くつ)” の例文
のちに同胞はらからを捜しに出た、山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼のはたで、小さい藁履わらぐつを一そく拾った。それは安寿のくつであった。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
必ずその人に要する雑用(たとえばその人が渇いていれば一杯の水を汲んで来てやる、くつの紐がとけていれば直してやるというようなこと)
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
「われわれが主と仰ぐは、曹丞相よりほかはない。汝らはなぜ許都きょとへ行って、丞相のおくつでも揃えないか」と、からかった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真ん中にノビノビと立っているのはしゃ唐冠とうかん、白い道服、刺繍ししゅうしたくつの老人で、口ひげはないが長いあごひげ、眉毛まゆげと共にの花のように白い。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
で、どうしてもくつを一足余計に買って置かぬと破れた時分に非常に困るからそこで履を一足買って悪い所を修復したです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
くつを脱ぎ、仮面と面紗とを背後へ掻い遣り、メフィストフェレスの相を現じ、事によりては、後序を述べ、この脚本に解釈を加ふることあるべし。
王を二尺左に離れて、床几しょうぎの上に、ほそき指を組み合せて、ひざより下は長きもすそにかくれてくつのありかさえ定かならず。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
舟には女が一人の婢をれて坐っていた。女は笑いながら柳を迎えた。みどりくつたびあかくつ、洞庭の舟の中で見た侍女の妝飾そうしょくとすこしも違わない女であった。
織成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
次に明治十四年の『ネーチュール』から片方のくつを失った馬が鍛工の店頭に立ちて追えどもまた来る故、その足を見てこれと解り履を作りて付けやると
児玉氏はかう言つて、自分の脚の下が、外国の土地である事をたしかめるやうに、二三度床板をくつかゞとで蹴飛ばした。
だが、やっぱり私はみえ坊だから、「層々として山水秀ず、足には遊方のくつみ、手には古藤の枝をる」
着物雑考 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
といって、太子たいしちかづこうといたしました。太子たいしはびっくりしてげて行こうとなさいました。日羅にちらはあわててくつもはかずしておあといかけました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
みどりかみかつらまゆ皓齒かうしあたか河貝かばいふくんで、優美いうび端正たんせいいへどおよぶべからず。むらさきかけぬひあるしたうづたまくつをはきてしぬ。香氣かうき一脈いちみやく芳霞はうか靉靆たなびく。いやなやつあり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そういう大規模の中幕なかまく「浦島」の竜宮での歓楽と、乙姫との別れの舞踊劇は、浦島のかむりものとか、くつとかあまりに(奈良朝期の)実物通りによく出来たので
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長老は巡り行いて、睡眠する僧をばあるいはこぶしをもって打ちあるいはくつをぬいで打つ。なお眠る時には照堂に行いて鐘を打ち、行者を呼び、蝋燭をともしなどする。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
彼が藕糸歩雲ぐうしほうんくつ穿鎖子さし黄金のよろいを着け、東海竜王とうかいりゅうおうから奪った一万三千五百きん如意金箍棒にょいきんそうぼうふるって闘うところ、天上にも天下にもこれに敵する者がないのである。
悟空は王のくつの下にうづくまつてねちねちとしながら、玉座の上から漂うて来る何とも云へぬ香気に、眼を細めて加けに魚のやうに口を開けて、ぐつたりとしてしまつた。
闘戦勝仏 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
孫の鸚鵡は目をみはって何か考えているようであったが、暫くして女が髪を結うためにくつを脱いでゆかにあがると、鸚鵡はふいにおりてその履の一つをくわえて飛んで往った。
阿宝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ふくろの口から順々に這い出して火の気のない部屋の中を、寒そうにおずおず歩いたり、くつの先から膝の上へ、あぶない軽業かるわざをして這い上りながら、南豆玉なんきんだまのような黒い眼で、じっと
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
妻が立ち寄って、その着物を着換えさせ、くつを脱がせようとして其の足を挙げさせる時、酔っている夫は足をぶらぶらさせて、思わず妻の胸を蹴ると、彼女はそのままたおれて死んだ。
信濃路しなぬぢいま墾道はりみち刈株かりばねあしましむなくつ 〔巻十四・三三九九〕 東歌
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
松坂彦六の説明は、隨分腑に落ちないものですが、美男の掛り人が、自分の部屋以外から錠をおろさせて、瓜田くわでんくつの疑ひを避けたのは、まことに行屆いた注意であつたかも知れません。
某家は何時いつ芸妓げいぎなど出入でいりして家風がよろしくない、足下がそんな処に近づいて醜声外聞とは残念だ、君子は瓜田かでんくつを結ばず、李下りかに冠を正さずと云うことがある、年若い大事な身体からだである
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一廉のお邸の、障子は破れ、敷台には十文以上の足の跡、縦横無尽に砂もてえがかれ、くつ脱ぎには歯磨きの、唾も源平入り乱れ、かかる住居も国野てふ、その名に怖ぢて、誰批難するものはなく。
誰が罪 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
瓜田かでんくつれず、李下りかかんむりを正さず位の事はわきまえておりましょう
家貧しければ身には一五三麻衣あさごろも青衿あをえりつけて、髪だもけづらず、くつだも穿かずてあれど、かほ一五四もちの夜の月のごと、めば花の一五五にほふがごと綾錦あやにしき一五六つつめる一五七京女﨟みやこぢよらうにもまさりたれとて
木のくつはいて
未刊童謡 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
くつが破れてしまって一歩も進むことも出来ない。で、お婆さんに尋ねたです。この履をどうにか直す工夫はあるまいか。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そして出来る事なら天国へく折にも、こんな消化こなれのいい物を食つて、こんな軽いくつ穿いてゐたいと思つた。
唐代の衣冠いかん蹣跚まんさんくつを危うく踏んで、だらしなく腕に巻きつけた長い袖を、童子の肩にもたした酔態は、この家のさびしさに似ず、春王はるおうの四月にかなう楽天家である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
単にそう云えば梓がひど意気地いくじのないように聞えるけれども、人の召使は我が召使ではない、玄関番の書生が、来客のくつを取って送迎するのを見て、来客たるもの
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すなわち彼は、くつのまま殿上に昇り、剣をいて朝廷に出入りするのも許される身となったのである。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうとう侍女達はその公主を肩に乗せ、臂をり、裾をからげ、くつを持って鞦韆の上に乗せた。
西湖主 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
猴の黠智かっち驚くべし、ある説に猟人もちくつを備うるに猴その人の真似して黐を身に塗り履を穿きて捕わると、ムキアヌスは猴よく蝋製のこまを識別し習うて象戯しょうぎをさすといった。
「紫の法衣ころもをお召しになり、金襴きんらんの袈裟をお懸けになり、片手に数珠、片手に水盤、刺繍ぬいとりをしたくつを穿いた」そういう立派な人物ではなく、きたないみすぼらしい乞食であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
羅は花城が好きになったので、木の実の皮をむく時わざとつくえの下へ落して、俯向うつむいて拾うようなふうをして、そっとそのくつをつまんだ。花城は他の方を向いて笑って知らないふうをした。
翩翩 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
一首の意は、信濃の国の此処ここの新開道路は、未だ出来たばかりで、木や竹の刈株があってあぶないから、踏んで足を痛めてはなりませぬ、吾が夫よ、くつをお穿きなさい、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
人の足を洗ってやれ……くつのひもをむすんでやれ。(間)ほむべき仏さま。(だんだん夢幻的になる)わしのした悪がみなつぐなわれる。みなゆるされる。罪が美しくなる、罪で美しくなる。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
むむ、よしこれからは一ツ、忍耐といふ事を遣つてみやう。張良がくつを捧げたところだね。それでなくツちやあ事は成就しないからな。ただ困るのは黄石公だ、今の世にそんな奴が居やうかなあ。
誰が罪 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
すると私が引っ張って居る山羊、その山羊の上にせてあった僅かの荷物——羊の皮の敷物、くつ、薬のような物、それがどこへか落ちてしまったです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
暫くは舞台のはなに立つて、鉛筆のやうに真直になつてゐたが、急にくつ音を蹴立けたててフロオマンの前へ出て来た。
興すほどな真の大才にして野におるならば、我はその人のくつを取って迎えることでもするであろう
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薄紅うすくれないの一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、もすそのみはかろさばたまくつをつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
開けてみると女のくれた新しい衣服、くつくつたびなど入っていた。黒い衣服もその中に入れてあった。またぬいとりをした袋を腰のあたりに結えてあったが、それには金が一ぱい充ちていた。
竹青 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それからまた奇談といわば、アントニウス尊者荒寥地こうりょうちに独棲苦行神を驚かすばかりなる間、一日天に声ありてアントニウスよ汝の行いはアレキサンドリヤの一くつ繕い師に及ばずと言う。
すると一人の侍女が来て、柳のほおの近くに立った。それはみどりくつたびに紫の色絹を着て、細い指のようなくつ穿いていた。柳はひどく気に入ったので、そっと口を持っていってその襪をんだ。
織成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
紫の法衣ころもをお召しになり、金襴きんらん袈裟けさをお懸けになり、片手に数珠、片手に水盤、お若いお美しい神々しいお方が、刺繍ぬいとりをしたくつを穿き、どこか遠くのお山から、城下へおいでになるお姿がね。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
奇蹟きせき! 七菩提分しちぼだいぶん八聖道分はっしょうどうぶん、涼しい鳥の鳴き声がする……園林おんりん堂閣のたたずまい……きれいな浴池よくちだな。金色こんじきの髪を洗っていられる。皆くつをぬがれた。あの素足の美しいこと。お手を合わされた。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
士官は吐き出すやうに言つて、葉つ葉を地面ぢづらに投げ捨てた。そして思ひきり強くくつかゞとで踏みにじつた。
「美しき少女! 美しき少女!」と続け様に叫んでギニヴィアは薄きくつに三たび石のゆかを踏みならす。肩に負う髪の時ならぬ波を描いて、二尺余りを一筋ごとに末まで渡る。
薤露行 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)