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相屆
後の
證據として下し置れしが澤の井儀は
元佐渡出生の者故老母諸共生國佐州へ
歸り間もなく御安産なりしが
産後の
血暈にて
肥立かね澤の井樣には相果られ其後は
老母の手にて
養育申上しが又候老母も病氣にて若君の御
養育相屆かず即は
相屆ける頃は
享保十一午年九月廿日天一坊が京都出立の
行列は
先供は例の如く赤川大膳と藤井左京の
兩人一日代りの積りにて其供方には
徒士若黨四人づつ
長棒の
駕籠に
陸尺八人
跡箱二人
鎗長柄傘杖草履取兩掛合羽籠等なり其跡は天一坊の同勢にて
眞先なる
白木の長持には
葵の
御紋を