つゞ)” の例文
おそかなおのれより三歳みつわか山田やまだすで竪琴草子たてごとざうしなる一篇いつぺんつゞつて、とうからあたへつ者であつたのは奈何どうです、さうふ物を書いたから
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
眞珠太夫はうは言のやうに言つて、長い睫毛まつげが涙をつゞるのです。蒼白い高貴な顏、これはいかなる身分の者であつても恥かしくない相です。
滋幹の日記が母恋しさの餘りにつゞられた文章のような観があるのも道理であって、現存しているのは断片的な部分々々に過ぎないけれども
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
我見しに、かの光の奧には、あまねく宇宙にひらとなりて分れ散るもの集り合ひ、愛によりてひとつまきつゞられゐたり 八五—八七
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
かね一ツうれぬ日はなし江戸の春とは幕府ばくふ盛世さかんなる大都會の樣をわづか十七文字につゞりたる古人の秀逸にして其町々の繁昌はことば
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
春星しゆんせいかげよりもかすかに空をつゞる。微茫月色びばうげつしよく、花にえいじて、みつなる枝は月をとざしてほのくらく、なる一枝いつしは月にさし出でゝほの白く、風情ふぜい言ひつくがたし。
花月の夜 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
無論むろん讀書人どくしよじん夏目漱石なつめさうせき勝負事しようぶごとには感興かんきようつてゐなかつたのであらうが、それは麻雀競技マアジヤンきやうぎはなは漠然ばくぜんとした、斷片的だんぺんてき印象いんしよう數行すうぎやうつゞつたのにぎない。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
打ち明けるならば三千代が平岡へとつぐ前に打ち明けなければならない筈であつた。彼はなみだなみだあひだをぼつ/\つゞる三千代の此一語を聞くに堪えなかつた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
私は雑誌の主幹R先生の情にすがり、社に居残つて生活費まで貰ひ、処方による薬をんで衰へた健康の養生に意を注いだ。そして暇にまかせて自叙伝をつゞつた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
進んで答ふらく、「其の方法は五倫五常の道を守るに在ります」と。翁は頭をつて曰ふ、否々いな/\、そは金看板きんかんばんなり、表面うはべかざりに過ぎずと。因つて、左の訓言をつゞりて與へられたりと。
遺教 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
又大阪の今宮という処に心中があった時に、ある狂言作者がたくみにこれをつゞり、標題をなんとしたらかろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛みよししょうらくもとへ行って
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
養生やうじやう榮燿えいやうやうおもふは世上せじやう一般いつぱん習慣ならはしなり。いまへる養生法やうじやうはふは、いかなる貧人ひんじん、いかなる賤業せんげふひとにても、日夜にちやこゝろそゝげば出來できことなり。よつその大意たいい三首さんしゆ蜂腰ほうえうつゞることしかり。
養生心得草 (旧字旧仮名) / 関寛(著)
あかひたひあをほゝ——からうじてけむりはらつたいとのやうな殘月ざんげつと、ほのほくもと、ほこりのもやと、……あひだ地上ちじやうつゞつて、めるひともないやうな家々いへ/\まがきに、朝顏あさがほつぼみつゆかわいてしをれつゝ
露宿 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
不幸ふかう彼女かのぢよぬぐふことの出來できない汚點しみをその生涯しやうがいにとゞめた。さうしてその汚點しみたいするくゐは、彼女かのぢよこれまでを、さうしてまた此先このさきをも、かくて彼女かのぢよの一しやうをいろ/\につゞつてくであらう。
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
それがためにものしたりあなをあけるきりるい、ことに毛皮けがはだとかものだとかを、つたりつゞあはせたりするためには、いしきりかたくてもをれやすくてだめですから、それにはどうしても
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
葉マキ虫の葉をつゞりてぬる如く、一同皆蒲団ふとんくるまりて一睡す。
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
羽二重の赤玉あかだまつゞつた花よ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
文章をつゞつたといふことは、曲者の並々ならぬ太さですが、同時に吉三郎殺しは、房吉ではないといふ證據にもなるのでした。
例に依ってこま/″\と思いのたけを書きつゞったあとに、せめて私はあなたが此の文を御覧下すったかどうか、それだけでも知りたいのです、決してねんごろな御言葉をとは申しません
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
食卓しよくたくは、人数にんず人数にんずだけに、左程大きくはなかつた。部屋のひろさに比例して、むしすぎる位であつたが、純白じゆんぱくな卓布を、取り集めた花でつゞつて、其中そのなか肉刀ナイフ肉匙フオークいろえてかゞやいた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
江戸の町々がすつかり青葉につゞられて、時鳥ほとゝぎす初鰹はつがつをが江戸ツ子の詩情と味覺をそゝる頃のことです。
老後のつれ/″\にりし世の事どもをおもいだして書きつゞったと云う風に見えるが、しかし「念佛を申すよりほかのいとなみもない」尼の身が、なんの目的でこれを書く気になったのだろう。
世間は五月になつたばかり、町々は青葉につゞられて、その頃の江戸はさながらの田園都市でした。
藁蘂わらしべで結つた油氣のない髮は、半分白髮が交つて、多年日光の下で燒き上げた澁紙色の皮膚、遠州じまの單衣の尻を端折つて、淺葱色あさぎいろの股引は海藻もくづつゞつたやうにつぎだらけです。
江戸の町が青葉でつゞられて、薫風くんぷう五月さつきの陽光が長屋の隅々まで行き渡るある朝のこと
江戸の四月、神田の家並も若葉につゞられて、何處からともなく飼鶯かひうぐひすの聲が聞えます。
薄墨の書いた起請きしようが十三通、外にとろけさうな文句をつゞつた日文が三百幾十本となり、このまゝ諦めるにしては、二人の仲はあまりにも深間過ぎて、暗討まで仕掛けられた吾妻屋永左衞門にしても
とあはれ深くつゞつてあるのです。