ひそ)” の例文
眉を上げたりひそめたりして、当惑の表情とも、不審の表情とも、恐怖の表情とも、それとも単に怜悧な熱心な注意の表情ともつかぬ
男は少しく眉をひそめて、お杉の死顔をじっと眺めていた。市郎は念の為に脈を取って見たが、これも手当を施すべき依頼たのみは切れていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
瑠璃子の前には、小姓か何かのように、力のないらしい青年は、極度の当惑に口をつぐんだまま、そのひいでたまゆを、ふかくひそめていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
其処そこへ和上の縁談が伝はつたので年寄としより仲間は皆眉をひそめたが、う云ふ運命まはりあはせであつたか、いよ/\呉服屋の娘の輿入こしいれがあると云ふ三日前みつかまへ
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
夫婦は大層喜んだが、長野から請待しょうたいした産科のお医者が、これまで四十の初産ういざんは手掛けたことがないと云って、まゆひそめたそうである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そしてうっかりその身体にでも触れようものなら、棺桶人夫か道普請の土方にでも、触れられたように眉をひそめているのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
「なるほど」と博士は顔をひそめ、「これはこの私の誤まりじゃ……それでは私が訳してあげよう。文句はきわめて簡単じゃからの」
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
平次のことだから、今に何か掴んで來るだらう——と買ひ被つた人達も、次第に眉をひそめて、この狂態を見ぬ振りするやうになりました。
ハテ、めうことをんなだとわたくしまゆひそめたが、よくると、老女らうぢよは、何事なにごとにかいたこゝろなやまして樣子やうすなので、わたくしさからはない
はなしがトンとはずまない。特に女中をつかまへてキヤツ/\騒ぎ立てる支那人の傍若無人ばうじやくぶじんさに、湯村は眉をひそめてたゞガブ/\酒を呷上あふりあげて居る。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
現実の推移はいくらか癖づいた彼女の眉のひそめ方に魅力を増すに役立つばかりだ。いよいよ中年近い美人として冴え返って行く。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
雪様ゆきさまいたくはない。ぬ、まゆひそめるほどもない。いて、つて、さあ、小刀こがたなで、のなりに、……のなりに、……」
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
此処にまゆひそめて語るは児島惟謙こじまゐけん氏なり。顔も太く、腹も太く、きも太く、のそり/\と眼をあげて見廻すは大倉喜八郎氏なり。
燕尾服着初めの記 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
御城代樣ごじやうだいさま御容態ごようだいは、づおかはりがないといふところでございませうな。癆症らうしやうといふものはなほりにくいもので。』と、玄竹げんちくまゆひそめた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
此の男を此の家へ逗留させる事に成っては何の様に不幸が来るかも知れぬと余は窃に眉をひそめた、秀子も無論同じ思いの様だ。
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
よく下民の聚合しゅうごうする寄席よせなどへ参ると、時々妙な所で喝采かっさいする事があります。普通の人がまゆひそめる所に限って喝采するから妙であります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一高を化して常識の府となさんとする忌むべき傾向をはらんでいる。たとえばいわゆる演説家とクリスチャンの増加するのは私は眉をひそめる。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
将校は不審さうに眉をひそめて、それを読みくだしてゐたが、暫くすると腹の底からゆすり上げるやうに笑ひ出した。手紙にはかう書いてあつた。
そのあかるいまゆが、ふと義貞に、ゆうべのある一ときにひそめた黛を思い出させた。たましいは人形にうちこまれ、彼女は人間に返っている。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
梭櫚しゆろの毛を植ゑたりやとも見ゆる口髭くちひげ掻拈かいひねりて、太短ふとみじかなるまゆひそむれば、聞ゐる妻ははつとばかり、やいばを踏める心地も為めり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
かけなされて御たすけ下さる樣に願にまかり出しと云ければ可睡齋かすゐさいまゆひそめ夫は如何樣の儀なるやといはるゝに三五郎は九助が是までの事柄ことがら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
紋太夫が受取って、眉をひそめながら「はて、大とは」と首を傾げたとき、額田采女がふと振返って、「奥がばかに静かではないか」と云った。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
我胸には慈愛に感ずる情みち/\たれば、彼人々の一たびひそめることあるときは、たゞちに我世の光を蔽はるゝ如く思ひなりぬ。
陽春三月の花のそら遽然きよぜん電光きらめけるかとばかり眉打ちひそめたる老紳士のかほを、見るより早くの一客は、殆どはんばかりに腰打ちかがめつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
殊に兄のむすめを妻室にするに至っては、不倫の甚だしきものであった。心ある者は何人たれも眉をひそめたが、皆元親の思惑を憚って口にはしなかった。
八人みさきの話 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
三吉は何か思い当ることが有るかして、すこしまゆひそめた。流許ながしもとの方から塩水を造って持って来て、それを妻に宛行あてがった。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ぼくが改まって、「金沢君、お願いがあるんだけれど」と切り出すと、「え、なんだい」彼はおおげさにまゆひそめました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
親戚の者から縁談を勧める事もあったが、自分が汚らわしいという風にまゆひそめるので、自分の前でそんな話を持出す人も後には全くなくなった。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
池田 いや、このたびの殿の御乱行には、彼らの中の心あるものは、みな眉をひそめておるのだ。聞こえたとてかまわん。
稲生播磨守 (新字新仮名) / 林不忘(著)
若しも世に無政府主義といふ名を聞いただけで眉をひそめる樣な人が有つて、其人が他日彼の無政府主義者等の所説を調べて見るとするならば、屹度
所謂今度の事:林中の鳥 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
なんだかモーターがブルンブルンと廻っているような音も聞え、ポスポスという喞筒ポンプらしい音もします。イヤに騒々そうぞうしいので、私はまゆひそめました。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その側から掻巻かいまきをかかげ、入り込もうとしている久米八は、さぞ自分が残した、ほのかみに眉をひそめることであろう。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
と取合う気色も見えぬに、茶一杯饗応もてなされぬ助役は悄然すごすごとして元し道にとってかえしぬ、正兵衛は後見送りて、皺苦茶しわくちゃの眉根をひそめ、ああ厄払い厄払い。
厄払い (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「マア!」と言うて人のいい細君は眉をひそめた、私もかたきながらこの話を聞いては、あんまりいい気もしなかった。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
文三は恐ろしい顔色がんしょくをしてお勢の柳眉りゅうびひそめた嬌面かお疾視付にらみつけたが、恋は曲物くせもの、こう疾視付けた時でもお「美は美だ」と思わない訳にはいかなかッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
わたくしは言問橋や吾妻橋あずまばしを渡るたびたび眉をひそめ鼻をおおいながらも、むかしの追想を喜ぶあまり欄干らんかんに身をせて濁った水の流を眺めなければならない。
水のながれ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
又かと眉をひそめた者も多かったなかに、度々同じ段に座って又七の意地の悪い高調たかちょうに悩まされた覚えのある雷門の杵屋竹二郎は、自分の弟子のではあり
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
見るより光代は眉をひそめて顔をそむけぬ。辰弥と善平とはややしばしささやき合いて、終りは互いに打ち笑えり。光代は知らぬ振りしてただよそをのみ見つめぬ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
……ああ、由玄どの、今あなたはまゆをおひそめなされましたな。いえ、よく分つてをります、美麗だなどと大それた物の言ひやう、さぞやお耳にさわりませう。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
暴れる時は、天地の軸が歪みそうで、天帝の眉さえひそむ程だが、必ずあとに、休止と云うものが従っている。
対話 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そして小田夫妻は極めて平穏に、平和に暮して居るように見えました。ただ道子が不相変あいかわらず若い男達と交際して居た事は、或る人達の眉をひそめさせて居たのです。
彼が殺したか (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
顏は煙に咽びながら、眉をひそめて、空ざまに車蓋やかたを仰いで居りませう。手は下簾したすだれを引きちぎつて、降りかゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ。
地獄変 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
伯父は幾分いくぶんか眉をひそめてその思慮無はしたなきをうとんずる色あれども伯母なる人は親身しんみめいとてその心根こころねを哀れに思い
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
けれど、この旅人の眉をひそめた愛想のなさが、私を心安くしたのだつた。彼が私に手を振つて行かせようとしたときも、自分の場所に留つてゐてかう云つた——
女の許へ通ふといふ事は、近代の人の考へでは、村の若衆を外にしては、眉をひそめてよい淫風であつた。
鶏鳴と神楽と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
観る者まゆひそめて「かかることは曹長にても事足りなん箱をこぼつに少佐殿の手を労するはいと恐れ多し」
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「いやな病気らしいのです。私どもも困っているのでございますよ。」と、眉をひそめた。その頬は冷やかな、あまり小さな病人をいたわりそうにも思えなかった。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その護衛のかたがたの中には急に眼を見張りあるいはまゆひそめてその近よるものが何を言い出すかといったような緊張と不安の表情を正直に露出する人もあった。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
はてしなき今昔こんじやくの感慨に、瀧口は柱にりしまゝしばし茫然たりしが、不圖ふといなづまの如く胸に感じて、想ひ起したる小松殿の言葉に、ひそみし眉動き、沈みたる眼閃ひらめき
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
泉原はすすけた薄暗い部屋の光景を思出して眉をひそめたが、そこへ帰るより他にゆくところはなかった。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)