稲荷いなり)” の例文
旧字:稻荷
飯綱の本尊は陀祇尼天だきにてんということであるが、その修験者は稲荷いなりとも関係があって、よく狐をつかって法術を行うということであります。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
嫁や娘たちが、海辺や湯治場で、暑い夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装みなりをして、川崎の大師や、羽田の稲荷いなりへ出かけて行った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
場所は、稲荷いなり町の遊廓くるわの裏だった。お蔦は自前芸妓じまえげいしゃとして、なかの大坂屋とか、山の春帆楼しゅんぱんろうや風月などを出先にかせいでいるのである。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往還わうくわんよりすこし引入ひきいりたるみちおくつかぬのぼりてられたるを何かと問へば、とりまちなりといふ。きて見るに稲荷いなりほこらなり。
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
あたかも、わが国にてきつね稲荷いなり様のお使いとして貴ぶと同様である。なんぴともインドへ行き、土人の室内を見て驚かぬものはなかろう。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
昨日きのうもちょうどそんな事を考えながら歩いて、つまるところがペンキの看版かんばんかきになろうが稲荷いなり八幡様はちまんさまの奉納絵を画こうがかまわない。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
もりなかには、ちいさなお稲荷いなりさまのほこらがたっています。そのほこらのとりいのまえは、あちらのまちへつづく、ひろいみちになっていました。
赤土へくる子供たち (新字新仮名) / 小川未明(著)
誰が買って遣るものか。もっと先の、小さいお稲荷いなりさんのある近所に、もう一軒ありますから、すぐに行って買って来ましょうね
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
裏山つづきの稲荷いなりほこらなどが横手に見える庭石の間を登って、築山つきやまをめぐる位置まで出たころに、寿平次は半蔵を顧みて言った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その神の下し方 は日本のお稲荷いなりさんとは大分に様子が違う。実に奇怪な遣り方で、急に気狂いが起ったかと思う位のものです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
現代で羽田はねだというと直ぐと稲荷いなりを説き、蒲田かまたから電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
こいつをヒョロヒョロとやって、左内坂を登り、市ガ谷八幡の境内に入ると、右は長竜寺ちょうりゅうじで、左は茶の木稲荷いなり、淋しいところで
暑中休暇に、ふるさとのむらへかえって、邑のはずれのお稲荷いなりの沼に、毎夜、毎夜、五つ六つの狐火が燃えるという噂を聞いた。
懶惰の歌留多 (新字新仮名) / 太宰治(著)
飛木稲荷いなりの前を東に一二丁ほど往くと、そこが請地の踏切である。私は東武電車で浅草に出ようと思って、その踏切のほうに向っていった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
裏庭の梅林に小さな稲荷いなりほこらのあるのを、次兄が、開けて見たら妙な形の石があったというので、祖母にひどくしかられました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
九州の各地には二月の初午はつうまに対して、十一月の初午にも家の稲荷いなりの祭をしているが、これもその一つの現われかもしれない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お出しになって『河内かわちイ——瓢箪山ひょうたんやま稲荷いなりの辻占ア——ッと……ヤイ。野郎……買わねえか』と云ううちに通りすがりの御客を
超人鬚野博士 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
汚い天水桶の上には鳥の柔毛にこげが浮んでいた。右の方の横手の入口に近い処に小さな稲荷いなりほこらがあって、半纏はんてん着の中年の男がその前にしゃがんでいた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
娘義太夫、おでんや、稲荷いなりずし、吹矢ふきや小見世物こみせものが今の忠魂碑の建っている辺まで続いておりました。この辺をすべて山王下といったものです。
京に入りて息子とかの宿に行くまでの途中いさゝか覚束なく思わるゝは他人のいらぬ心配かは知らず。やがて稲荷いなりを過ぐ。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
土地とちんで、もうまち成立せいりつわすれ、開墾かいこん当時たうじ測量器具そくりやうきぐなどのをさめた、由緒ゆいしよある稲荷いなりやしろさへらぬひとおほからうか、とおもふにつけても。——
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
既に十五夜の晩にも玉の井稲荷いなりの前通の商店に、「皆さん、障子しょうじ張りかえの時が来ました。サービスに上等の糊を進呈。」
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
対岸には水神の森があり、少し下流には真崎稲荷いなりの森があった。水神の森に続いて向島堤の桜並木が見える筈であった。
暴風雨の中 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
昨日の正午ひるやぶの内まで用たしに行ったついでに、祭の景気を見に随身門から境内へはいって、裏手念仏堂から若宮稲荷いなりへかけての人ごみの中を
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
おッとッと、そう一人ひとりいそいじゃいけねえ。まず御手洗みたらしきよめての。肝腎かんじんのお稲荷いなりさんへ参詣さんけいしねえことにゃ、ばちあたってがつぶれやしょう
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
河には船が相変らず頻繁に通り、向河岸の稲荷いなりの社には、玩具がんぐ鉄兜てつかぶとかぶった可愛かわゆい子供たちが戦ごっこをしている。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
歯がゆうてならん、そこの裏の稲荷いなりの狐らしい、暴れて仕方がないので呪禁まじないして貰ったらいくらかおとなしくなった。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
先刻さっきからの経路を、一番いやな心で見ていたのは稲荷いなり九郎助くろすけだった。彼は年輩から云っても、忠次の身内では、第一の兄分でなければならなかった。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二人は稲荷いなりさんのほこらについた。祠は小さいが、八幡さまのに次ぐくらいの大松が二本生えている。僕達はその下に立った。もう日の暮れ近くだった。
村一番早慶戦 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しのぶおかと太郎稲荷いなりの森の梢には朝陽あさひが際立ッてあたッている。入谷いりやはなお半分もやに包まれ、吉原田甫たんぼは一面の霜である。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
安さんは大抵たいてい甲州街道南裏の稲荷いなりの宮に住んで居たそうだ。埋葬は高井戸でしたと云うが、如何どん臨終りんじゅうであったやら。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そのために、到頭一生忘れられぬ記憶を、刻み付けられてしまいましたが……塔沢岳、稲荷いなり山……地図に磁石を当て当て、道を南へ取って進みました。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
狐は稲荷いなりの使わしめとなっているが、「使わしめ」というものはすべてはじめは「聯想れんそう」から生じた優美な感情の寓奇ぐうきであって、鳩は八幡はちまんの「はた」から
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ヘリコプターは、このままの方向で飛びつづけると、お稲荷いなりさんのうしろの山に、ぶつかるにちがいなかった。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
行ってみると、くすのきの大木の森の中に葛の葉稲荷いなりほこらが建っていて、葛の葉ひめの姿見の井戸と云うものがあった。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これではならぬと思い、私は考えた末、これを私の前栽せんざいへ解放してやろうと思った。前栽には大きな石が積み重ねてあり、その上には稲荷いなり様がまつってあった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
初午はいうまでもなく稲荷いなりまつり、雛市は雛の市、梅見は梅見、天神祭りは二十五日の菅公祭かんこうさい、湯島、亀戸かめいど、天神と名のつくほどのところはむろんのことだが
そして遂に面目を失い都へ逃げ帰って、辛うじて命だけを永らえて稲荷いなりの付近にわび住いしていたという。
左団次の、新富町の家の稲荷いなり祭りなんていうと、おしょさんは夢中だ。それでもきまりが悪いので、むこうにゆくと子供しゅたちが大よろこびで——なんていっている。
かえで桜松竹などおもしろく植え散らし、ここに石燈籠いしどうろうあれば、かしこに稲荷いなりほこらあり、またその奥に思いがけなき四阿あずまやあるなど、この門内にこの庭はと驚かるるも
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
街子まちこの父親は、貧しい町絵師でありました。五月幟ごがつのぼりの下絵や、稲荷いなり様の行燈あんどんや、ビラ絵をいて、生活をしているのでありました。しかし、街子はたいそう幸福でした。
最初の悲哀 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
わたしも、……わたしは兄に知れないやうに、つい近所のお稲荷いなり様へお百度を踏みに通ひました。——さう云ふ始末でございますから、雛のことも申しては居られません。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いゑいゑねえさんの繁昌はんじようするやうにと私がぐはんをかけたのなれば、参らねば気が済まぬ、お賽銭さいせん下され行つて来ますと家を駆け出して、中田圃なかたんぼ稲荷いなり鰐口わにぐちならして手を合せ
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
今度は一つ稲荷いなり様を見てろうと云う野心を起して、私の養子になって居た叔父様おじさまの家の稲荷のやしろの中には何が這入はいって居るか知らぬとけて見たら、石が這入て居るから
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
1、危険をおかさぬ範囲で、この島のあらゆる隅々を歩き廻り、何か祭ってあるもの、例えば稲荷いなり様のほこらとか、地蔵様とか、神仏に縁あるものを探し出して、知らせて下さい。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その稲荷いなりずしはアパートの路地を国際通りに出たところにある、名代昔団子と書いたのれんのかかった「桃太郎」という店の、店の宣伝をするわけではないが、大層おいしい
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
チンドン屋が、啓吉達の横をくぐって、抜け道のお稲荷いなりさんの宮の中へ這入って行った。
泣虫小僧 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
其時分にもう太田の家は石津川の向ひの稲荷いなりの森の横の今の所へ移つて来て居ました。
月夜 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
さて句意は、初午すなわち二月の最初の午の日には、稲荷神社はもとよりのこと、大名その他大きな邸宅の中にある稲荷いなりにも多くの人が参詣さんけいするのでありますが、ふと足を踏まれた。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
代助は何故なぜダヌンチオの様な刺激を受けやすい人に、奮興色ふんこうしょくとも見傚みなし得べき程強烈な赤の必要があるだろうと不思議に感じた。代助自身は稲荷いなりの鳥居を見ても余り好い心持はしない。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)