おぼろ)” の例文
私は今でもうつつながら不思議に思う。昼は見えない。逢魔おうまが時からはおぼろにもあらずしてわかる。が、夜の裏木戸は小児心こどもごころにも遠慮される。
絵本の春 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
よいあんばいに、おぼろつきがさし昇って来ましたから、ここに立ったままでも絵図をさすように、この上の院のお墓、御影堂みえいどう、観月亭。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
されどわが物語あまりにおぼろに進まざるため、汝は今、わがこの長きことばの中なる戀人等の、フランチェスコと貧なるを知れ 七三—七五
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
波は漾々ようようとして遠くけむり、月はおぼろに一湾の真砂まさごを照して、空もみぎは淡白うすじろき中に、立尽せる二人の姿は墨のしたたりたるやうの影を作れり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
その意味も彼女にはわからなかつたが、唯この外国人が彼女の商売に、多少の理解を持つてゐる事は、おぼろげながらも推測がついた。
南京の基督 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しばらく待ってみても容易にふたたび顔を出さない。蒲団の更紗へ有明行灯ありあけあんどんあかりおぼろにさして赤い花の模様がどんよりとしている。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
K—は、郷里では名門の子息むすこで、おさない時分、笹村も学校帰りに、その広い邸へ遊びに行ったことなどが、おぼろげに記憶に残っていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ただ、蒲地某の友人の軽部村彦という男が品行方正で、大変評判のいい血統の正しい男であるということだけがおぼろげにわかった。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
「たよりない春のおぼろ月夜だ。秋のよさというのもまたこうした夜の音楽と虫の音がいっしょに立ち上ってゆく時にあるものだね」
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
御神鏡の光をおぼろにした上に、伏しおがむ人々の睫毛までも白々としばたたかせて、昔ながらの迷信をいよいよ薄黒く、つまらなく曇らせる。
(新字新仮名) / 夢野久作(著)
私はすぐってそこの廊下の雨戸を一枚けて、立って待っておると戸外おもておぼろの夜で庭のおもにはもう薄雪の一面に降っていた。
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
軍事上ぐんじじやう大發明だいはつめい——一だい帆走船ほまへせん——三十七めい水兵すゐへい——化學用くわがくよう藥品やくひん是等これらからおもあはせるとおぼろながらも想像さうぞう出來できことはない。
濃くひける新月の寄り合いて、互にかしらもたげたる、うねりの下に、おぼろに見ゆる情けの波のかがやきを男はひたすらに打ち守る。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ああして道庵先生をお雪ちゃんの寝室にほうり込んで置いて、闇の中へ身を陥没してからの後の動静というものが、おぼろげながら連絡をとれる。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
病夫浪之助を殺して表へ出た時の着附きつけだったか、つかまる時のだか、そんなことはもう、おぼろげになってしまっているといってたのを、はなした。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
春もたけなわなるおぼろ月夜に、塩竈通いのそそり節が生暖い風に送られて近くきこえた時、若い尼は無念無想で経を読んでいられたであろうか。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……おぼろな人影は霧に隔てられて見えつ隠れつしたが、やがて、驚くほど間近へ来てから不意にその姿をはっきりと現した。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
言ひ捨てゝ外へ、格子を締めると、おぼろな春の夜の路地中に、スラリとした若い女が、惱ましくそれを待つてゐるのでした。
何故ならばその漠々たる原野の遙か向うの月下におぼろに雪の山が光って居る様はあたかも雪の中に神仙が現われて居るような有様でありますから
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
しかし、とにもかくにも其等の文章を通じて、文学をする者にとっての現在の問題というものがおぼろげながら判っては来た。
章魚木の下で (新字新仮名) / 中島敦(著)
その男もやっぱりソフト帽をまぶかにして、外套の襟を立てて、顔を隠す様にしていたが、商人はおぼろな月光でその顔が金色こんじきに光るのを確かに見た。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あとから思量すれば、そういう経験のなかに、近代ロマンチック精神のはぐくまれつつあった実証がおぼろげながら見られる。
主人あるじは便所の窓を明けたが、外面そとは雨でも月があるから薄光うすあかりでそこらがおぼろに見える。窓の下はすぐ鉄道線路である。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おぼろげながら支倉の旧悪を調べ上げた石子刑事は久々で署へ出勤した。刑事部屋には窓越しに快い朝日が差していた。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
「お妻太夫さん! お妻太夫さん!」——しかしその声も遠ざかって、呼び主の姿もおぼろとなり、やがて見えなくなった後は、この一郭は静まり返った。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
するとかの女は踏む足の下がおぼろになつてうと/\として来た。かの女の口が丸く自然に開いて小さい欠伸あくびが出た。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
七八間も、這って来た時、益満は静かに、燧石ひうちいしを打って、紙燭に火を点じた。紙撚りに油をしましたもので、一本だと五寸四方ぐらいが、おぼろげに見えた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
浴槽の面を漂う湯気を通して、おぼろな女のうしろ姿をながめながら、賢彌は静かに湯のなかに脚を伸ばしていた。
岩魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
私はわからぬながらも歌のなかの知つてる言葉だけをとりあつめておぼろげに一首の意味を想像し、それによみ声からくる感じをそへて深い感興を催してゐた。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
これでおぼろげながら、石橋氏という人の輪郭が、飲み込めたような気がする。まだいろいろ話は出たが、これ以上くどくどと並べたてたところで仕様がない。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
昨夜からの疲労と興奮が彼の意識をおぼろにしていた。妻のいる部屋では、今朝ほど臨終にかけつけたのに意識のあるうちには間にあわなかった神戸の義姉がいた。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
戸袋のすぐ横に、便所の窓の磨硝子すりガラスからおぼろな光のさすのに眼をうつすと、痩せたやもりが一疋、雨に迷う蚊を吸うとてか、窓の片側に黒いくの字を画いていた。
やもり物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
急に元気を失った市平は、おぼろの月影にみがかれきらめく長靴を曳きずって、力なくなだらかな坂路さかみちを下りて行った。遠くの森では、さっきからふくろうが啼いていた。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
そして踏み脱いでいた布団を、又領元えりもとまで引き寄せて、あごうずめるようにして、又寐入る刹那には、おぼろげな意識の上に、見果てぬ夢の名残を惜む情が漂っていた。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さかのぼって当時の事を憶出してみれば、初めおぼろのがすえ明亮はっきりとなって、いや如何どうしても敗北でないと収まる。
雪明りで道は幾らかおぼろろになったが、踏み砕ける雪の下から水が足首まで滲み上り、ごぼごぼ鳴った。
すると中尉のおぼろげな意識のうちに、ガスコアンという名が浮んだのであろう。彼はうわ言のように
ゼラール中尉 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
時雄は胸のとどろきを静める為め、月おぼろなる利根川の堤の上を散歩した。月がかさを帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
一、長閑のどかあたたかうららか日永ひながおぼろは春季と定め、短夜みじかよすずしあつしは夏季と定め、ひややかすさまじ朝寒あささむ夜寒よさむ坐寒そぞろさむ漸寒ややさむ肌寒はださむしむ夜長よながは秋季と定め、さむし、つめたしは冬季と定む。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
煙はこの雪礫ゆきつぶてに遭って、動揺を始め、或る箇所では薄れた。それに力を得て、ドレゴは更にその方法をつづけ、そして遂におぼろなる船名を判定することに成功したのであった。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
何ゆえそんな空想が起こって来るのか? 何ゆえその空想がかくも自分を悲しませ、また、かくも親しく自分を呼ぶのか? そんなことが堯にはおぼろげにわかるように思われた。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
日はりて東窓の部屋のうちやゝ暗く、すべての物薄墨色になって、暮残りたるお辰白き肌浮出うきいずる如く、活々いきいきとした姿、おぼろ月夜にまことの人を見るように、呼ばゞ答もなすべきありさま
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
わたしたちのうえにおぼろげにほころびかけた夢の華はそれっきりしぼんでしまったのである。時は流れるという言葉を、しみじみ思う。イサベルのを聞いてからも、すでに数年になる。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
たちまちすうっと昇ってしまひました。沼の底の光のやうなおぼろな青いあかりがぼおっと林の高いこずゑにそゝぎ一ぴきの大きなふくろふはねをひるがへしてゐるのもひらひら銀いろに見えました。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
流すはつたなしこれはどうでも言文一途いっとの事だと思立ては矢もたてもなく文明の風改良の熱一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真闇まっくら三宝荒神さんぽうこうじんさまと春のや先生を頼みたてまつ欠硯かけすずりおぼろの月のしずく
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
しかし日に日に経験する異様なる感激は、やがておぼろながらにも、海外の風物とその色彩とから呼起されていることを知るようになった。支那人の生活には強烈なる色彩の美がある。
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それより外のものは何一つ見当らない——かれらがどうして此処こんなところに住んでいるかということ、それが何時いつから始められているかということは、ほとんどおぼろげな記憶を過っても
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
かねて聞おぼえのある尺八がそこから聞えて来るので、この「遠し」は視覚に訴える意味のものでなしに、聴覚に訴える遠さであろうと思う。万象はことごとおぼろなる月の下に眠っている。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
ホームズはその冷い痩せた指を私の手首にまいて、天井の高い下をぐんぐん進む、私はおぼろにドーアの上に、欄間窓を見止めた。ここでホームズは右に曲り、我々は四角な大きな室に来た。
魔法の力の助けで、アアミンガアドもそれらのものをおぼろに見る気がしました。