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佐渡
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さど
ふりがな文庫
“
佐渡
(
さど
)” の例文
北陸道といえば
佐渡
(
さど
)
もそのうちに含まれているわけなれども、佐渡には一種特別の迷信があるから、項目を別置して掲ぐることにした。
迷信と宗教
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
そう思ったから、僕はますます落着きはらっているところを見せるために、泳ぎながら
佐渡
(
さど
)
おけさを歌ったり、
草津節
(
くさつぶし
)
を
呻
(
うな
)
ったりした。
海底都市
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
まだ
宵
(
よい
)
のうちは帳場の蓄音機が人寄せの
佐渡
(
さど
)
おけさを繰り返していると、ぽつぽつ付近の丘の上から別荘の人たちが見物に出かけて来る。
沓掛より
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
汲
(
くみ
)
て
參
(
まゐ
)
りし者は當時は拙者弟子なれども元は
師匠
(
ししやう
)
天道
(
てんだう
)
が弟子にて
渠
(
かれ
)
は師匠が未だ
佐渡
(
さど
)
の
淨覺院
(
じやうがくゐん
)
の持主たりし時門前に
捨
(
す
)
て有しを
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
それで土地によっては連尺を
背負子
(
しょいこ
)
の手ともいい(
三宅島
(
みやけじま
)
)、あるいはまた
荷繩
(
になわ
)
のことだというものもある(
佐渡
(
さど
)
)のである。
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
▼ もっと見る
出雲崎
(
いづもざき
)
は、
越後
(
ゑちご
)
の国の、日本海岸にある、帯のやうに細長い港町である。そこからは海の水平線の上に、
佐渡
(
さど
)
ヶ
島
(
しま
)
がぽつかり浮かんでゐるのが毎日見える。
良寛物語 手毬と鉢の子
(新字旧仮名)
/
新美南吉
(著)
この島はまたの名を
天一
(
あめひと
)
つ
柱
(
はしら
)
といいます。次に
對馬
(
つしま
)
をお生みになりました。またの名をアメノサデヨリ姫といいます。次に
佐渡
(
さど
)
の島をお生みになりました。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
それには十一宿あてのお救いお手当て金下付のことが
認
(
したた
)
めてあって、
駿河
(
するが
)
佐渡
(
さど
)
二奉行の署名もしてある。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
私
(
わたし
)
は
佐渡
(
さど
)
と
云
(
い
)
ふ
所
(
ところ
)
は、
上野
(
うへの
)
から
碓氷
(
うすひ
)
を
越
(
こ
)
えて、
雪
(
ゆき
)
の
柏原
(
かしはばら
)
、
關山
(
せきやま
)
、
直江津
(
なほえつ
)
まはりに
新潟邊
(
にひがたへん
)
から、
佐渡
(
さど
)
は
四十五里
(
しじふごり
)
波
(
なみ
)
の
上
(
うへ
)
、と
見
(
み
)
るか、
聞
(
き
)
きかするものだ、と
浮
(
うつか
)
りして
居
(
ゐ
)
た。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
「うむ、知っておる。
伊予
(
いよ
)
松山の
八百八狸
(
はっぴゃくやたぬき
)
、
佐渡
(
さど
)
の
団三郎狸
(
だんざぶろうたぬき
)
……讃岐の禿狸といえば、大した顔だ」
顎十郎捕物帳:17 初春狸合戦
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
芭蕉翁が
奥
(
おく
)
に
行脚
(
あんぎや
)
のかへるさ越後に入り、
新潟
(
にひがた
)
にて「海に
降
(
ふ
)
る雨や
恋
(
こひ
)
しきうき
身宿
(
みやど
)
」
寺泊
(
てらどまり
)
にて「
荒海
(
あらうみ
)
や
佐渡
(
さど
)
に
横
(
よこ
)
たふ天の川」これ夏秋の
遊杖
(
いうぢやう
)
にて越後の雪を見ざる事
必
(
ひつ
)
せり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
また
頭髪
(
とうはつ
)
を洗うにも使われ、またあるいは
風呂
(
ふろ
)
に入れて入浴する人もある。すなわち毒を除くというのが主である。
佐渡
(
さど
)
ではドクマクリというそうだが、これは毒を追い出す意味であろう。
植物知識
(新字新仮名)
/
牧野富太郎
(著)
浪
(
なみ
)
さやぐ
佐渡
(
さど
)
には、色も定かならぬさき織を着て漁師共の
眼
(
め
)
にあらわれ玉いけるが
業平侯爵
(
なりひらこうしゃく
)
も
程
(
ほど
)
経て
踵
(
かかと
)
小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに
値偶
(
ちぐう
)
せられけるよし。
風流仏
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
「島抜けッて! お前さん、
佐渡
(
さど
)
でも破って来なすったことがあるのかえ?」
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
それは主として若林甫舟、中川雀子、川上喚濤の三氏を始め、その他多くの方々の
倦
(
う
)
まざる努力に依るのです。この半歳の間
佐渡
(
さど
)
で見出された仏躰凡そ三十個、書軸六十余本の多きに達しました。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
汽船は
錨
(
いかり
)
を巻いて、大急ぎで
佐渡
(
さど
)
へと逃げねばならないのであった。
海に生くる人々
(新字新仮名)
/
葉山嘉樹
(著)
長岡
佐渡
(
さど
)
は、度々この寺へ姿を見せる
大檀那
(
おおだんな
)
の一人だった。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐渡
(
さど
)
の三つの島をお作りになりました。
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
あら海や
佐渡
(
さど
)
に横たふ天の川 芭蕉
俳諧大要
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
宿
(
やど
)
し奉つり
御形見
(
おんかたみ
)
等を
頂戴
(
ちやうだい
)
し將監方を
暇
(
いとま
)
を取生國は
佐渡
(
さど
)
なれば則ち佐州へ
老母諸共
(
らうぼもろとも
)
に立歸りしが
其後
(
そののち
)
澤の井殿には
若君
(
わかぎみ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
佐渡
(
さど
)
の島は色々と古い言葉の
遺
(
のこ
)
っている土地であるが、
彼処
(
あそこ
)
にもまだコキバシまたはコイバシという名だけはあった。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「
佐渡
(
さど
)
」でも「天の川」でも同様である。いったいに俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。
俳句の精神
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
昔
(
むかし
)
彼
(
か
)
の
文覺
(
もんがく
)
と
云
(
い
)
ふ
荒法師
(
あらほふし
)
は、
佐渡
(
さど
)
へ
流
(
なが
)
される
船路
(
みち
)
で、
暴風雨
(
あれ
)
に
會
(
あ
)
つたが、
船頭水夫共
(
せんどうかこども
)
が
目
(
め
)
の
色
(
いろ
)
を
變
(
か
)
へて
騷
(
さわ
)
ぐにも
頓着
(
とんぢやく
)
なく、
大
(
だい
)
の
字
(
じ
)
なりに
寢
(
ね
)
そべつて、
雷
(
らい
)
の
如
(
ごと
)
き
高鼾
(
たかいびき
)
ぢや。
旅僧
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
芭蕉翁が
奥
(
おく
)
に
行脚
(
あんぎや
)
のかへるさ越後に入り、
新潟
(
にひがた
)
にて「海に
降
(
ふ
)
る雨や
恋
(
こひ
)
しきうき
身宿
(
みやど
)
」
寺泊
(
てらどまり
)
にて「
荒海
(
あらうみ
)
や
佐渡
(
さど
)
に
横
(
よこ
)
たふ天の川」これ夏秋の
遊杖
(
いうぢやう
)
にて越後の雪を見ざる事
必
(
ひつ
)
せり。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
次に
津島
(
つしま
)
一八
を生みたまひき。またの名は
天
(
あめ
)
の
狹手依比賣
(
さでよりひめ
)
といふ。次に
佐渡
(
さど
)
の島を生みたまひき。次に
大倭豐秋津
(
おほやまととよあきつ
)
島
一九
を生みたまひき。またの名は
天
(
あま
)
つ
御虚空豐秋津根別
(
みそらとよあきつねわけ
)
といふ。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
北陸道というのは、
若狭
(
わかさ
)
、
越前
(
えちぜん
)
、これが福井県。
加賀
(
かが
)
、
能登
(
のと
)
、これが石川県。
越中
(
えっちゅう
)
、これが
富山
(
とやま
)
県。
越後
(
えちご
)
、
佐渡
(
さど
)
、これが
新潟
(
にいがた
)
県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「
越
(
こし
)
」の国と呼びました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
荒海や
佐渡
(
さど
)
に
横
(
よこた
)
ふ天の川 同
俳人蕪村
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
佐渡
(
さど
)
と
熊野
(
くまの
)
と
淡路
(
あわじ
)
などに、ホドと最も近いヒドコという語があって、すべて今風の塗りベッツヒを意味している。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
よくせき
土地
(
とち
)
が
不漁
(
しけ
)
と
成
(
な
)
れば、
佐渡
(
さど
)
から
新潟
(
にひがた
)
へ……と
聞
(
き
)
いた
時
(
とき
)
は、
枕返
(
まくらがへ
)
し、と
云
(
い
)
ふ
妖怪
(
ばけもの
)
に
逢
(
あ
)
つたも
同然
(
どうぜん
)
、
敷込
(
しきこ
)
んだ
布團
(
ふとん
)
を
取
(
と
)
つて、
北
(
きた
)
から
南
(
みなみ
)
へ
引
(
ひつ
)
くりかへされたやうに
吃驚
(
びつくり
)
した。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
一例として「荒海や
佐渡
(
さど
)
に横とう天の川」という句をとって考えてみる。西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと思って見れば、これは実につまらない短い記載的なセンテンスである。
俳句の精神
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
後の
證據
(
しようこ
)
として下し置れしが澤の井儀は
元
(
もと
)
佐渡
(
さど
)
出生
(
しゆつしやう
)
の者故老母諸共生國佐州へ
歸
(
かへ
)
り間もなく御安産なりしが
産後
(
さんご
)
の
血暈
(
ちのみち
)
にて
肥立
(
ひだち
)
かね澤の井樣には相果られ其後は
老母
(
らうぼ
)
の手にて
養育
(
やういく
)
申上しが又候老母も病氣にて若君の御
養育
(
やういく
)
相屆
(
あひとゞ
)
かず即は
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
佐渡
(
さど
)
は矢田氏の『方言集』には、ユリナタベンケイという語があって、そのユリナタはまた炉端のことである。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
百人一首
(
ひやくにんいつしゆ
)
のお
孃
(
ぢやう
)
さんの、「いくのの
道
(
みち
)
」もそれか、と
辿
(
たど
)
つて、はる/″\と
來
(
き
)
た
城崎
(
きのさき
)
で、
佐渡
(
さど
)
の
沖
(
おき
)
へ
船
(
ふね
)
が
飛
(
と
)
んで、キラリと
飛魚
(
とびうを
)
が
刎出
(
はねだ
)
したから、きたなくも
怯
(
おびや
)
かされたのである。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
佐渡
(
さど
)
の島などは
薪
(
まき
)
を千把、山の頂上で燃やす雨乞いがあって、それを千把焚きといっていた。
母の手毬歌
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
冬分
(
ふゆぶん
)
は
往々
(
わう/\
)
敦賀
(
つるが
)
から
來
(
き
)
た
船
(
ふね
)
が、
其處
(
そこ
)
に
金石
(
かないは
)
を
見
(
み
)
ながら、
端舟
(
はしけ
)
の
便
(
べん
)
がないために、
五日
(
いつか
)
、
七日
(
なぬか
)
も
漾
(
たゞよ
)
ひつゝ、
果
(
はて
)
は
佐渡
(
さど
)
ヶ
島
(
しま
)
へ
吹放
(
ふきはな
)
たれたり、
思切
(
おもひき
)
つて、もとの
敦賀
(
つるが
)
へ
逆戻
(
ぎやくもど
)
りする
事
(
こと
)
さへあつた。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
たとえば
曲亭馬琴
(
きょくていばきん
)
の『
烹雑
(
にまぜ
)
の
記
(
き
)
』という随筆に、
佐渡
(
さど
)
ヶ
島
(
しま
)
の記事がやや詳しく載せられ、浜に流れ寄るくさぐさの異郷の産物の中に、
椰子藻珠
(
やしもだま
)
などが有ることを
誌
(
しる
)
している。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
佐渡
(
さど
)
じゃ
蚯蚓
(
みみず
)
が
糞
(
ふん
)
にひるという、近代の俗謡にもあるように、この東方の
珊瑚礁
(
さんごしょう
)
間の島々では、
腰蓑
(
こしみの
)
一つであるき廻ったほどの自然児が、
暇
(
ひま
)
にまかせて朝夕に
採
(
と
)
っては
緒
(
お
)
に
繋
(
つな
)
ぎ
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
この遊戯が近ごろまで行なわれていたのはだいたいに九州と四国、ことに福岡と愛媛の二県は、各郡市残らずというほどに分布しているが、東の方も千葉県の東海岸、
越後
(
えちご
)
佐渡
(
さど
)
にまで及んでいた。
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
“佐渡”の意味
《固有名詞》
佐渡 (さど)
新潟県に属する島。
佐渡におかれた令制国。佐渡国。
新潟県佐渡市。
(出典:Wiktionary)
佐
常用漢字
小4
部首:⼈
7画
渡
常用漢字
中学
部首:⽔
12画
“佐渡”で始まる語句
佐渡島
佐渡平
佐渡守
佐渡屋和平
佐渡丸
佐渡国
佐渡夷
佐渡屋
佐渡牛
佐渡奉行