくらかあり、奉公人も多く使って居ります。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一つは徳本峠を下りると直ぐの小舎で、二間四方の北向きに出来ている、徳本の小舎というのがそれで、放し飼の牛馬を一頭幾銭いくらという、安い賃金で、監督する男が住んでいる、川を渉って七、八町も行くと
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)