そび)” の例文
それはアパラチヤ大山系から分離した一つの支脈で、はるかに河の西方に見え、気高くそびえ立って、そのあたり一帯に君臨している。
市兵衛町の表通には黄昏たそがれ近い頃なのに車も通らなければ人影も見えず、夕月が路端みちばたそびえた老樹の梢にかかっているばかりであった。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そういった帆村の両眼は、人家の屋根の上をつきぬいてニョッキリそびえたっている一つの消防派出所の大櫓おおやぐらにピンづけになっていた。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
許宣は銭塘門を出て、石函橋せきかんきょうを過ぎ、一条路ひとすじみちを保叔塔のそびえている宝石山ほうせきざんへのぼって寺へと往ったが、寺は焼香の人でにぎわっていた。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
唐津からつ港あたりに颱風を避難したのだろうと思い乍ら窓から覗いた彼の鼻先に、朝靄を衝いてそびえていたのは川崎造船の煙突であった。
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
それより奥の方、甲斐境かいざかい信濃境の高き嶺々重なりそびえてそらの末をば限りたるは、雁坂十文字かりさかじゅうもんじなど名さえすさまじく呼ぶものなるべし。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かくて三個からなる闕門けつもんを中に穿うがち、巨大な堅固な花崗岩を高く築造し、その上によく伝統を守った広大な重層の建物をそびえさせた。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
眼を転ずると、八坂やさかの塔が眼の前に高く晴れた冬空にそびえて居て、その辺からずつと向うに、四条あたりの街の一部が遠く望まれた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
この壁柱かべはしら星座せいざそびえ、白雲はくうんまたがり、藍水らんすゐひたつて、つゆしづくちりばめ、下草したくさむぐらおのづから、はなきんとりむし浮彫うきぼりしたるせんく。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ものが大きいし、こしらえが見事なので、その少年のそばへ寄った者は、すぐ少年の肩ごしにつかそびえているその刀に目がつくのだった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中尉の記録中に、右手に墓場を眺めつつ進んでゆくとやがて左手に、白堊はくあの崇厳なる大殿堂がそびえ立っているという部分があります。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
羅馬の方より行けば左に山岳の空にそびゆるあり。その半腹なる村落の白壁は、鼠いろなる岩石の間に亂點して、城郭かとあやまたる。
「それじや余計な口を利かないやうにして下さい。」兵卒は急に元気づいて肩をそびやかした。「私は軍律に従つてるんですからね。」
その堀と堀の間には、たくましいクレーンのむれが黒々とそびえ立って、その下に押し潰されそうな白塗りの船員宿泊所が立っている。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
そしてそのはてには一本の巨大な枯木をそのいただきに持っている、そしてそのためにことさら感情を高めて見える一つの山がそびえていた。
蒼穹 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
空にそびえている山々の巓は、この時あざやかな紅に染まる。そしてあちこちにある樅の木立は次第に濃くなる鼠色ねずみいろひたされて行く。
木精 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
黒く空にそびえた森は、この家を隠している。さながら、この家を守っているように見えた。稀にしかこの家へ出入するものがなかった。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
熱い味噌汁をすゝり乍ら、八五郎は肩をそびやかします。この男の取柄は、全くこの忠實と、疲れを知らぬ我武者羅だつたかも知れません。
叫び狂いののしる声は窓を通し湖水を渡り、闇の大空にそびえている八つの峰を持った八ヶ嶽の高い高い頂上いただきまで響いて行くように思われた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そしてそれが舶来の白ペンキで塗り上げられた。その後にできた掘立小屋のような柾葦まさぶき家根の上にその建物は高々とそびえている。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
日出雄ひでをや、あのむかふにえるたかやまおぼえておいでかえ。』と住馴すみなれし子ープルス市街まち東南とうなんそびゆるやまゆびざすと、日出雄少年ひでをせうねん
正義を守るこれ成功せしなり、正義よりもとるまた正義より脱する(たとい少しなりとも)これを失敗という、大廈たいかくうそびえて高く
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
港の入口は左右から続いた山を掘り割ったように岸がそびえていて、その上に砲台がある。あすこから探海灯たんかいとうで照らされると、一番困る。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
俳画に描くとすれば、窓に垂れた瓢箪の蔓を比較的大きく画いて、その向うに雲の峯の白くそびえているところを現すのであろうか。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
大方の冬木立は赤裸あかはだかになった今日此頃このごろでも、もみの林のみは常磐ときわの緑を誇って、一丈に余る高い梢は灰色の空をしのいで矗々すくすくそびえていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ベルナルデーヌの街から河岸に出て、橋を渡ると、左には黒いノートル・ダムが高くそびえ、右には低い死体収容所ラ・モルグわだかまっている。
雨の日 (新字新仮名) / 辰野隆(著)
窓際の籐椅子とういすに腰かけて、正面にそびえる六百山ろっぴゃくざん霞沢山かすみざわやまとが曇天の夕空の光に照らされて映し出した色彩の盛観に見惚みとれていた。
雨の上高地 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「そら、あの真白い、おごそかな山が、北の方に高くそびえておりましょう、御存じですかね、あれが加賀の白山はくさんでございますよ」
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
細道の左右に叢々たる竹藪が多くなってやがて、二つの小峯が目近くそびえ出した。天柱山に吐月峰とげっぽうというのだと主人が説明した。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
街道の両側には、大入道のようにそびえた巨木の並木のあいだに、チラホラと人家があって、ところどころにボンヤリ常夜燈がついている。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私たちは月見草などの蓬々ぼうぼうと浜風に吹かれている砂丘から砂丘を越えて、帰路についた。六甲の山が、青く目の前にそびえていた。
蒼白い月 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
永年にわたる松のこしらえはどの松を見ても、えだをためさればちからみ竹をはさみこんで、苦しげにしかし亭亭ていていとしてそびえていた。
生涯の垣根 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
その最も近代らしい顔つきはようやく北と西とにそれらしい一群がそびえている、特に西方の煙突と煙だけは素晴らしさを持っている。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
この物のもとに、シピオネとポムペオとは年若うして凱旋したり、また汝の郷土にのぞみてそびゆる山にはこの物つらしと見えたりき 五二—五四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「美沢さん! 美沢さん!」四辺あたりを気がねしながら、呼んでみたが、美沢は痩せた肩を、そびやかしながら、後もふり返らず歩きつづけた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その翌日余り高くない波動状の山脈を五里ばかり進んで参りますと遙かの向うのマンリーという雪峰がそびえて居る。これは海面を抜くこと
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
残ったもののおもむく部署はその反対の方角にそびえていた。あるいは埋もれていた。山であり野であり、とにかく涯しない原始林である。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
発電所は八分通り出来上っていた。夕暗にそびえる恵那山えなさんは真っ白に雪をかぶっていた。汗ばんだ体は、急にこごえるように冷たさを感じ始めた。
セメント樽の中の手紙 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
駿河のくにへはいったのは十月はじめのよく晴れた日で、すでに雪を冠った富士山が、蒼穹そうきゅうをぬいてかっきりとそびえたっているのがみえた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
常春藤きづたむらがった塀の上には、火の光もささない彼の家が、ひっそりと星空にそびえている。すると陳の心には、急に悲しさがこみ上げて来た。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
試みに四国八十八ヶ所めぐりの部を見るに岩屋山海岸寺といふ札所の図あり、その図断崖だんがいの上に伽藍がらんそびえそのかたわらは海にして船舶を多くえがけり。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
たとえば大分県の別府温泉の西にそびえ立った由布岳ゆふだけは、『豊後風土記ぶんごふどき』の逸文にも、ユフの採取地である故にこの名が付いたと記している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
虹汀此の所の形相けいそうを見て思ふやう。此地、北に愛宕あたごの霊山半空にそびえつゝ、南方背振せぶり雷山らいさん浮岳うきだけの諸名山と雲烟うんえんを連ねたり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「天のはら富士の柴山木のくれの」までは「くれ」(夕ぐれ)に続く序詞で、空にそびえている富士山の森林のうす暗い写生から来ているのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
かのいはほの頭上にそびゆるあたりに到れば、谿たに急に激折して、水これが為に鼓怒こどし、咆哮ほうこうし、噴薄激盪げきとうして、奔馬ほんばの乱れきそふが如し。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
官吏の肩書をそびやかしているものもあり、その他の知人間でも私のことはだいぶ問題になって『奴も物好きな奴さ』と嘲笑して終るのもあれば
稲穂の実り豊かに垂れている田の彼方かなた濃藍色のうらんしょくそびえる山山の線も、異国の風景を眼にして来た梶には殊のほか奥ゆかしく
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
お城を取りまく堀と、そこから彎曲わんきょくした傾斜でそびえる巨大な石垣とに就いてはすでに述べた。この石垣は東京市の広い部分をかこみ込んでいる。
それに江戸情緒の庭の向うに、ひどく現代的な区役所のサイレンの拡声機などがそびえていて、そんなのがどうも変ですがね
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
老衰らうすゐしてから餘計よけいにのつそりした卯平うへい身體からだは、それでも以前いぜんのがつしりした骨格ほねぐみそびえてそば勘次かんじ異樣いやうあつした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)