にじ)” の例文
鼻をつんざく石炭酸の臭いは、室の中に込み上った。障子に浸みた消毒水のあとは、外の暗くなりかかった灰色の空の色をにじませていた。
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「どこから。」といって勇美子は嬉しそうな、そしてつむりを下げていたせいであろう、耳朶みみもとに少し汗がにじんで、まぶちの染まった顔を上げた。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大「いや/\腹を切る血判ではない、爪の間をちょいと切って、血がにじんだのを手前の姓名なまえの下へすだけで、痛くもかゆくもない」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
短い太皷型たいこがたの石橋を渡ると、水屋みづやがあつて、新らしい手拭に『奉納ほうなふ』の二字を黒々とにじませて書いたのが、微風びふううごいてゐた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
「其の繃帯は何だ、血がにじんでるじゃないか。兎も角そこまで来い、言う事があるなら刑事部屋で申立てろ、来いっ」
上海された男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
そうして、両軍の間には、血のにじんだ砂の上に、矢の刺ったしかばねや牛の死骸が朝日を受けて点々として横たわっていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
あとには、血がにじんだ湖畔の土の上に、頭と右手との無い屍体したいばかりがいくつか残されていた。頭と右手だけは、侵略者が斬取きりとって持って帰ってしまった。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
その時俯向うつむいてゐた私の眼に涙がにじんでゐるのを知つてゐたのは、恐らく私ばかりであつたに違ひない。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
天文学者は呆気に取られて、笑ひながら銭入ぜにいれを取り出して勘定を払つた。成程銭入を見ると、二千五百万年も前から持ち古して来たらしい、手垢のにじむだものであつた。
その中に、馬車のわだちの跡だけが、泥ににじんでいる。私はいま、東北の或る田舎を旅をしているのだが、この地方では、三月の半ば過ぎていると言うのに、まだ空は雪催ゆきもよいだ。
月見草 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
箪笥たんすの上に載せて置いて行つた手紙は奥様へ宛てたもので——それは真心籠めて話をするやうに書いてあつた、ところ/″\涙ににじんで読めない文字すらもあつたとのこと。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
友木は潜り戸を押し開けて、中庭を走りながら、もしやその辺に血ににじんだ短刀を持った伸子が気絶でもしてはいないかと、眼を忙しく動かした。が、何も眼には留らなかった。
罠に掛った人 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
まだその日の疲れのにじまない朝の鳥が、二つ三つ眼界を横切った。つばさをきりりと立てた新鮮な飛鳥ひちょうの姿に、今までのかの女の思念しねんたれた。かの女は飛び去る鳥に眼を移した。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
洞内が、なんともいえない美しさににじんでゆくのだ。裂け目や条痕の影が一時に浮きあがり、そこに氷河裂罅クレヴァスのような微妙な青い色がよどんでいる。淡紅色ときいろの胎内……、そこをいずる無数の青蚯蚓みみず
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
書記の血ににじんだ死骸よりほかには何人なんぴとも居ようはずが無い。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
ドコを見ても尽忠報国の血ににじんでいないところはない。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
けばけばしく彩った種々いろいろの千代紙が、にじむがごとく雨にもつれて、中でもべにが来て、女のまぶたをほんのりとさせたのである。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
三年ち、五年と暮れる中には、太鼓樓から雨が漏つて、ギラ/\光る白い紙で貼つた天井には墨繪の山水か、化物の影法師のやうな汚點しみにじみ出す。
太政官 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
星の光りは、秋の冷たい空気の中ににじんで、鼠色の衣物を着た、坊さんの眼は水晶のように光って見えた。
過ぎた春の記憶 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そしてフロッコオトの長い尻尾しつぽをぴくぴくふるはせて、立ちすくんでしまつた。何分かが喧囂けんがうの内に過ぎた。血走つた先生の凹んだ眼には、その時涙さへにじんで來たのである。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
素直に伸びたはねの見事さ。白く強い電燈の光の下で、まことに皿までがにじんでしまいそうな緑色である。その白と緑とを見詰めながら、三造はなおしばらくM氏の奥さんの話を聞いていた。
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
又「あゝ聞いて居たな、酔うた紛れだ……つな、血がにじんで来た」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
血ににじんだ脇差を振り廻して表へ飛んで出た。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
小袖こそで判然はつきりせぬ。が、二人ふたりとも紋縮緬もんちりめんふのであらう、しぼつた、にじんだやうな斑點むらのある長襦袢ながじゆばんたのはたしか
魔法罎 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
夕暮方の光線がぼんやりとにじんで、頭には幾分か白髪も交って頬に寄った小皺が目立って見える……室のうちには、傷いた道具がわずかばかり並べられてあるばかりで
夕暮の窓より (新字新仮名) / 小川未明(著)
と是からこそ/\部屋へ這入って、と見ると頭に血がにじみました。
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
墨がにじんで、ぼかしたやうに、ぱツと散つた。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
たゞさへ、おもけない人影ひとかげであるのに、またかげが、ほしのない外面とのもの、雨氣あまけびた、くもにじんで、屋根やねづたひにばうて、此方こなた引包ひきつゝむやうにおもはれる。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
挙動しぐさ唐突だしぬけなその上に、またちらりと見た、緋鹿子ひがのこ筒袖つつッぽの細いへりが、無い方の腕の切口に、べとりと血がにじんだ時のさま目前めのまえに浮べて、ぎょっとした。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と変哲もない愛想笑あいそうわらい。が、そう云う源助の鼻も赤し、これはいかな事、雑所先生の小鼻のあたりもべににじむ。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ところが、の形の、一方はそれ祭礼まつりに続く谷のみちでございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広くにじんだていに、草がすっぺりと禿げました。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
はちの巣のやう穴だらけで、炉の煙は幾条いくすじにもなつて此処ここからももぐつて壁の外へにじみ出す、破屏風やれびょうぶとりのけて、さら/\と手に触れると、蓑はすつぽりとはりはなれる。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ただ一束ひとつかねのなめらかな雪で、前髪と思うのが、乱れかかって、ただその鼻筋の通った横顔を見たばかり……乳のあたりに血がにじんだ、——この方とても、御多分には漏れぬ
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ずいと、引抜いたくわについて、じとじととにじんで出たのが、真紅まっかな、ねばねばとした水じゃ
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あたかも宣告をするが如くに言つて、傾けると、さっとかゝつて、千筋ちすじくれないあふれて、糸を引いて、ねば/\とにじむと思ふと、たけなる髪はほつりと切れて、お辻は崩れるやうに、寝床の上
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
美しいひとのその声に、この折から、背後うしろのみ見返られて、雲のひだにじみにおおいかかる、桟敷裏さじきうらとも思う町を、影法師のごとくようやく人脚の繁くなるのに気を取られていた、松崎は
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くも所々ところ/″\すみにじんだ、てりまたかつつよい。が、なんとなくしめりびておもかつた。
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そうかと思いますとまた、墨のにじんだあとが、さもさもけだものの毛で、えてそっくり。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くらつたのはよるだらう、よるくらさのひろいのは、はたけ平地ひらちらしい、はらかもれない……一目ひとめ際限さいげんよるなかに、すみにじんだやうにえたのはみづらしかつた……が、みづでもかまはん
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その泥がにじんでいる純白まっしろなのを見て、傾いて
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)