幾金いくら)” の例文
何んでも手に一つの定職を習い覚え、握りッこぶしで毎日幾金いくらかを取って来れば、それで人間一人前の能事として充分と心得たものです。
母は大方かかる事と今朝けさよりの懸念けねんうたがひなく、幾金いくらとねだるか、ぬるき旦那どのの処置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の弁に
大つごもり (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
嗚呼飛んでも無い事を忘れた、十兵衞殿ゆるりと遊んで居て呉れ、我は帰らねばならぬこと思ひ出した、と風の如くに其座を去り、あれといふ間に推量勘定、幾金いくらか遺してふいと出つ
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
幾金いくらぐらいだろう……そんな骨董屋みたいなことはおっしゃいません。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「さて、あなたも、いよいようちへ来て下さることになったから給料を決めよう。一体、幾金いくら上げてよいか。お望みのところをいって下さい」
はゝ大方おほかたかゝること今朝けさよりの懸念けねんうたがひなく、幾金いくらとねだるか、ぬるき旦那だんなどのゝ處置しよちはがゆしとおもへど、れもくちにてはかちがたき石之助いしのすけべん
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
と風のごとくにその座を去り、あれという間に推量勘定、幾金いくらか遺してふいと出つ、すぐその足で同じ町のある家がしきいまたぐや否、厭だ厭だ、厭だ厭だ、つまらぬくだらぬ馬鹿馬鹿しい
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こうなると老人の得意はさぞかし、手間は相応掛かっても、元が掛からない手細工ですから、幾金いくらにしても儲けはある。
幾金いくらとねだるか、ぬるき旦那どのゝ處置はがゆしと思へど、我れも口にては勝がたき石之助の辯に、お峰を泣かせし今朝とは變りて父が顏色いかにとばかり、折々見るや尻目おそろし
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
二時間、三時間、気の向いた道を景色を眺めて散歩している間に幾金いくらかのお小遣いが取れるのであります。
趣向は何なりと各自めい/\に工夫して大勢の好い事が好いでは無いか、幾金いくらでもいゝ私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王によわう樣又とあるまじき惠みは大人よりも利きが早く
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
発光路まで幾金いくらで行くねと聞きますと、発光路って何処どこだいと一人の車夫はいってるのには驚きました。
趣向は何なりと各自めいめいに工夫して大勢の好い事が好いでは無いか、幾金いくらでもいい私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王様によわうさま又とあるまじき恵みは大人よりも利きが早く
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
幾金いくらのものかと聞くと、百五十円だということ、薬代さえもようやく工面をして払った時代のことで、私に金のありよう訳でないから買い取ることは思いも寄りません。
二十日はおまつりなればこゝろ一ぱい面白おもしろことをしてと友達ともだちのせがむに、趣向しゆこうなになりと各自めい/\工夫くふうして大勢おほぜいこといではいか、幾金いくらでもいゝわたしすからとてれいとほ勘定かんでうなしの引受ひきうけに
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
そこで大工の方で、左官に塗らせるまでの仕事一切を見積って幾金いくらで出来るかというと、(無論仕事師の手間賃も中に這入っていて)百五十円でやれるということです。
それは何に用うるかというと洋燈ラムプ台になるので、本国からの注文であるということ。高さは五尺位で一対。至急入用であるから、そのつもりにて幾金いくらで出来るかつもりをしてくれという。
また手伝うとしたらなおさらのこと、力一杯、腕一杯に丹念に製作するので、幾金いくらで仕上げなければならないなどいうきまりもなく、充分に材料を撰み、日数を掛けてやったものであります。
で、つまり、幾金いくらということになったのです。