れい)” の例文
平陽へいようれいを勤めていた朱鑠しゅれきという人は、その性質甚だ残忍で、罪人を苦しめるために特に厚い首枷くびかせや太い棒を作らせたという位である。
婆あさんが最後に蓋を切つて味を見て、それから杓子をれいの杖のやうにてて、「さあ、皆お掛、御馳走が始まるよ」といつた。
いましも船首甲板せんしゆかんぱんける一等運轉手チーフメート指揮しきしたに、はや一だん水夫等すいふら捲揚機ウインチ周圍しゆうゐあつまつて、つぎの一れいとも錨鎖べうさ卷揚まきあげん身構みがまへ
また董昭とうしょうは——さきに、帝の勅使として来て曹操にその人品を認められていたかの董昭公仁こうじんは——この際いちやく、洛陽のれいに登用された。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉王ごわう臺上だいじやうより、((孫子ガ))まさ愛姫あいきらんとするをおほいおどろき、すみやかに使つかひをしてれいくださしめていは
そうしたら、ぼくは、敬服けいふくするがなあといって、れいちゃんは、一人ひとり子供こどもっているどんぐりを一つもらって、みちとおくへいてきたのですって。
金歯 (新字新仮名) / 小川未明(著)
臣愚しんぐおもえらく、今よろしくそのを師とすべし、晁錯ちょうさくが削奪の策を施すなかれ、主父偃しゅほえんが推恩のれいならうべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
永くりてやうなきを思ひて、賢弟が菊花のちぎりある事をかたりて去らんとすれば、経久うらめる色ありて、丹治にれいし、吾を九九大城おほぎの外にはなたずして、つひにけふにいたらしむ。
指図役さしづやくのおかたでございますか、馬乗ばじようれいくだしてられます。四ツつぢところともつてりました電気燈でんきとうが、段々だん/\あかるくなつてると、したがつては西にかたむきましたやうでございます。
牛車 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
敵将マカロフ提督これを迎撃せむとし、倉皇さうくわうれいを下して其旗艦ペトロパフロスクを港外に進めしが、武運やつたなかりけむ、我が沈設水雷に触れて、巨艦一爆、提督もまた艦と運命を共にしぬ。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
しかるべき門は見えるが、それも場末で、古土塀ふるどべい、やぶれがきの、入曲いりまがつて長く続く屋敷町やしきまちを、あまもよひの陰気な暮方くれがた、その県のれいつかふる相応そうおう支那しなの官人が一人、従者をしたがへて通りかかつた。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
れい風霜の威もすごく
天地有情 (旧字旧仮名) / 土井晩翠(著)
これひさしうして景公けいこう使者ししや(二〇)せつしてゆるす。((使者))せて軍中ぐんちうる。穰苴じやうしよいはく、『しやうぐんれば、きみれいけざるところあり』
そこへれいちゃんがとおりかかると、ちょうど、たかのこずえに、すずめが二、三まってないているのを、そのおとこひとつけて、すぐにねらったのですって。
金歯 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「これは涿県楼桑村たくけんろうそうそんの生れで、それがしとは幼少からの朋友です。劉備りゅうびあざな玄徳げんとくといって、つい先頃までは、平原県へいげんけんれいを勤めていた者です。——どうかよろしく」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大佐たいさ一顧いつこ軍刀ぐんたうさやはらつて、きつ屹立つゝた司令塔上しれいたうじやう、一れいたちまたかく、本艦々上ほんかんかんじやう戰鬪喇叭せんとうらつぱる、士官しくわん肩章けんしやうきらめく、水兵すいへいその配置はいちく、此時このときすではやし、すでおそし、海賊船かいぞくせんから打出うちだ彈丸だんぐわんあめか、あられか。
すると、そのおとこは、ねらいを中止ちゅうしして、そんならきみてるかといって、れいちゃんをにらんだそうよ。
金歯 (新字新仮名) / 小川未明(著)
と。(二三)れいくだすこと流水りうすゐみなもとごとく、民心みんしんしたがはしむ。ゆゑ(二四)ろんひくうしておこなやすし。
そこで即日、大赦たいしゃれいを発せられ、施薬せやく施粥せがゆの小屋を辻々におき、なおまた、かくは、臣洪信こうしんを遠くにおつかわしあって、当山の虚靖天師きょせいてんしに、病魔調伏ちょうぶくの祈りを、おん頼みあった次第である。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここおい(七)これみぎす。婦人ふじんおほいわらふ。孫子そんしいはく、『約束やくそくあきらかならず、(八)申令しんれいじゆくせざるは、しやう罪也つみなり』と。た三れいしんしてこれひだりす。婦人ふじんおほいわらふ。
孫子そんしいはく、『まへすなはむねひだりひだりみぎみぎうしろすなはよ』と。婦人ふじんいはく、『だく』と。約束やくそくすでき、すなは(五)鈇鉞ふゑつまうけ、すなはこれ(六)れいしんす。