闇夜やみよ)” の例文
大体が、臆病者揃いの公卿たちは、闇夜やみよにひらめく一閃いっせんのすさまじさに、かえって生きた心地もなく、呆然ぼうぜんと見ていただけだった。
しかしある時、ヘルンが案内して連れ出した所は、暗い闇夜やみよの野道の中に、小高い丘があるばかりで、周囲は一面の稲田いなだであった。
すべてのものがいっしょになって、闇夜やみよの中の沼みたいな奇怪な夢の世界をこしらえていて、そこから希望のまぶしい光がほとばしり出ていた。
闇夜やみよだった。まだよいの口だ。開墾地に散在している移住者の、木造の小屋からは、皆一様に夜業よなべの淡い灯火あかりの余光が洩れていた。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「なあ奥様、こんな闇夜やみよに男の人いててくれはれしまへなんだら、こおうて歩かれしまへんなあ」と、用もないのんに私つかまえて
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「えゝから、よきげめさせろ」勘次かんじはおつぎをせいした。三にん他人ひといてない闇夜やみよ小徑こみちうして自分じぶんにはもどつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
伊那丸いなまる徳川勢とくがわぜいとの勝敗しょうはいはどうなったな。かすかに、矢さけびは聞えてくるが、この闇夜やみよゆえさらにいくさのもようが知れぬ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何しろ、その夜は、何時間も続けざまにいきを殺し、それから長い低い溜息を一つ吐いて、また息を殺すと言われるあの闇夜やみよなのであったから。
冬の闇夜やみよに悪病を負う辻君つじぎみが人を呼ぶ声のいたましさは、直ちにこれ、罪障深き人類のみがたき真正まことの嘆きではあるまいか。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
せっかく、飛び出した男が持て余している時に、柳橋の角から、星明りの闇夜やみよに現われた人影が一つ、蹌々踉々そうそうろうろうとして此方こなたに向いて歩いて来ます。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
(扇をしゃくに)それ、山伏と言っぱ山伏なり。兜巾ときんと云っぱ兜巾なり。お腰元と言っぱ美人なり。恋路と言っぱ闇夜やみよなり。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
襲撃軍は死者と負傷者とを遺棄したまま、列を乱し混乱して街路の先端に退却し、再び闇夜やみよのうちに見えなくなってしまった。先を争う潰走かいそうだった。
「おらんこと小説に書いたって」どんな闇夜やみよでも黒く見えるという、石炭のような黒い顔に、てれくさそうなはにかみ笑いをうかべながら留さんは云った
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
闇夜やみよに明るい月がのぼったみたいなものだわ。……ぼうっとなって、無我夢中になるのも無理はない。現にこのあたしだって、幾分のぼせ気味らしいもの。
または闇夜やみよに灯火もなく歩くとしましょう。歩行はたちまち平凡ではなくなるのです。一歩一歩意識して歩かねばならぬ不自由と困難とをめるでしょう。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
夫の帰らぬそのうちと櫛笄くしこうがいも手ばしこく小箱にまとめて、さてそれを無残や余所よそくらこもらせ、幾らかの金懐中ふところに浅黄の頭巾小提灯こぢょうちん闇夜やみよも恐れず鋭次が家に。
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そして永続し得る唯一の幸福は、たがいに理解しあい愛しあうこと——知力に愛——生の前と後との二つの深淵しんえんの間でわれわれの闇夜やみよをてらしてくれる唯一の光明だ。
するうちだんだん紫宸殿ししいでんのお屋根やねの上がくらくなって、大きなくろくもがのしかかってたことが闇夜やみよにも見分みわけがつくようになりましたから、ここぞとねらいをさだめて
(新字新仮名) / 楠山正雄(著)
私は闇夜やみよの中でとつぜん光明を失ったような気持になって、また決心がにぶり、茜にすすめられて、今日のような不埓ふらちなまねをいたしましたが、でも、もう大丈夫です。
キャラコさん:03 蘆と木笛 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
車室の天井に下がっている明りにはきれが掛けてあるので、室内は鈍い緑色に照されている。窓の外は闇夜やみよである。丁度長い、長いトンネルを通って行くような気がする。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
その唇のあいだからのぞいている野獣のきばのような白歯、しわくちゃになった黒の背広、何から何までソックリそのままの人間ひょうが、もう一匹、闇夜やみよの森の中に出現したのだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
足さばきがどうのこうのと言って稽古けいこしているようですが、へいを飛び越えずに門をくぐって行ったって仔細しさいはないし、闇夜やみよには提灯ちょうちんをもって静かに歩けばみぞへ落ちる心配もない。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
闇夜やみよの発光文字のごとくに、必要なみちだけがハッキリ浮かび上がり、他は一切見えないのだ。我々鈍根どんこんのものがいまだ茫然ぼうぜんとして考えもまとまらないうちに、悟空はもう行動を始める。
庭へ降りて見ると、夕暮から雲の多かった空は、すっかり密雲に閉されて月の所在さえわからなかった。しかし、人目を忍ぶものに、月夜よりも闇夜やみよがよいことは、昔も今も変りがない。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
一寸先いっすんさき見えぬ闇夜やみよ、寺男は、両足りょうあしが、がくがくふるえましたが、勇気ゆうきをつけて、びわののする墓場はかばの中へはいっていきました。そして、ちょうちんのをたよりに、法師をさがしました。
壇ノ浦の鬼火 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
抑も辻行灯つじあんどうすたれて電気灯でんきとう光明くわうみやう赫灼かくしやくとして闇夜やみよなき明治めいぢ小説せうせつ社会しやくわいに於ける影響えいきやう如何いかん。『戯作げさく』と云へる襤褸ぼろぎ『文学ぶんがく』といふかむりけしだけにても其効果かうくわいちゞるしくだいなるはらる。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者いな人間の異常なる機関からくりが暗い闇夜やみよに運転する有様を、驚嘆の念をもってながめていたい。——こういうのが敬太郎の主意であった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
重い気が籠った闇夜やみよである。歩きながら逸作は言った。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「夜釣りは闇夜やみよに限ったのだったかな?」
吊籠と月光と (新字新仮名) / 牧野信一(著)
夕立のあとの闇夜やみよ小提灯こぢょうちん
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
闇夜やみよも風が身にまう。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
あはれ闇夜やみよ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
クリストフには助力者がなかった。彼の手は闇夜やみよの中でだれの手にも出会わなかった。彼はもう白日の光の中へもどることができなかった。
黒犬の絵にさんしてんだ句である。闇夜やみよに吠える黒犬は、自分が吠えているのか、闇夜の宇宙が吠えているのか、主客の認識実体が解らない。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ほんまの蛍狩は絵のような訳には行かんねんなと、妙子は笑ったが、何しろ闇夜やみよ程よいと云うのであるから、着る物に都雅みやびを競う面白さはなかった。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
さいわい闇夜やみよにて人通ひとどおりなきこそ天のたすけと得念が死骸しがいを池の中へ蹴落けおとし、そつと同所を立去り戸田様とださま御屋敷前を通り過ぎ、麻布あざぶ今井谷いまいだに湖雲寺こうんじ門前にで申候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼女が現われたのは、あたかも道に迷った太陽の光が、自ら気づかないで突然闇夜やみよぎったがようなものだった。
水らしい水とも思わぬこの細流せせらぎ威力ちからを見よと、流れ廻り、めぐって、黒白あやめわかぬ真の闇夜やみよほしいまま蹂躪ふみにじる。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
外は昨晩のように深いもやはありませんでしたけれども、闇夜やみよであることは昨晩と少しも変りはありません。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
闇夜やみよだったので、空も暗く、そのものは闇の中から闇が抜け出したような感じで動いていた。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
三十六号船の水夫である留さんは、年が三十四歳でお人しで、ひどく色が黒かった。「どんな闇夜やみよでも留さんの顔だけは黒く見える」とわれ、自分でもそれを認めていた。
青べか物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
君たちの誤った進歩に引きずられて闇夜やみよの中に陥るのが、僕は恐ろしいのだ。君たちのあらゆる思いあきらめの言葉の下には、深淵しんえんが潜んでいる。
何か、人間の世を離れた、はるかな遥かな無窮の国をおもわせるような明るさである。その時の気持次第で、闇夜やみよとも月夜とも孰方どっちとも考えられるような晩である。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けてきらった。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜やみよを選んで祭礼をする。
猫町:散文詩風な小説 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
実際それは、汚水だめのうちから引き出してきた一種の嫌悪けんおすべき闇夜やみよの獣かとも思われる。
星をたよる闇夜やみよと同じことで、お君はそこを一生懸命で、順路はここから北へ国安川くにやすがわというのに沿うて行き、掛川かけがわの宿へ出て、東海道本道に合するということを聞いていましたから
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その夜けて後、俄然がぜんとして暴風起り、須臾しゅゆのまに大方の提灯を吹き飛ばし、残らずきえて真闇まっくらになり申し候。闇夜やみよのなかに、唯一ツすさまじき音聞え候は、大木の吹折られたるに候よし。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
それもよし、それもよし! おう闇夜やみよよ、太陽を孵化ふかし出すものよ、われは汝を恐れない! 一つの星が消えせても、他の無数の星が輝き出す。
目に見え心にあるものは、ただ闇夜やみよに似た何か沈鬱ちんうつな底深いもののみであった。
師走の闇夜やみよ白梅しらうめの、おもてろうに照らされる。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)