夕闇ゆうやみ)” の例文
ま夏のじぶんには、それでも、夕闇ゆうやみの中に私のゆかたが白く浮んで、おそろしく目立つような気がして、死ぬるほど当惑いたしました。
灯籠 (新字新仮名) / 太宰治(著)
時雨しぐれの通りこせし後は林のうちしばし明るくなりしが間もなくまた元の夕闇ゆうやみほの暗きありさまとなり、遠方おちかたにてつつの音かすかに聞こえぬ。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
夕闇ゆうやみの迫っている崖端がけはなの道には、人の影さえ見えなかった。瀕死ひんしの負傷者を見守る信一郎は、ヒシ/\と、身に迫る物凄ものすご寂寥せきりょうを感じた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
夕闇ゆうやみの中に泉邸の空やすぐ近くの焔があざやかに浮出て来ると、砂原では木片を燃やして夕餉ゆうげしをするものもあった。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
夕闇ゆうやみの底に、かえってくっきりとみえる野菊のとむらがあるところで、彼女はしゃがんでそれをつみとりながら、顔をあおのけていった。
白い道 (新字新仮名) / 徳永直(著)
古藤はしゃちこった軍隊式の立礼をして、さくさくと砂利じゃりの上にくつの音を立てながら、夕闇ゆうやみの催した杉森すぎもりの下道のほうへと消えて行った。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
夢中むちゅうはらったおれん片袖かたそでは、稲穂いなほのように侍女じじょのこって、もなくつちってゆく白臘はくろうあしが、夕闇ゆうやみなかにほのかにしろかった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
夕闇ゆうやみがあたりをつつみはじめ、四辻よつつじが白っぽくその中に浮かんでいた。やはり女はいた。ひざを折って、道にかがんでいる。
待っている女 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
あわただしい将官たちのとソビエットに挟まれた夕闇ゆうやみの底に横たわりながら、ここにも不可解な新時代はもう来ているのかしれぬと梶は思った。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
セエラの微笑ほほえみは、男を喜ばしたに違いありません。彼は夕闇ゆうやみのような顔をぱっと輝かして、白い歯並を見せて笑いました。
屋敷やしきの入口で馬車をおりたときは、もう夕闇ゆうやみがたちこめていました。おばさんは大きなカエデの木の下にたたずんで、あたりを見まわしました。
夕闇ゆうやみ時が過ぎて、暗く曇った空を後ろにして、しめやかな感じのする風采ふうさいの宮がすわっておいでになるのもえんであった。
源氏物語:25 蛍 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そのようなヘリコプターが、夕闇ゆうやみがうすくかかって来た空から、とつぜんまい下りて来たので、春木少年はおどろいた。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ここは谷間たにあいのせいか、いちだんと暮色ぼしょくくなって、もう夕闇ゆうやみがとっぷりとこめていたから燕作は泣きだしたくなった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やっと遠い夕闇ゆうやみの中に、村外れの工事場が見えた時、良平は一思いに泣きたくなった。しかしその時もべそはかいたが、とうとう泣かずに駈け続けた。
トロッコ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
広い、静かな水の上に軽い霧が立ちめている。なんだか夕闇ゆうやみがゆるやかに湖水の底から登って来て、次第に岸の方へひろがって行くように感ぜられる。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
いつの間にか夕闇ゆうやみがあたりをこめ、たださえ暗い密室は文目あやめもわかぬ闇となっていた。その暗黒に包まれたまま、彼の泣き声はいつまでもつづいていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
夕闇ゆうやみが迫るころ、イカバッドはヴァン・タッセルの城に到着した。すでに近隣の才子佳人が大ぜい集っていた。
この頃はうちの子供たちも本に夢中になって、御飯ごはんによばれても来なかったり、夕闇ゆうやみ窓際まどぎわ電燈でんとうをつけずに読み入っていたりして、よく母親にしかられている。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
身をひるがえした長庵が夢中で駈け出したとき、男と女の笑い声を載せた駕籠は、もう夕闇ゆうやみに消えていた。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
冷々ひえびえした夕闇ゆうやみのなかで、提燈をかかえるようにして暖まったり、タバコを吸ったりして荷物のくるのを待った。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
人の気配けはいもしない黙々たる死んだような人家に囲まれ、しだいに濃くなってゆく夕闇ゆうやみのうちに包まれ
わたしはおいおい夕闇ゆうやみの濃くなりつつある堤のうえにたたずんだままやがて川下の方へ眼を移した。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
少し目の慣れるまで、歩きなやんだ夕闇ゆうやみの田圃道には、道端みちばたの草の蔭でこおろぎかすかに鳴き出していた。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かれは、せっかく、はこちかづいたかかとを、後方うしろかえしました。ふりくと、夕闇ゆうやみなかに、老人ろうじん姿すがたえて、くろはこだけが、いつまでもすなうえにじっとしていました。
希望 (新字新仮名) / 小川未明(著)
博士が警察署けいさつしょをでると、外には夕闇ゆうやみがせまり、夜になろうとしていた。街角まちかどには警備けいびのひとが立ち、三人四人と隊を組んだ見張りの者が、町の通りをあるきまわっていた。
日が暮れて青い夕闇ゆうやみの中を人々がほの白くあちこちする頃、人力車は大野の町にはいった。
おじいさんのランプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
だいだい色や金縁や淡碧うすみどりに縁取られた重畳してる線で、地平を取り囲みながら、柔らかな輝きを見せている雪のアルプス連山、ダ・ヴィンチ式の山々。アペニン山脈に落ちてくる夕闇ゆうやみ
もう夕暮れ近くで、青白い夕闇ゆうやみが、雪の上に立ちこめていて、玄関はうす暗かった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
夫の帰った物音に引窓からさす夕闇ゆうやみの光に色のない顔を此方こなたに振向け、油気あぶらけせた庇髪ひさしがみ後毛おくれげをぼうぼうさせ、寒くもないのに水鼻みずばなすすって、ぼんやりした声で、お帰んなさい——。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
小母おばさんは夕闇ゆうやみをすかして庄吉の姿をじっと見守った。それから物も云わないで彼の首筋を捉えてぐんぐん家の中に引きずり込んだ。そして庄吉を其処につき倒して、足で蹴り続けた。
少年の死 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
もう秋に入って日も短かくなったこととて、すでにうっすらと夕闇ゆうやみは迫り、うす暗い電気がそこの廊下にはともっていた。建物は細長い二棟ふたむねで廊下をもって互いに通ずるようになっている。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
瀕死ひんしの手で裂いたのだから、つぎ合せるのにひまはかからなかった。かれは夕闇ゆうやみのなかで、紙片に書いてある文字を走り読みしたが、にわかに顔色を変え、低く、口のなかであっと叫んだ。
城を守る者 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夕闇ゆうやみが迫って来た。城内の廊下も薄暗い。その時、蓬髪ほうはつで急ぎ足に向こうから廊下を踏んで来るものがある。その人こそ軍艦奉行、兼外務取り扱いとして、江戸から駆けつけて来た彼の友人だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夕闇ゆうやみがせまる武蔵野むさしののかれあしの中をふたりは帰る。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
夕闇ゆうやみ蘆荻ろてき音なく舟きぬ
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
入日いりひ残光ざんこうが急にうすれて、夕闇ゆうやみ煙色けむりいろのつばさをひろげて、あたりの山々を包んでいった。と、東の空に、まん丸い月が浮きあがった。満月まんげつだ。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ホテルの隣りの花屋が数個のライトをけ、夕闇ゆうやみの中に、そこだけが小さな舞台ほどの明るさで照らし出されていた。
一人ぼっちのプレゼント (新字新仮名) / 山川方夫(著)
しかし、直ぐ金剛石のことを思い出すと裏へ廻って行って、夕闇ゆうやみの迫った葉蘭はらんの傍へうずくまって、昼間描いておいた小さい円の上を指でっとおさえてみた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
と眼の色をかえてわめき、「馬鹿にするな!」とくだんの小皿を地べたにたたきつけて、ふっと露路の夕闇ゆうやみに姿を消した。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
されど空気は重く湿しめり、茂り合う葉桜の陰を忍びにかよう風の音は秋に異ならず、木立こだちの夕闇ゆうやみは頭うなだれて影のごとく歩む人のたぐいを心まつさまなり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
夕闇ゆうやみがせまってきたので、足もともほの暗くなったが松並木へでた伊那丸は、けんめいに二町ばかりかけだした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夕闇ゆうやみは刻々に夜の色を加えて、部屋の隅々はもう見分けられぬほどとなり、負傷者の美しい顔を彩った血の色が、墨でも塗ったようにドス黒く見えてきた。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かなりぬれているらしいくつをはいて、雨水で重そうになった洋傘こうもりをばさばさいわせながら開いて、倉地は軽い挨拶あいさつを残したまま夕闇ゆうやみの中に消えて行こうとした。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
わたしは、音楽がときとして湧きおこしがちな幻想にひたってすわっていた。夕闇ゆうやみが次第に身のまわりに濃くなり、記念碑がなげる暗影はいよいよ深くなってきた。
たかは、黒雲くろくもに、伝令でんれいすべく、夕闇ゆうやみそらのぼりました。ふるいひのきはあめかぜぶためにあらゆるおおきなえだちいさなえだを、落日後らくじつごそらにざわつきたてたのであります。
あらしの前の木と鳥の会話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
早川の谿谷けいこくの底はるかに、岩に激している水は、夕闇ゆうやみを透してほのじろく見えていた。その水からき上って来る涼気は、浴衣ゆかたを着ている美奈子には、肌寒く感ぜられるほどだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
幸子はしばらく門柱にもたれて夕闇ゆうやみの中を視詰みつめながらたたずんでいたが、矢張夫たちの帰って来そうなけはいがないので、応接間に戻って、苛々いらいらする気分を落ち着けるように、蝋燭ろうそくに灯をつけて
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ダヴィデは心おくしもせず、振り向いて王をながめた。そしてサウルのひざに頭をのせて、また歌をつづけた。夕闇ゆうやみが落ちてきた。ダヴィデは歌いながら眠ってしまい、サウルは泣いていた。
昼でも少し薄暗い四畳半の片隅には、夕闇ゆうやみがすぐ訪れた。その訪れにつれて、本を片手にだんだん窓際まどぎわに移って行った。ふと顔をあげると、疲れた眼に、すぐ前の孟宗籔もうそうやぶの緑があざやかにうつった。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)