かん)” の例文
一、病中かんなるを幸ひ、諸雑誌の小説を十五篇ばかり読む。滝井たきゐ君の「ゲテモノ」同君の作中にても一頭地いつとうちを抜ける出来えなり。
病牀雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それは丁度ちょうど午前十時半ごろだった。この時刻には、流石さすがの新宿駅もヒッソリかんとして、プラットホームに立ち並ぶ人影もまばらであった。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
とっぷりと暮れて六ツ半ともなれば、参詣の人影も絶え、ついで、屋敷の大扉はとざされてしまったので、あたりはひっそりかん
トタン屋も来ない様になり、家の中は一層ひっそりかんとして、私が大股に縁側を歩く音が、気の引ける様に、お寺の様に高い天井に響く。
農村 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そしてどこの門の中も、人気が無いかのようにひっそりかんとしていて、敷きつめた小砂利の上に、太陽がチカ/\光っていた。
子をつれて (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
津田のあくあさ眼をましたのはいつもよりずっと遅かった。家のなかはもう一片付ひとかたづきかたづいた後のようにひっそりかんとしていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
老齢六十五、何十年来藩政をみて、また天下の枢機すうきにも参じ、いま致仕ちしして、かんにあってもなお、かれはしみじみそうかこたずにはいられない。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渡り廊下でつづいた別棟に、お蓮様、丹波をはじめ道場の一派、われかんせずえんとばかり、ひっそりかんと暮らしているんです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
巨大な旧式洋館の大沢子爵邸内の春の夜はヒッソリかんと静まり返って、階下玄関の大時計グランドファザーのユックリユックリとした振子の音が冴え返っていた。
継子 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
かん中の余技よぎとしてたのしむ僕達ぼくたち棋戰きせんでさへ負けてはたのしからず、あく手をしたりみの不足でみをいつしたりした時など
四境かんにして呼吸の蜜よりも甘い時、恍惚こうこつとして夢路に迷い入るの快味を味わうものにとっては、この世の歓楽などは物の数ではないとのこと。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし湊川みなとがわへ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎魅りょうみも影をかくして軒を並ぶる小亭かんとして人の気あるは稀なり。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
一議いちぎに及ばず、草鞋わらじを上げて、道を左へ片避かたよけた、足の底へ、草の根がやわらかに、葉末はずえはぎを隠したが、すそを引くいばらもなく、天地てんちかんに、虫の羽音はおとも聞えぬ。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もう夕方で、閉館時間が迫って来て、見物達は大抵帰ってしまい、館内はひっそりかんと静まり返っていた。
目羅博士の不思議な犯罪 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
琴平様の縁日の時は、多少賑うが、ふだんはいつもひっそりかんとしている。前が宮様で、その隣が公園だからでもあろう。私はあんな住心地の好いところを知らない。
芝、麻布 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
さいわいに私は一日のかんを得たので、二三の兵卒を同道して、初対面のこの大伯父の寺を訪れたのである。老僧は八十有余の善智識ぜんちしきであって、最早もう五十年来、この寺の住職である。
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
八畳の書斎の中央に、一かんりの机を前にして父は端然と坐つてゐた。そして其眼はぢつと前方遠くを見凝みつめてゐた。机の上には一冊の和本と、綴ぢた稿本かうほんとが載せてあつた。
父の死 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
ここでグラリと肉附きのよい躯を、左の方へ蜒らせて、腰のつがいの軟かさを示し、眼を細くしてウットリかんと、民弥の顔に見入りかけたが、ハッと気がついて少し赧くなり
猫の蚤とり武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
中から出て來たのは、少し古くなつた桐柾きりまさの箱で、そのふたを取ると、中に納めてあるのは、その頃明人みんじん飛來ひらいかんといふ者が作り始めて、大變な流行になつて來た一閑張かんばり手筐てばこ
どの部屋の窓のカーテンも皆下りてひっそりかんとしている。たま/\わが隣室にはタイプライターを打つ音が響いている。この隣室にもタイピスト一人出て来ているものかも知れぬ。
丸の内 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
「おかしいねえ、いやにひっそりかんとしているねえ」と、他の一人は腹立たしげに云った、「いかにも何でも、本船の難儀に気づかぬわけはあるまい、先程、たしか、自分は見たが」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
口をせんとすれば、学を脩むるのかんなし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
戦後その身のかんなるがために所謂いわゆる脾肉ひにくたんえず、折柄おりから渡来とらいしたる日本人に対し、もしも日本政府にて雇入やといい若年寄わかどしより屋敷やしきのごとき邸宅ていたくに居るを得せしめなばべつかねは望まず
松吟庵しょうぎんあんかんにして俳士はいしひげひねるところ、五大堂はびて禅僧ぜんそうしりをすゆるによし。いわんやまたこの時金風淅々せきせきとして天に亮々りょうりょうたる琴声きんせいを聞き、細雨霏々ひひとしてたもと滴々てきてきたる翠露すいろのかかるをや。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そしてどこの門の中も、人氣が無いかのやうにひつそりかんとしてゐて、敷きつめた小砂利の上に、太陽がチカ/\光つてゐた。
子をつれて (旧字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
帆村が続いて外に飛び出して見ると、蠅男は何処へ行ったものか影も姿もなく、戸外には唯ひっそりかんとした黒暗暗こくあんあんたる闇ばかりがあった。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
第一線に近い岡崎を退き、わざと浜松に、かんをめでて、大坂のことなど耳から遠い顔をしていた家康は、ことしになって、よく狩猟かりに出ていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そう、粗忽そこつだから修業をせんといかないと云うのよ、忙中おのずかかんありと云う成句せいくはあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙弥さん」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
停車場ステイション演劇しばいがある、町も村も引っぷるってたれが角兵衛に取合とりあおう。あわれ人の中のぼうふらのようなせわしい稼業のたち、今日はおのずからかんなのである。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひっそりかんとしたものですから、七兵衝は炭団をさかなに、また煙草をのみはじめ、座敷の中を見るとはなしに見まわしているうち、なんとなく無常の感というものにでも打たれたように
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
鎌倉河岸の三國屋は、ひつそりかんと、無氣味なほど靜まり返つてをりました。錢形平次と八五郎が乘込んで行くと、不承/\に迎へたのは、手代の丈太郎といふ、拔目の無い感じの三十男です。
京都清遊の後、居士はたちまち筆硯ひっけん鞅掌おうしょうする忙裡ぼうりの人となった。けれどもかんを得れば旅行をした。「旅の旅の旅」という紀行文となって『日本』紙上に現われた旅行はその最初のものであった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
葬式彦だけはけろりかんとこれだけは片時も離さない屑籠を背にてすりに腰かけてはだけたお美野の裾前を覗き込むように、例の「かんかんのう、きうのれす——」でも低声こごえに唄っているのだろう。
父のかん奉天ほうてんの令で、公平の人物として名高かった。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのとき彼は多少のかんでも心にあったのか。短冊たんざくを手に何か書きかけていたが、立騒ぐ周囲を見て「すべては運命というもの。俄に何の用心やある」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新聞屋になって、ただすもりの奥に、哲学者と、禅居士ぜんこじと、若い坊主頭と、古い坊主頭と、いっしょに、ひっそりかんと暮しておると聞いたら、それはと驚くだろう。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
水曜日は諸学校に授業あるにかゝはらず、私塾大抵たいていは休暇なり。予はかんに乗じ、庭にでての竹藪に赴けり。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そのうちに一行は見る見るうちに室を出ていって、あとはヒッソリかんとして機会は逃げてしまったのだ。
俘囚 (新字新仮名) / 海野十三(著)
丹波をはじめ十五人の道場のものどもが、いまだに顔を出さないのみか、さほど広くもなさそうなこのりょうが、イヤにヒッソリかんとして、どこにその連中がいるのか、そのけはいすらもないことです。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ひつそりかんと鎭まり返つて居るのでした。
として彼は今日も、舶載の支那鉢に、ひと株の福寿草を移し植え、それを卓の春蘭しゅんらんとならべて、みずから入れた茶をきっしながら、ひとりかんを養っていた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春は過ぎても、初夏はつなつの日の長い、五月中旬なかば午頃ひるごろの郵便局はかんなもの。受附にもどの口にも他に立集たちつどう人は一人もなかった。が、為替は直ぐ手取早てっとりばやくは受取うけとれなかった。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
敷き棄てた八反はったん座布団ざぶとんに、ぬしを待つ温気ぬくもりは、軽く払う春風に、ひっそりかんと吹かれている。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
同じ警察署の夜更よふけである。今夜は事件もなく、署内はヒッソリかんとしていた。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
真夜中の江戸は、うそのようにヒッソリかんとしています。折りから満潮みちしおとみえまして、ザブーリ、ザブリ、橋ぐいを洗う水音のみ、寒々とさえわたって、杭の根に、真白い水の花がくだけ散っている。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
けれどお前達に心配させてはなるまいから、これからは孔明も折々にはかんを愛し身の養生にも努めることにしよう
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそりかんと行き尽して、かやばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わしも今日は、こうして一人で留守番だが、湯治場とうじばの橋一つ越したこっちは、この通り、ひっそりかんで、人通りのないくらい、修善寺は大した人出だ。親仁はこれからが稼ぎ時ではないのかい。
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「中は、ひっそりかんとしてまっせ」
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
かんの身境、じゃくの心境。やはり人間には、尊いものに相違ございません。けれど、まったくの閑人となっては、そのかいもありません。空寂くうじゃくというべきです。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)