御家人ごけにん)” の例文
それは堀田原のある御家人ごけにんの家で、主人のほかに四、五人の友達が集まって、一六いちろくの日に栄之丞の出稽古を頼むということになった。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
熊谷直実くまがいなおざね蓮生れんしょうをはじめ、甘糟あまかす太郎忠綱、宇都宮うつのみや頼綱、上野こうずけ御家人ごけにん小四郎隆義、武蔵の住人弥太郎親盛やたろうちかもり、園田成家なりいえ、津戸三郎為盛ためもり
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下総しもうさでは、印旛いんば新橋にっぱしあしさくという所に、これは頼朝の御家人ごけにんであった千葉介常胤ちばのすけつねたねの箸が、成長したという葦原があります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
御家人ごけにんのお給金では家族も満足に養えないし、剣術の師匠もお金にならないから、彼のあみだした本業は主として刀剣のブローカーであった。
安吾史譚:05 勝夢酔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
多寡たくわが地主の金持と思つたのは、大變な見縊みくびりやうで、近所の旗本や、安御家人ごけにんの屋敷などは蹴落されさうな家です。
どうやら納戸なんどらしい。宗三自身は見る影もない腰弁だけれど、家丈けは、親父おやじ御家人ごけにんだったので、古いが手広な納戸なんていうものもある。
接吻 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
また徳川時代に将軍直参の士に御家人ごけにんというのがあります。鎌倉時代から大そうえらい者でありまして、当時の大名衆だいみょうしゅう御家人ごけにんと呼んでおります。
あるいは御家人ごけにんないし大名旗本の陪臣、それから僧侶そうりょ、山伏し等の囚罪人がこれに投ぜられるのならわしでありました。
寄り合っていた悪旗本や御家人ごけにんくずれの常連じょうれんが、母屋で、枕を並べて寝についたその寝入りばなを、逆にくように降ってわいた斬りこみであった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
にわかに講武所こうぶしょの創設されたとも聞くころで、旗本はたもと御家人ごけにん陪臣ばいしん浪人ろうにんに至るまでもけいこの志望者を募るなぞの物々しい空気が満ちあふれていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
御徒士町辺おかちまちあたりとほつて見るとお玄関げんくわんところ毛氈もうせん敷詰しきつめ、お土蔵くらから取出とりだした色々いろ/\のお手道具てだうぐなぞをならべ、御家人ごけにんやお旗下衆はたもとしゆう道具商だうぐやをいたすとふので
士族の商法 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
おりうには御家人ごけにんくずれの浪人者が付いている。遠い江戸からこの山ぐにまで、はるばるおりうを追って来た。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
幕府瓦解の後は旗下はたもと御家人ごけにんというような格の家が急に生計くらしの方法に困っていろいろ苦労をしたものであった。
これでも代々御家人ごけにんで、今だって弟の奴は、四谷の方で、お組屋敷の片隅に、からかさ骨削ほねけずりの内職をしながらも、両刀をたばさんで、お武家面をしているのさ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
昔は貧乏御家人ごけにん跋扈ばっこせし処今は田舎いなか紳士の奥様でこでこ丸髷まるまげそびやかすの、元より何の風情ふぜいあらんや。然れどもわが書庫に蜀山人しょくさんじんが文集あり『山手やまのて閑居かんきょ
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「矢っ張り士族平民がやかましいんだそうですが、考えて見ると此方は私のお母さんのお父さんが御家人ごけにんだったから、満更素町人すちょうにんでもないということになったのさ」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
お岩はそこで喜兵衛に口を利いてもらって、四谷塩町しおちょう二丁目にいる紙売の又兵衛またべえと云うのを請人に頼んで、三番町さんばんちょうの小身な御家人ごけにんの家へ物縫い奉公に住み込んだ。
四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一寸ちょいとした事だが可笑おかしい話があるその次第は、江戸で御家人ごけにんの事を旦那だんない、旗本はたもとの事を殿様とのさまと云うのが一般の慣例である、所が私が旗本になったけれども
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その頃は幕府瓦解がかいの頃だったから、八万騎をもって誇っていた旗本や、御家人ごけにんが、一時に微禄びろくして生活の資に困ったのが、道具なぞを持出して夜店商人になったり
梵雲庵漫録 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
二葉亭のお父さんは尾州藩だったが、長い間の江戸づめで江戸の御家人ごけにんしていた。お母さんも同じ藩の武家生れだったが、やはり江戸で育って江戸風に仕込まれた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「源頼朝公から、建礼門院様お目附のために差しつかわされた鎌倉の御家人ごけにんの名でございます、それがあの森に屋敷を構えていて、建礼門院様のお目附をしていました」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あさっぱらの柳湯やなぎゆは、町内ちょうないわかものと、楊枝削ようじけずりの御家人ごけにん道楽者どうらくもの朝帰あさがえりとが、威勢いせいのよしあしをとりまぜて、柘榴口ざくろぐちうちそととにとぐろをいたひとときの、はじ外聞がいぶんもない
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
天滿宮の御家人ごけにんといふものになつてゐる家に生れたのを、同じ村の若い衆さへまだ餘り眼をけぬ蕾の中に、千代松が頬冠り姿で、高塀を乘り越え、廣い庭先きから忍び込んで
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
剩つた米を安くかつて米店をはじめたり、貧乏旗本や御家人ごけにんに金を融通して、扶持米をとりあげたり、高利をとつたりしたのだ。思ふに、これはとてもぼろい商賣だつたのに違ひない。
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
ついこの間まではまばらな杉垣の奥に、御家人ごけにんでも住み古したと思われる、物寂ものさびた家も一つ地所のうちにまじっていたが、崖の上の坂井さかいという人がここを買ってから、たちまち萱葺かやぶきを壊して
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
じつにどうも癪に障るが、その晩の芦洲の口演を、ヂッと楽屋で聴いてゐると、その描写の巧さ、義賊も侠客も御家人ごけにん美妓びぎもみなさながらの浮彫りで、つい給金を呉れない不平など忘れてしまふ。
落語家温泉録 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
……古帷子で顔をつつんで一ツ橋の門から駈けだし、お氷の駕籠につきあたって、あわててまた門内に駈けこんだその男は、酒井の大部屋で手遊びをしていた石田清右衛門という御家人ごけにんくずれ。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
母「あすこにはわる御家人ごけにん沢山たくさんゐてね。」
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
たまをどこへか忍ばして置いて、抱え主から懸け合いの来るのを待っているなどは、この頃のわる旗本や悪御家人ごけにんには珍らしくない。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「それが判りゃわけはないよ。商売敵か、家督争いか、高利の奥印金に悩まされた御家人ごけにんか——いずれそんなものだろう」
その士格の売主うりぬしは、小普請目見得格こぶしんめみえかく小牧甚三郎こまきじんざぶろうという御家人ごけにん、一人娘があるから、むこの形式をもって継いでくれれば、万端ばんたん都合つごうがいいという。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
したがってこれを呼ぶにも「御」の字をつけて、「関東の御家人ごけにん」と言われていた。徳川時代の御家人ごけにんも、やはりその名称を継いでいるのである。
年は三十三、四、伊達だてに伸ばしたらしい月代さかやきが黒く光って、ほろりと苦み走ったちょっといい男の、ひと目に御家人ごけにんくずれと思われるような二本差しでした。
「だから金を溜めてるんです」と云って彼は米良を見た、「五十両あれば御家人ごけにんの株が買えますからね」
末っ子 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこは賄賂の力である程度までの出世もでき、御家人ごけにんの株を譲り受けることもできたほどの時だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
兄貴が使った侍はみんな中間ちゅうげんより取立て、信州五年詰の後、江戸にて残らず御家人ごけにんの株を買ってやられたが、利平は隠居して株の金を貰って、身よりのところへかかりて
今の楽山堂らくさんどう病院の所から下谷したや御徒町おかちまちにきれ、雁鍋の背後へ出ようというのですから、七軒町しちけんちょう酒井大学さかいだいがく様の前を通り西町の立花たちばな様の屋敷——片側は旗本と御家人ごけにんの屋敷が並んでいる。
久斎姓は村瀬名は久太郎といへり。その父寅吉といへるは幕府の御家人ごけにんなりしとか。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
少し気色けいろかわった男ではあるが、何分にも出身が幕府の御家人ごけにんだから殿様好きだ、今こそろう這入はいって居るけれども、れが助かって出るようになれば、後日あるいは役人になるかも知れぬ
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
私が道楽をったから私の身の上が定まらんでは世話は出来ぬというので、女房でも持って、ういう女と夫婦になったと身の上が定まれば、御家人ごけにんの株位は買ってくれる親類もあるが
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
直参といえばていさいはよいが、旗本、貧乏御家人ごけにんの、その御家人の株を買って、湯川金左衛門邦純くにすみとなったのである。湯川という姓は無論買った家の姓で、金左衛門も通り名である。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
つい此間このあひだまでまばらな杉垣すぎがきおくに、御家人ごけにんでもふるしたとおもはれる、物寂ものさびいへひと地所ぢしよのうちにまじつてゐたが、がけうへ坂井さかゐといふひと此所こゝつてから、たちま萱葺かやぶきこはして、杉垣すぎがきいて
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
妙子は山の手のある旧御家人ごけにんの娘だった。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「菊坂を挟んで小役人、御家人ごけにんの屋敷が二三百あって、西には松平右京亮うきょうのすけ様、南には松平伊賀守いがのかみ様のお下屋敷があります」
そこの仙洞御所せんとうごしょと、清盛のいる西八条のやかたとは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬のうごきは、すぐ六波羅の御家人ごけにんから
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお賤民の称なる「家人けにん」の名がそのままに、畏敬すべき「御家人ごけにん」ともなり、また賤職の称なる「さむらい」の名がそのままに、武士となって世人に羨まれた様に。
当時の練塀小路は河内山宗俊が啖呵たんかをきったほどの有名な小路ではなく、御家人ごけにん屋敷が道向かいには長屋門をつらねて、直参顔じきさんがお横柄おうへいな構えをしているかと思うと
女房おこのと番頭庄右衛門のほかに、手代三人、小僧二人、女中二人、仲働き一人の十一人家内で、おもに近所の旗本や御家人ごけにんを得意にして、手堅い商売をしていた。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
御家人ごけにん旗本のあいだには黄平きびらの羽織に漆紋うるしもん、それは昔し/\家康公が関ヶ原合戦の時に着て夫れから水戸の老公が始終しじゅうソレをして居たとかと云うような云伝いいつたえで、ソレが武家社会一面のおお流行。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
御家人ごけにん旗本はたもとの間の大流行は、黄白きじろな色の生平きびらの羽織に漆紋うるしもんと言われるが、往昔むかし家康公いえやすこうが関ヶ原の合戦に用い、水戸の御隠居も生前好んで常用したというそんな武張ぶばった風俗がまた江戸にかえって来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)