佐渡さど)” の例文
北陸道といえば佐渡さどもそのうちに含まれているわけなれども、佐渡には一種特別の迷信があるから、項目を別置して掲ぐることにした。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
そう思ったから、僕はますます落着きはらっているところを見せるために、泳ぎながら佐渡さどおけさを歌ったり、草津節くさつぶしうなったりした。
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
まだよいのうちは帳場の蓄音機が人寄せの佐渡さどおけさを繰り返していると、ぽつぽつ付近の丘の上から別荘の人たちが見物に出かけて来る。
沓掛より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
くみまゐりし者は當時は拙者弟子なれども元は師匠ししやう天道てんだうが弟子にてかれは師匠が未だ佐渡さど淨覺院じやうがくゐんの持主たりし時門前にて有しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それで土地によっては連尺を背負子しょいこの手ともいい(三宅島みやけじま)、あるいはまた荷繩になわのことだというものもある(佐渡さど)のである。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
出雲崎いづもざきは、越後ゑちごの国の、日本海岸にある、帯のやうに細長い港町である。そこからは海の水平線の上に、佐渡さどしまがぽつかり浮かんでゐるのが毎日見える。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
この島はまたの名を天一あめひとはしらといいます。次に對馬つしまをお生みになりました。またの名をアメノサデヨリ姫といいます。次に佐渡さどの島をお生みになりました。
それには十一宿あてのお救いお手当て金下付のことがしたためてあって、駿河するが佐渡さど二奉行の署名もしてある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたし佐渡さどところは、上野うへのから碓氷うすひえて、ゆき柏原かしはばら關山せきやま直江津なほえつまはりに新潟邊にひがたへんから、佐渡さど四十五里しじふごりなみうへ、とるか、きかするものだ、とうつかりしてた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「うむ、知っておる。伊予いよ松山の八百八狸はっぴゃくやたぬき佐渡さど団三郎狸だんざぶろうたぬき……讃岐の禿狸といえば、大した顔だ」
芭蕉翁がおく行脚あんぎやのかへるさ越後に入り、新潟にひがたにて「海にる雨やこひしきうき身宿みやど寺泊てらどまりにて「荒海あらうみ佐渡さどよこたふ天の川」これ夏秋の遊杖いうぢやうにて越後の雪を見ざる事ひつせり。
また頭髪とうはつを洗うにも使われ、またあるいは風呂ふろに入れて入浴する人もある。すなわち毒を除くというのが主である。佐渡さどではドクマクリというそうだが、これは毒を追い出す意味であろう。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
なみさやぐ佐渡さどには、色も定かならぬさき織を着て漁師共のにあらわれ玉いけるが業平侯爵なりひらこうしゃくほど経てかかと小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに値偶ちぐうせられけるよし。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「島抜けッて! お前さん、佐渡さどでも破って来なすったことがあるのかえ?」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
それは主として若林甫舟、中川雀子、川上喚濤の三氏を始め、その他多くの方々のまざる努力に依るのです。この半歳の間佐渡さどで見出された仏躰凡そ三十個、書軸六十余本の多きに達しました。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
汽船はいかりを巻いて、大急ぎで佐渡さどへと逃げねばならないのであった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
長岡佐渡さどは、度々この寺へ姿を見せる大檀那おおだんなの一人だった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐渡さどの三つの島をお作りになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
あら海や佐渡さどに横たふ天の川 芭蕉
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
宿やどし奉つり御形見おんかたみ等を頂戴ちやうだいし將監方をいとまを取生國は佐渡さどなれば則ち佐州へ老母諸共らうぼもろともに立歸りしが其後そののち澤の井殿には若君わかぎみ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
佐渡さどの島は色々と古い言葉ののこっている土地であるが、彼処あそこにもまだコキバシまたはコイバシという名だけはあった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
佐渡さど」でも「天の川」でも同様である。いったいに俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。
俳句の精神 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
むかし文覺もんがく荒法師あらほふしは、佐渡さどながされる船路みちで、暴風雨あれつたが、船頭水夫共せんどうかこどもいろへてさわぐにも頓着とんぢやくなく、だいなりにそべつて、らいごと高鼾たかいびきぢや。
旅僧 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
芭蕉翁がおく行脚あんぎやのかへるさ越後に入り、新潟にひがたにて「海にる雨やこひしきうき身宿みやど寺泊てらどまりにて「荒海あらうみ佐渡さどよこたふ天の川」これ夏秋の遊杖いうぢやうにて越後の雪を見ざる事ひつせり。
次に津島つしま一八を生みたまひき。またの名はあめ狹手依比賣さでよりひめといふ。次に佐渡さどの島を生みたまひき。次に大倭豐秋津おほやまととよあきつ一九を生みたまひき。またの名はあま御虚空豐秋津根別みそらとよあきつねわけといふ。
北陸道というのは、若狭わかさ越前えちぜん、これが福井県。加賀かが能登のと、これが石川県。越中えっちゅう、これが富山とやま県。越後えちご佐渡さど、これが新潟にいがた県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「こし」の国と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
荒海や佐渡さどよこたふ天の川 同
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
佐渡さど熊野くまの淡路あわじなどに、ホドと最も近いヒドコという語があって、すべて今風の塗りベッツヒを意味している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
よくせき土地とち不漁しければ、佐渡さどから新潟にひがたへ……といたときは、枕返まくらがへし、と妖怪ばけものつたも同然どうぜん敷込しきこんだ布團ふとんつて、きたからみなみひつくりかへされたやうに吃驚びつくりした。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一例として「荒海や佐渡さどに横とう天の川」という句をとって考えてみる。西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと思って見れば、これは実につまらない短い記載的なセンテンスである。
俳句の精神 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
後の證據しようことして下し置れしが澤の井儀はもと佐渡さど出生しゆつしやうの者故老母諸共生國佐州へかへり間もなく御安産なりしが産後さんご血暈ちのみちにて肥立ひだちかね澤の井樣には相果られ其後は老母らうぼの手にて養育やういく申上しが又候老母も病氣にて若君の御養育やういく相屆あひとゞかず即は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
佐渡さどは矢田氏の『方言集』には、ユリナタベンケイという語があって、そのユリナタはまた炉端のことである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
百人一首ひやくにんいつしゆのおぢやうさんの、「いくののみち」もそれか、と辿たどつて、はる/″\と城崎きのさきで、佐渡さどおきふねんで、キラリと飛魚とびうを刎出はねだしたから、きたなくもおびやかされたのである。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
佐渡さどの島などはまきを千把、山の頂上で燃やす雨乞いがあって、それを千把焚きといっていた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
冬分ふゆぶん往々わう/\敦賀つるがからふねが、其處そこ金石かないはながら、端舟はしけ便べんがないために、五日いつか七日なぬかたゞよひつゝ、はて佐渡さどしま吹放ふきはなたれたり、思切おもひきつて、もとの敦賀つるが逆戻ぎやくもどりすることさへあつた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
たとえば曲亭馬琴きょくていばきんの『烹雑にまぜ』という随筆に、佐渡さどしまの記事がやや詳しく載せられ、浜に流れ寄るくさぐさの異郷の産物の中に、椰子藻珠やしもだまなどが有ることをしるしている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
佐渡さどじゃ蚯蚓みみずふんにひるという、近代の俗謡にもあるように、この東方の珊瑚礁さんごしょう間の島々では、腰蓑こしみの一つであるき廻ったほどの自然児が、ひまにまかせて朝夕にってはつな
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この遊戯が近ごろまで行なわれていたのはだいたいに九州と四国、ことに福岡と愛媛の二県は、各郡市残らずというほどに分布しているが、東の方も千葉県の東海岸、越後えちご佐渡さどにまで及んでいた。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)