“臭気(におい)” の例文
大な鋤(すき)を打込んで、身を横にして仆(たお)れるばかりに土の塊を鋤起す。気の遠くなるような黒土の臭気(におい)は紛(ぷん)として、鼻を衝くのでした。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
五日、七日(なぬか)、二夜(ふたよ)、三夜、観音様の前に静(じっ)としていますうちに、そういえば、今時、天狗(てんぐ)も※々(ひひ)も居まいし、第一獣(けもの)の臭気(におい)がしません。
神鷺之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女はたちまち帰り来りしが、前掛(まえかけ)の下より現われて膳に上(のぼ)せし小鉢(こばち)には蜜漬(みつづけ)の辣薑(らっきょう)少し盛(も)られて、その臭気(におい)烈(はげ)しく立(た)ち渡(わた)れり。
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
笹村も、一度経験したことのある、お産の時のあの甘酸ッぱいような血腥(ちなまぐさ)いような臭気(におい)が、時々鼻を衝(つ)いて来るように思えてならなかった。
黴 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
……ああ何という凄惨な、冷血な、あくどい執念深い闘争(たたかい)であろう。……魂から滴(したた)り落ちる血と汗の臭気(におい)がわかるような……。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
囲炉裏の縁(ふち)へ乗せて、ぴちりと親指の爪で圧(お)し潰(つぶ)したら、云うに云われぬ青臭い虫であった。この青臭い臭気(におい)を嗅(か)ぐと、何となく好い心持になる。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あの臭気(におい)を嗅(か)ぎますと、身体(からだ)が痩(や)せるように思いますので、とうとう身体を悪くしてしまって、帰って来ております
早い話がすべての人が彼に取っては種々な品物の臭気(におい)に過ぎなかった、親分の藤吉は柚子味噌(ゆずみそ)、兄分の勘弁勘次は佐倉炭、角の海老床の親方が日向(ひなた)の油紙(ゆし)
縁端(えんがわ)から、台所に出て真闇の中をそっと覗(のぞ)くと、臭気(におい)のある冷たい空気が気味悪く顔を掠(かす)めた。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
てっぺんから孔のあいたお釜帽子に、煤いろの襤褸(ぼろ)の腐れ鰊(にしん)の臭気(におい)でも放ちそうなのに、縄帯をだらしなく前結びにして、それも画(か)きちらした髯むじゃの黒い胸をはだけ、手も足も
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
何だろう、何の臭気(におい)だろう。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
かくして後(のち)、思い思いに敵を見立てて渡合う。例の口汚(くちぎたな)の女房は、若手の令嬢組の店頭(みせさき)に押立(おった)ち、口中得(え)ならぬ臭気(におい)を吐きて
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
頻りに鼻をヒコ付かせて、その臭気(におい)のする方向へ近附いて行くうちに味噌の臭気(におい)がだんだんハッキリとなって来た。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
何か、身に合う仕事はないものかなど私はいいますと、重吉は、「あの臭気(におい)を嗅がない仕事なら何んでもします。もう二度と花川戸へ帰る気もしません」
気の遠くなるような黒土の臭気(におい)は紛(ぷん)として、鼻を衝(つ)くのでした……板橋村を離れて、旅人の群にも逢いました。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
下(しも)の方からは厭な臭気(におい)が立って、爪(つめ)や唇に血の色がなかった。腹膜、心臓、そんなような余病も加わって来た。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
厩(うまや)のように、馬と同居しているのですから、ムッとした臭気(におい)が鼻をおそう。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
とちょうど寄合わせた時、少し口惜(くやし)いようにも思って、突懸(つっかか)って言った、が、胸を圧(おさ)えた。可厭(いや)なその臭気(におい)ったら無いもの。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
どうかすると、若い女の髪が蒸されるとも、身体(からだ)が燃えるともつかないような、今まで気のつかなかった、極(ご)く極く幽(かす)かな臭気(におい)が、彼の鼻の先へ匂って来る。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その中から放散する小便のような、腐った魚のようなあたたかい臭気(におい)が夜具の中一パイに籠(こ)もっています。
卵 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
鉄の錆のような臭気(におい)に狭い家のなかは咽(む)せ返るようだった。
雪隠で詰腹(つめばら)を切る体(てい)だね、誠にはやなんとも謂われねえ臭気(におい)だぞ、豪傑に支(つか)えたと見えてここらじとじとする。薄汚(うすぎたね)え。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし飯山地方に古めかしい宗教的の臭気(におい)が残っていて、二十何ヵ所の寺院が仮令(たとえ)維持の方法に苦みながらも旧態を保存しているということは、偶然でない。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
当り前なら法律と算盤(そろばん)の前には頭を下げる事にきめている吾輩だったが、あの時には、前の日に死んだ友吉おやじのヒネクレ根性が、爆薬の臭気(におい)とゴッチャになって
爆弾太平記 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
摘み上げて嗅いでみたが、臭気(におい)もしない。
怪しき臭気(におい)、得(え)ならぬものを蔽(おお)うた、藁(わら)も蓆(むしろ)も、早や路傍(みちばた)に露骨(あらわ)ながら、そこには菫(すみれ)の濃いのが咲いて、淡(うす)いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まだ一方には鉋屑(かんなくず)の臭気(におい)などがしていた。湯場は新開の畠に続いて、硝子(ガラス)窓の外に葡萄棚(ぶどうだな)の釣ったのが見えた。青黒く透明な鉱泉からは薄い湯気が立っていた。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
座敷は両側とも雨戸を閉めて、蚊帳(かや)が一パイに釣ってあるので、化物屋敷のように暗い上に、黴臭(かびくさ)いような、小便臭いような臭気(におい)が、足を踏み込むと同時にムッとした。
空を飛ぶパラソル (新字新仮名) / 夢野久作(著)
抜いて持つた釵(かんざし)、鬢摺(びんず)れに髪に返さうとすると、呀(や)、する毎(ごと)に、手の撓(しな)ふにさへ、得(え)も言はれない、異(い)な、変な、悪臭(わるぐさ)い、堪(たま)らない、臭気(におい)がしたのであるから。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ともかくも吉左衛門は役目を果たしたが、同時に勘定所の役人たちがいやな臭気(におい)をもかいで帰って来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中には四五日前の通りに味噌桶が行列して、黴臭(かびくさ)い味噌の臭気(におい)がムンムンする程籠もっていた。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
抜いて持った釵(かんざし)、鬢(びん)摺(ず)れに髪に返そうとすると、や、するごとに、手の撓(しな)うにさえ、得も言われない、異な、変な、悪臭い、堪(たま)らない、臭気(におい)がしたのであるから。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鼻を衝(つ)くような惨酷な土の臭気(におい)を嗅(か)いだその時の心の経験の記憶は、恐らく岸本に取って一生忘れることの出来ないものだ。過ぐる年月の間の恐ろしいたましいの動揺。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その頃までは日本人しか使わない麦味噌の臭気(におい)がするとは……ハテ……面妖な……と思ったのが大金儲(おおがねもうけ)の緒(いとぐち)であったとは流石(さすが)にカンのいい千六も、この時まだ気付かなかったであろう。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ぼんやりと小さく蹲(しゃが)んで、ト目に着くと可厭(いや)な臭気(におい)がする、……地(つち)へ打坐(ぶっすわ)ってでもいるかぐらい、ぐしゃぐしゃと挫(ひしゃ)げたように揉潰(もみつぶ)した形で、暗いから判然(はっきり)せん。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その田圃側(たんぼわき)は、高瀬が行っては草を藉(し)き、土の臭気(におい)を嗅ぎ、百姓の仕事を眺め、畠の中で吸う嬰児(あかんぼ)の乳の音を聞いたりなどして、暇さえあれば歩き廻るのを楽みとするところだ。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あとから跟(つ)いて行くのは乞食体(てい)の不快(いや)な臭気(におい)のする老爺(じい)。
壺には念入りに鉄漿を充(みた)してあるので、極熱(ごくねつ)の気に蒸れて、かびたような、すえたような臭気(におい)が湧く。
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ビッショリ汗をかきながら家へ戻って見ると、その年も畠に咲いた馬鈴薯の白い花がうなだれていた。雨に打たれる乾いた土の臭気(におい)は新しい書籍を並べた彼の勉強部屋までも入って来た。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
堪(たま)らない。幾日(いくか)経(た)ったんだか、べろべろに毛が剥(は)げて、羽がぶらぶらとやっと繋(つなが)って、地(じ)へ摺(す)れて下ってさ、頭なんざ爛(ただ)れたようにべとべとしている、その臭気(におい)だよ。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
生臭(なまぐさ)い血の臭気(におい)はひしひしと迫って来る夜の空気にまじって一同の鼻をついた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
……城の石垣に於て、大蛇(おおへび)と捏合(こねお)うた、あの臭気(におい)が脊筋(せすじ)から脇へ纏(まと)うて、飛ぶほどに、駈(か)けるほどに、段々堪(たま)らぬ。よつて、此の大盥(おおだらい)で、一寸(ちょっと)行水(ぎょうずい)をばちや/\遣(や)つた。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
いえ、そういうわけでもございませんが、吾家(うち)のお袋なぞはもう驚いております。牛の臭気(におい)がこもるのは困るなんて、しきりにそんなことを申しまして。この神奈川には、あなた、肉屋の前を
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
美女 潮風、磯(いそ)の香、海松(みる)、海藻(かじめ)の、咽喉(のど)を刺す硫黄(いおう)の臭気(におい)と思いのほか、ほんに、清(すず)しい、佳(い)い薫(かおり)、(柔(やわらか)に袖を動かす)……ですが、時々、悚然(ぞっと)する、腥(なまぐさ)い香のしますのは?……
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これはそう細いという方でもないが、何処(どこ)か成島柳北(なるしまりゅうほく)の感化を思わせる心の持方で、放肆(ほしいまま)な男女(おとこおんな)の臭気(におい)を嗅(か)ぐような気のすることまで、包まず掩(おお)わずに記しつけてある。思いあたる事実(こと)もある。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
其の事を謂(い)ふ毎(ごと)に、姉は面(おもて)を蔽(おお)ふ習慣(ならい)、大方其(そ)の者(もの)等(ら)の身体(からだ)から姉の顔を掠(かす)めて、暖簾(のれん)を潜(くぐ)つて、部屋(ここ)まで飛込(とびこ)んで来たのであらう、……其よ、謂(い)ひやうのない厭(いや)な臭気(におい)がするから。
蠅を憎む記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
とやっぱり芬(ぷん)とする懐中(ふところ)の物理書が、その途端に、松葉の燻(いぶ)る臭気(におい)がし出した。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
力なく引手に手をかけ、裳(もすそ)を高く掻(か)い取って、ドンと圧(お)すと、我ながら、蹴出(けだし)の褄(つま)も、ああ、晴がましや、ただ一面に鼠の霧、湯花の臭気(におい)面(おもて)を打って、目をも眉をも打蔽(うちおお)う土蜘蛛(つちぐも)の巣に異ならず。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)