なお)” の例文
その代り空の月の色は前よりもなお白くなって、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠こうもりが二三匹ひらひら舞っていました。
杜子春 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
十歳を越えてなお夜中やちゅう一人で、かわやに行く事の出来なかったのは、その時代に育てられた人のの、敢て私ばかりと云うではあるまい。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
現在の生活事情の中でもなお音楽を忘られず、その希望で体も癒す努力をしているとすれば、やや本ものなのかもしれぬと思われます。
と、「逃げたらなお悪い」と、心の奥に何かが力ある命令を発して彼を留まらせた。動悸どうき早鐘はやがねの様に打って頭の上まで響いて行った。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
しかも巍の誠を尽し志を致す、其意と其げんと、忠孝敦厚とんこうの人たるにそむかず。数百歳の後、なお読む者をして愴然そうぜんとして感ずるあらしむ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
『師匠。……すみません。これから、自分の愚鈍へもやすりをかけて、なお、一生懸命にやりますから、どうか、もっと叱って下さいまし』
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は云い知れぬ一種の愉快を感じて、なおも雲の行方を睨んでいると、黒い悪魔の手は漸次しだいに拡がって、今や重太郎の頭の上を過ぎた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
なお此の池の一部ミズゴケ叢生地に、姫石楠花一名日光石楠花なども発見せられたので、本年矢沢師範学校長と河野師範学校教頭と
女子霧ヶ峰登山記 (新字新仮名) / 島木赤彦(著)
「露国の名誉ある貴族たる閣下に、御遺失なされ候物品を返上致す機会をそうろうは、拙者の最も光栄とする所に有之これありそうろうなお将来共しょうらいとも。」
(新字新仮名) / オシップ・ディモフ(著)
だが、何うにか抜けてひた走りに、一刻でも早くお新に、それからお俊に——そう思ってもう大丈夫と信じていてもなお走っていた。
新訂雲母阪 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
しかなおこれは真直まっすぐに真四角にきったもので、およそかかかくの材木を得ようというには、そまが八人五日あまりも懸らねばならぬと聞く。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつも時平の腰巾着こしぎんちゃくを勤める末社まっしゃどもの顔ぶれを始め、殿上人てんじょうびと上達部かんだちめなお相当に扈従こしょうしていて、平中もまたその中に加わっていた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しばらくしてから、ねえさんと云った。梅子はその深い調子に驚ろかされて、改ためて代助の顔を見た。代助は同じ調子でなお云った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なお、新時代の先駆者たりし北村君に就いては、話したいと思うことは多くあるが、ここにはその短い生涯の一瞥いちべつにとどめておく。
北村透谷の短き一生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
薩軍やや元気を恢復したものの、なお危倶の念が去らないので、村田の姿を見ると、「退却で御座いますか」と問うた者がある。
田原坂合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
根賀地が横手のドアをいちはやく開いて身体を車外にのり出すと怪漢かいかんなおも二三発、撃ち出した。かまわずスピードを出そうとする運転手に
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そして、「まさか……冗談でしょう」といいたげな彼の気持を、十分に感じた私は、なおも眼をつぶった儘、二三度頭を振って
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「お梅さんどうかしたのですか」と驚惶あわただしくたずねた。梅子はなおかしらを垂れたまま運ばす針を凝視みつめて黙っている。この時次の
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
細君はなお語りいだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした」
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
遠方からの手紙の遣り取りによって、二人の間がなお一層接近するであろうことを予想しながら、野本氏は東京をあとにした。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
『北越雪譜』の中の雪中の虫のところに「金中かねのなかなお虫あり、雪中ゆきのなかなからんや」というのがありますね」という話をしてくれた。
語呂の論理 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
足袋のひもを結び直してくれ、緩んだへこ帯を締直してくれ、そうして自分がめんどうがって出ようとするのを、なお抑えて居って鼻をかんでくれた。
守の家 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
女姿の者はうなり声をだしたが、それ以外には何も云わなかった。六郎は曲物がたおれるだろうと思ったが、曲者は斃れないでなおも逃げ走ろうとした。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
この父子のほか、俳優にして香以の雨露に浴したものには、なお市川小団次、中村鴻蔵こうぞう、市川米五郎、松本国五郎等がある。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
本朝世事談綺ほんちょうせじだんぎ』に「合羽かっぱは中古のもの也、上古は蓑を用ゆ、軍用にはなお蓑也、今蓑箱といふあり、蓑をおさむる具也」。
蓑のこと (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
また「高皇産霊神たかみむすびのかみ大物主神おおものぬしのかみに向ひ、汝若いましもし国つ神をて妻とせば、われなおうとき心りとおもはん」と仰せられた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それを今もなおまことにして守るのは愚かしい。どうじゃな、古くからの村の定法、今は何んの役にも立たぬ事を、そなた、打破って見たらどうじゃな。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
一片の短文三度稿をかへてしかして世の評を仰がんとするも、むなしく紙筆のつひへに終らば、なお天命と観ぜんのみ。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
日本第一の水道であったところのこの玉川上水は弥之助の少年時代は両岸から昼なお暗いところの樹木がかぶさって居たり、危うげな橋が渡されて居たり
他人ひとの物はおれの物と思って他人たにんを欺くような人だから此の者を切るの突くのと仰しゃる気遣きづかいは有るまいが、なお念のため申す、愈々いよ/\此の者をお許しなさるか
時に彼三十一歳、その臨終の遺偈いげは、まことにりっぱなものであります。「四大もと主なし。五おん本来空。こうべもって白刃に臨めば、なおし春風をるが如し」
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
れど目科は妻ある身に不似合なる不規則千万せんばんの身持にて或時は朝なお暗き内に家をいずるかと思えば或時は夜通し帰りきたらず又人の皆寝鎮ねしずまりたるのちいたり細君を
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
英人ヲ見ルコトなお他国人ヲ待遇スルノ如クシテ、戦ニハ之ヲ敵トシ、太平ニハ之ヲ友トスベシト決意シタリ。
だんこくを移して、いとまを告げて去らんとすれば、先生なおしばしと引留ひきとめられしが、やがて玄関げんかんまで送り出られたるぞ、あにらんや、これ一生いっしょう永訣えいけつならんとは。
「ははあ横浜だな」呟いて、なおも身を忍ばせていると、川崎あたりへきたころ、自動車は海岸の方へはいった。道が悪いので車は大波に揉まれるように揺れる。
骸骨島の大冒険 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
嗚呼ああ。諸君の両親と同じ悲惨な生活を、この上にもなお、三十年も四十年も続けて行かなければならぬのか。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
燃えそうでいて燃えず、消えかかっていて、なお、くすぶっている。今度も、ツツイラの西部で酋長等の間に小競合があったばかりだから、大した事はなかろう。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それはここでも好いし、どこかほかへ行ったら、なお好いでしょう。あなたのおばさんがやかましそうですから。
高く釣りたる棚の上には植木鉢を置きたるに、なお表側の見付みつきを見れば入口のひさし、戸袋、板目なぞも狭きところを皆それぞれに意匠いしょうして網代あじろ、船板、洒竹などを用ゐ云々
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
彼等は病毒に染つた屍体の中に巣喰つてゐる。彼等の胃袋は腐つたもので一杯になつてゐる。なお、他に、糞をさがして、その不潔なものを御馳走にするものがある。
御礼御序おついで御頼おたのみ申候。なおあなたよりも御祝之品に預り痛み入候。いづれこれより御礼可申上もうしあぐべく候。扇子だけありあわせていし候。御入手可被下くださるべく候。御出張之先之事、御案も候半。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
しかもかれにとってはなお充分な飲酒をもむさぼることのできない貧しさのために、かれはかれの内部に於て、それ自らの快楽をさぐりあてなければならなかったのである。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
風は少し衰えたようだけれど、なお行人の袖を吹いたり店の看板を鳴らした。その度に、銀杏並木は葉を何枚かずつ振り落し、それは夜店の品物の上にはらはらと流れた。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
尾花に残る日影ひかげは消え、蒼々そうそうと暮れ行く空に山々の影も没して了うた。余はなお窓に凭って眺める。突然白いものが目の前にひらめく。はっと思って見れば、老木ろうぼくこずえである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
槍ヶ岳は背後より、穂高山は足の方より、大天井岳は頭を圧すばかりに、儼然げんぜん聳立しょうりつして、威嚇いかくをしている、わずかにその一個を存するとも、なおもって弱きを圧伏するに足るのに
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
なおくらき杉の並木、羊腸の小径は苔なめらか、一夫関に当るや万夫も開くなし、天下に旅する剛毅の武夫もののふ、大刀腰に足駄がけ、八里の岩ね踏み鳴す、くこそありしか往時の武夫
箱根の山 (新字新仮名) / 田中英光(著)
八十七歳の今日なお日夜研究にいそしまれる老科学者牧野富太郎先生、われわれは四月十八日当地の植物採集会に臨まれた先生からいろいろのお話を聴く機会を得たのである。
更ニ之ヲ約併シテ、二字或ハ一字ニ帰納シ、其漢音ニ吻合ふんごうスルヲ以テ、洋音ヲ発シ、看者ノ之ヲ視ル、なお原語ヲ視ル如クナラシム、其漸次ニ約併セルハ、簡捷ヲとうとブ所以ナリ。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
午後四時が退庁時間である。それまでは随意にしたらよかろう。だが、その後は断じて構内にいることは許されない。もしその時になってもなおたち去らぬようなら、やむを得ず公力を
渡良瀬川 (新字新仮名) / 大鹿卓(著)
ところが、それでもきかずに、なお幾度か化物の折檻をこころみている中に、雄吉君はつい誤って、小石を硝子枠にぶつっけてガチャン! と、大きな硝子を一枚破ってしまったのです。
四月馬鹿 (新字新仮名) / 渡辺温(著)