以前もと)” の例文
清之介君は頭を抱えて再び以前もとの姿勢に戻っていた。妙子さんは身をくねって覗き込み、机の上にポタ/\と涙が落ちるのを見た時
女婿 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
悲しい事実も、盛時さかりの彼女には悲話は深刻なだけ、より彼女が特異の境遇におかれるので、彼女は以前もとから隠そうとはしなかった。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それは/\お気の毒なことだ、貴方あなた以前もとはお旗下はたもとかね。乞「いえ/\。主「ンー……南蛮砂張なんばんすばり建水みづこぼしは、是品これ遠州ゑんしう箱書はこがきではないかえ。 ...
折った前歯は入歯によって以前もと通りにすることが出来た。が、頬の傷はそうは行かなかった。あとまで長く痕になって残った。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
他人ひとのうわさをすれば必ず『彼奴きゃつ常識コンモンセンスが乏しい』とか、『あれは事務家だえらいところがある』など評し、以前もとの話が出ると赤い顔をして
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
……それにお吉様何んと申しても、以前もとは九十郎と縁あったお方、ひょっとかすると現在の、九十郎の在所ありかご存知やもしれず
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
他事ほかぢやねえが、猪子で俺は思出した。以前もと師範校の先生で猪子といふ人が有つた。今日の御客様は彼人あのひととは違ふか。』
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
と、その男は幾らか気味も悪かつたので、一冊だけですつかり絶念あきらめて、また以前もとのやうに墓へ土をかけて置いたさうだ。
一方に入口の扉を以前もとの通りに厳重にとざし終った若林博士は、解剖台の前に突立ったまま、黒い覆面の上から汗を押え押え息を切らしております。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その夜は別に苦しみという事はないけれどもやはり足も手も麻痺まひしてしまって感覚のない事は以前もとの通りであります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
斯う言つて多吉は無邪気な笑ひをもらした。それにつれて皆笑つた。危く破れんとした平和は何うやら以前もとに還つた。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
いはれると以前もと不出來ふでかしをかんがしていよ/\かほがあげられぬ、なん此身このみになつて今更いまさらなにをおもふものか、めしがくへぬとてもれは身體からだ加減かげんであらう
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
プセットも以前もとは綺麗な猫で、毛並がつやつやして丸々と肥っていたので、近所の人がよく口をかけたものだ。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
また以前もとの通り何処に心があるのやら分らなかった。するとまた暫く経って、「定ったらあなたに手紙を上げますから、そうしたら何うかして下さいな。」
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
頭巾ずきんであれ、腰巻きであれ、外套であれ、長靴であれ、一つ残らずその場に脱ぎすてて、また以前もとの襦袢ひとつになって、はだしのまま立ち去るのであった。
「紙魚亭は女ずきのするやつだ。お前も、長いこと彼に会わんであろう。以前もとは、だいぶ仲よしであったな」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
もつとも三ねんつくつちやにやかねえが、とき以前もと山林やまになんだから可怖おつかねえこともなんにもねえのよ
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
すぐに肩癖けんぺきほぐれた、と見えて、若い人は、隣の桟敷際へ戻って来て、廊下へ支膝つきひざ以前もとのごとし。……
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その時足をくじかれて、霎時しばしは歩行もならざりしが。これさへ朱目あかめおきなが薬に、かく以前もとの身になりにしぞ
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
大阪おおさか俳優中村福円なかむらふくえん以前もと住居すまいは、鰻谷うなぎだにひがしちょうであったが、弟子の琴之助ことのすけが肺病にかかり余程の重態なれど、頼母たのもしい親族も無く難義なんぎすると聞き自宅へ引取ひきとりやりしが
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)
「それもそうだが、まあ、怒らないでくれ。死ぬには死んだが、しかし、そこがさすがは笠松博士だって。二階へ行って御覧! 以前もとのようにちゃんといきかえっているから」
その沸騰ふっとうがしばらくして静まった後は、すっかり以前もとの性質と変ってしまったように思われた。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
向河岸の楊柳の間に、何時いつの間にやら以前もとの悪僧が再現して手に鰻裂うなぎさきの小庖丁を持っていた。此方こちらを睨んだ眼の凄さと云ったら無かった。此奴こいつが正しく藤蔓を断ったのだ。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
以前もとはそのへんにいろいろな飾り物がごわしたが、あれはなんとなりました」とたずねた。
以前もと、新橋のK……で叩き上げた技倆うでだと、自慢してる丈の事は有って、年は二十八だが、相応に庖丁も効き、つい此間迄は、浅草の、好く流行る二流所の割烹りょうりやの板前だった。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
しかしかなしいことには、ちひさなまたしまつてゐて、ちひさな黄金こがねかぎ以前もとのやうに硝子ガラス洋卓テーブルうへつてゐました、『まへより餘程よつぽど不可いけないわ』とこのあはれなあいちやんがおもひました
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
禾場うちばには村の人達が寄って、板をけず寝棺ねがんこさえて居る。以前もとは耶蘇教信者と嫌われて、次郎さんのお祖父じいさんの葬式の時なぞは誰も来て手伝てつどうてくれる者もなかったそうだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
……それも、以前もとの又八だったら、金輪際こんなことはいいもしないが、おれはこれから今までの取返しを、沙門しゃもんの弟子になってやろうと思い定めた所だ。もうきれいにあきらめた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すげなくされりゃ無え縁だと諦めも付いたろうに、お前は上辺うわべ以前もとの通り、俺に心中立しんじゅうだてをしてる振りをした。現にきょうも俺を胡麻化すつもりだろう、のめのめとやって来やがった。
中山七里 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
以前もとはきっと軍人で女優にでもうつつをぬかしていたのだろうときめてしまった。
以前もとそうではない……宮様の御在おいであそばす所は只今の博物館の所で、今日も門は残つて居ります、十月の二日には三十六坊を宮様が御廻りあそばす、其時は山同心が先に立つて、下に/\の制止声で
下谷練塀小路 (新字旧仮名) / 正岡容(著)
それやこれやで、初太郎の自分に對する感情も以前もとの通りであることは出來難くなり、自然自分を白眼視はくがんしするに至つた。なほそれで止らず、この感情はわが一家と彼の一家との間に關係するに至つた。
古い村 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
商売の実地を知らず話は以前もと立還たちかえった経済を語りましょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さうするとね、以前もとの停車場の前の古い家が見えたんだ。
鶴がゐた家 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
... 脚気がなくとも米の滋養分はぬかにあるから玄米で食べる方が非常に営養になるね」小山「そうだろう。玄米は以前もとから食べたいと思ったがなるほどこうして食べればこうばしくって味がい。早速ってみよう」
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
以前もと葺屋ふきや町、堺町の芝居小屋さんざへの近道なので、その時分からこの辺も、そんな柔らかい空気の濃厚な場所だったかもしれない。
「ええ。片一方は以前もとの通り一重目縁ひとえまぶちです。でもその方が宜いんですよ。二重目縁になった方は寝ていても薄目を開いているんですって」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
顏を洗つてから、可成なるべく音のせぬ樣に水を汲み上げて、盥の水を以前もとの如く清く盈々なみ/\として置いて、さて彼の一片の小扇をとつて以前もとの如くそれに浮べた。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
次第次第に糸のように甲走かんばしって来て、しまいには息も絶え絶えの泣き声ばかりになって、とうとう以前もとの通りの森閑とした深夜の四壁に立ち帰って行った。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これからまた以前もとの下宿生活に戻るのかと思ったら、私は、其の座敷の、夏季なつに裏返したらしい畳のモジャ/\を見て今更に自分の身が浅間しくなった。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
「そうなんだねえ。——銀座なんぞあるいている分にはちッとももう以前もととかわらない気がするけれど……」
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
永「お前は以前もと大家たいけと云うが、わざわいって微禄して困るだろう、資本もとでは沢山は出来ぬが十両か廿両も貸そう」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そういう腐敗した坊主について学ぶのは厭ですからその翌日出立してまた以前もとのごとく一人で荷を背負って、東南の方へ指して溪流に沿うて一里ばかり登り
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
二人は笑ひながら、又以前もと部室へやへ後戻りをした。手帳にどんな事が書きとめてあるかは記者わしも知らない。
しぶひにときかすりでもつて吹矢ふきや一本いつぽんあたりをるのがうんさ、おまへさんなぞは以前もと立派りつぱひとだといふからいま上等じやうとううん馬車ばしやつてむかひにやすのさ
わかれ道 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
彼女だって以前もとは人並に贅沢もしたかっただろうし、歓楽にあこがれもしただろうが、今はそんなことはすっかり断念あきらめて、只もう生きてゆくだけで満足しているのであった。
フェリシテ (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
その天棚てんだな以前もと立派りつぱはしら丁度ちやうどちひさないへ棟上むねあげでもしたやうなかたちまれたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
以前もとは綺麗な水が流れていたから水色になっていますが、川上に住宅地が出来てから、住宅の人達が、塵埃だの洗濯水だの、いろいろな穢いものを川へ流すので、現在では
都会地図の膨脹 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
私はやはり以前もとの通りに老人と一緒に老人の岩窟で朝夕日を送っているのであったが、今度の事件が起こってからは、その老人も以前まえのようには私に好意を示さなくなった。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
北千住きたせんじゅうに今も有るんとか云う小間物屋の以前もと営業しょうばいは寄席であったが、亭主が或る娼妓しょうぎ精神うつつをぬかし、子まである本妻を虐待ぎゃくたいして死に至らしめた、その怨念が残ったのか
枯尾花 (新字新仮名) / 関根黙庵(著)