結城ゆうき)” の例文
……今度結城ゆうきの織元で、鶴屋仁右衛門つるやにえもんといって下総しもうさ一の金持なんですが、その姉娘と縁組ができ、結納がなんでも三千両とかいう話。
また『古語拾遺こごしゅうい』によれば、その天日鷲命が東国経営の際に、穀の木をえられた地方が今の下総しもうさ結城ゆうきであったとも言われている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
めしかなんかのいい着物を着て、私の連合の方はやっぱし結城ゆうきかなんか渋いものを着ていました。そうして二人連れだって行くんでしょう。
雪の日 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
結城ゆうき以後影を隠した徳用とくよう堅削けんさくを再出して僅かに連絡を保たしめるほかには少しも本文に連鎖の無い独立した武勇談である。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
輔佐ほさには、顕家の弟、顕信あきのぶ陸奥むつの鎮守府将軍にのぼせ、また、結城ゆうき宗広をも付き添わせて、ここに、東下の軍勢が、再編成されたのだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宿の浴衣に結城ゆうきの藍格子の丹前を重ねて、夜具をはねた寝床の上へどっしりと坐ったところは、どうして立派な大所の旦那というかっこうである。
暗がりの乙松 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
座元は結城ゆうきだか薩摩さつまだか忘れてしまいましたが、湯島天神の境内けいだいで、あやつり人形芝居を興行したことがありました。
半七捕物帳:38 人形使い (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
結城ゆうき孫三郎あやつりの常小屋の真向うの中村座は、江戸随一、りすぐりの名優を座付にして、不断の大入りを誇っていたのが、物の盛衰は理外の理
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
結城ゆうきの袷に白の勝った唐桟とうざんの羽織、博田はかたの帯に矢立てを差して、念入りに前だれまで掛けた親分の岡っ引きいろは屋文次、御用の御の字もにおわせずに
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ただいつの間にか、先刻さっき欽之助が脱いだままで置いて寝に行った、結城ゆうき半纏はんてんせかけてあった。とお杉はこれをいって今もさめざめと泣くのである。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
世に越前家えちぜんけと云うは徳川家康の第二子結城ゆうき宰相秀康ひでやす。その七十五万石の相続者三河守忠直みかわのかみただなおは、乱心と有って豊後ぶんごうつされ、配所に於て悲惨なる死を遂げた。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
こんな真打のいることも、地味な唐桟とうざん結城ゆうきや黒紋付や、そうしたこしらえの東京の落語家ばかり見慣れてきた今松の目には、虫唾むしずの走るほどいやだった。
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「つやなし結城ゆうきの五ほんてじま、花色裏のふきさへも、たんとはださぬ」粋者すいしゃの意中とには著しいへだたりがある。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
左馬権介さまごんのすけ結城ゆうき七郎、千葉平兵衛尉ちばへいべえのじょう葛西かさい十郎、筑後ちくご六郎、和田わだ三郎、土肥先二郎どひせんじろう佐原さはら太郎、多多良たたら四郎、長井ながい太郎、宇佐美うさみ三郎、佐佐木小三郎ささきこさぶろう南条平次なんじょうへいじ
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それは「結城ゆうき」であります。結城は茨城県にある土地の名でありますが、そこはむしろ取引する町で、織るのは多く川向うの栃木県に属する絹村きぬむらでなされます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
黒い結城ゆうきの袷羽織、太い綱のような白縮緬の帯、角刈にしている頭髪の下に、かぬ気らしい、精悍な、面長の顔がある。眉が張り、心持尖った唇が、うすい。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
引廻しの時も、前のうまやから馬が出て大通りを通ったが結城ゆうきの着物をきて薄化粧をしていたといった。
つねにはのみにこゝろまらざりし結城ゆうき風采やうす今宵こよひなんとなく尋常なみならずおもはれて、肩巾かたはゞのありてのいかにもたかところより、おちついてものをいふおもやかなる口振くちぶ
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
彼曰く「節母烈婦あり、しかりて後孝子忠臣あり、楠、菊池、結城ゆうき瓜生うりゅう諸氏において、これを見る」と。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その時分は結城ゆうきずくめのった身なりに芸人らしく見えた事もあったのが、今は帽子もかぶらず、洗ざらした手拭地てぬぐいじ浴衣ゆかた兵児帯へこおびをしめ素足に安下駄をはいた様子。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
寿永三年三月十五日、とうとう、屋島の館を忍び出て、阿波国結城ゆうきの浦から舟で、紀伊へ向った。
新田義貞は上野こうずけに、赤松則村のりむら播磨はりまの国に、結城ゆうき宗広は陸奥むつの国に、土居、得能とくのうは四国の地に、名和長年は伯耆ほうきの国に、菊池武時は九州の地に、そうして足利高氏さえ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しきりに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽もんぱの綿頭巾を鼻被はなっかむりにして、結城ゆうき藍微塵あいみじん単衣ひとえものを重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装こしらえ
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
唐桟とうざんを喜んだり、結城ゆうきを渋がったりするのは、幕末頃の因循な町人趣味を受け継いで居るんだ。現代の日本人は宜しく慶長元禄時分の、伊達だて寛濶かんかつな昔の姿に復らなければいけない。
金色の死 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
濃く縮れた髪の毛を、程よくもじょもじょに分け仏蘭西フランスひげを生やしている。服装はあかい短靴をほこりまみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城ゆうきで着流しのときもある。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
御覧なさいまし、『八犬伝』は結城ゆうき合戦に筆を起して居ますから足利氏の中葉からです、『弓張月』は保元からですから源平時代、『朝夷巡島記あさいなしまめぐりのき』は鎌倉時代、『美少年録』は戦国時代です。
結城ゆうきから入ったいねというのを御寵愛になるげなが、この女子おなごは、昼はおすべらかしにうちかけという御殿風、夜になるとつぶし島田に赤い手絡てがら浴衣ゆかたがけといういきな姿でお寝間入りをなさるそうな。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お蝶は下野しもつけ結城ゆうきで機屋をして、困らずに暮しているものの一人娘であるが、婿を嫌って逃げ出して来たと云うことであった。間もなく親元から連れ戻しに親類が出たが、強情を張って帰らない。
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
下総しもうさ結城ゆうきの里ゆ送り来し春のうずらをくはん歯もがも
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
おととし十六の秋に、奥州鎮定の大任を負い、幼い義良のりなが親王を上に、父の親房や結城ゆうき宗広を後見として、この地へくだって来ていたのである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こん亀甲きっこう結城ゆうき茶博多ちゃはかたの帯を甲斐かいの口に、渋く堅気につくった三次、夜が明けるが早いか亀安の暖簾のれんを潜った。
人々は「結城ゆうき」と云い、「大島おおしま」と云い、「八丈はちじょう」と云う。すべてが郷土を記念する呼び方である。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
名田の大部分はむしろ関東にあって、その子孫は上州の太田おおたに住んで太田家となり、下野の小山おやまに住んで小山家となり、下総しもうさ結城ゆうきに行って結城家となったばかりでなく
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
少禿天窓すこはげあたまてらてらと、色づきの顔容かおかたち、年配は五十五六、結城ゆうき襲衣かさねに八反の平絎ひらぐけ棒縞ぼうじま綿入半纏わたいればんてんをぞろりと羽織って、白縮緬しろちりめんの襟巻をした、この旦那と呼ばれたのは
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
結城ゆうき薩摩さつまの二座が絶えた後、東京の人形芝居は単に寄席においてのみ観られる興行物になってしまった。それでも吉田国五郎や西川伊三郎などという人形使いの上手がいた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
なり結城ゆうき藍微塵あいみじん唐桟とうざん西川縞にしかわじま半纒はんてんに、八丈のとおえりの掛ったのを着て門口かどぐちに立ち。
越後えちごへ行っては上杉家へ仕え、会津あいづへ行っては蘆名あしな家へ仕え、奥州おうしゅうへ行っては伊達だて家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸ひたちへ行っては佐竹家へ仕え、結城ゆうきへ行っては結城家へ仕え
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
伴頭は一たび幕府の命を受け檀林の位に抜擢ばってきせられる時は貫主かんじゅと同等の特遇を受けるという。釈秦冏は翌年天保十二年の冬檀林に叙せられて結城ゆうき弘経寺ぐきょうじに赴きその法務をつかさどるようになった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
むやみにいがみ合い、ケチをつけたがる風習の土地柄がある、たとえば、水戸の如きは、あれだけの家格と人物を持ちながら、到底一致することができない、奸党かんとうだ、正義派だ、結城ゆうきだ、藤田だと
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今朝も的場まとばで一汗しぼって、本丸の道灌堀どうかんぼりからお駕台かごだいの附近へ、早咲きの梅を見ながら歩いてきた吉宗、ごつい木綿の平服に結城ゆうきはかまをつけ
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鹿沼かぬまほうき丸亀まるがめ団扇うちわ天童てんどう将棊駒しょうぎごま久留米くるめかすり結城ゆうきつむぎ土州どしゅうの金物、それぞれに面白い発達である。そういう場所からはとりわけ生産の組織について多くを学ぶことが出来る。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
結城ゆうきあわせ博多はかたの帯、黒八丈の襟をかさねて少し裄短ゆきみじかに着た、上には糸織藍微塵あいみじんの羽織平打ひらうち胸紐むなひも、上靴は引掛ひっかけ、これに靴足袋を穿いているのは、けだし宅診が済むと直ちに洋服に変って
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
結城ゆうきの衣装に博多はかたの帯、鮫鞘さめざやの長脇差を差している。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一つは結城ゆうきの里。水野日向守みずのひゅうがのかみ一万八千石。
平馬と鶯 (新字新仮名) / 林不忘(著)
常陸結城ゆうき大花羽おおはなわ村大字花島字悪戸
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宇都宮は、結城ゆうき宗広の領で、いわば官軍の一拠点である。七日ほどの休養と装備をととのえ、また参陣の新手も加えて
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
結城ゆうき藍微塵あいみじんの一枚着、唐桟柄とうざんがら袷羽織あわせばおり、茶献上博多けんじょうはかたの帯をぐいとめ、白柔皮しろなめしの緒の雪駄穿せったばきで、髪をすっきりと刈った、気の利いた若いもの、風俗は一目で知れる……俳優やくしゃ部屋の男衆おとこしゅ
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
東京都下では八王子、青梅おうめ、村山の如き、そのやや北には埼玉県の秩父ちちぶ更にさかのぼって群馬県の伊勢崎や桐生きりゅう。そこから右に折れて栃木県の足利あしかがや佐野、更に東すると茨城県の結城ゆうきがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ヘソクロ 下総しもうさ結城ゆうき下館しもだて
そして武士では、正成、長年が“決断所付き”兼務を仰せつかり、また結城ゆうき親光や、塩冶えんや高貞、こう師直もろなお、佐々木道誉などの顔ぶれが加わっている。