あたたか)” の例文
かのあたたかうれしい愛情は、単に女性特有の自然の発展で、美しく見えた眼の表情も、やさしく感じられた態度もすべて無意識で、無意味で
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
あれからしばらくたつたあたたかい日、栄蔵は勉強に疲れた頭を、海から来る新鮮な風にあてて休めるため、波打際の方へおりていつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
我身わがみ不肖ふしょうながら家庭料理の改良をもととして大原ぬしの事業を助けばやと未来の想像は愉快にみたされて結びし夢もあたたかに楽しかりき。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
八太郎はさう独語ひとりごとつて、二匹の子犬を拾ひ上げて、懐の中に入れてやりました。子犬はあたたかい懐の中で、うれしがつて鼻を鳴らしました。
犬の八公 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
げろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱりつかれてもいればこういう款待かんたいあたたかさをかんじてまだ止まっていたいようにも見えた。
十六日 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それは、お日様ひさまあたたかっているのをたり、雲雀ひばりうたいたりして、もうあたりがすっかりきれいなはるになっているのをりました。
あるいは人生の長き実験より、あるいは深き学識より、あるいはあたたかき同情より彼を慰むれどもいずれも問題の中心に触れない。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
千の苦艱くげんもとよりしたるを、なかなかかかるゆたかなる信用と、かかるあたたか憐愍れんみんとをかうむらんは、羝羊ていようを得んとよりも彼は望まざりしなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
すべてのあたたかい夜はおれを拒み、すべての巣はおれに戸を閉ざしている。あいにくと、たいした持ち合わせもない。彼には行き場所がなかった。
赤い手帖 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
それにしても好いたのれたのというようなもしくはそれに似た柔くあたたかな感情を起し得るものとは、夢にも思って居なかった。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「どうも腎臓が悪うございましてね、今晩も夜伽よとぎに来てくれた方が、寒いからあたたかい物で、酒を出すと云っておりますよ」
黄灯 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そこでおじいさんとおばあさんは、あわてておゆうをわかして、あかちゃんにおゆうをつかわせて、あたたか着物きものの中にくるんで、かわいがってそだてました。
瓜子姫子 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
樫の木は狼を抱へて風を防いでやり、狼もまた自分の毛のあたたかみで樫の木を暖めてやるかたちになりましたので、狼と樫の木は結婚してしまひました。
小熊秀雄全集-14:童話集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
手工藝をただ過ぎ行くものとして捨てる人もあるが、余り粗野な見方と思える。日本の工藝はまだあたたかいのである。多くは家庭の手仕事として生れている。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
どこかあたたかい土地か温泉に行って静かに思索してはいかがでしょう。青森の兄さんとも相談して、よろしくとりはからわれるよう老婆心ろうばしんまでに申し上げます。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
辰夫は何事にも諦めよく深く自らを卑下ひげしていたが、自分の家族に就てだけはあたたかい愛を信頼していた。
(新字新仮名) / 坂口安吾(著)
大将は肉体も見上ぐるばかりの清げな大男で、其手は昨年の夏握ったトルストイの手の様に大きくあたたかであった。午後には梁川君と語り、夜はブース大将の手を握る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
保吉は霜曇りの空のしたに、たった一つ取り残された赤革の手袋の心を感じた。同時に薄ら寒い世界の中にも、いつかあたたかい日の光のほそぼそとさして来ることを感じた。
寒さ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あたたかい気持ってものは、窓とか、壁とか、そんな障碍物しょうがいぶつを越えて、相手の心に通じるものだと思うわ。
「そうそう」とガロエイ卿もしわがれ声を出して、「それからオブリアン君も居らんようですが、私はあの人を、死体がまだあたたかった時にお庭を歩いておるのを見かけましたが」
ヴィタリスはもう死んでいた。わたしも死ぬところであったのを、カピがむねの所へはいって来て、わたしの心臓しんぞうあたたかかにしていてくれたために、かすかな気息きそくのこっていた。
かえって、ほかほかあたたかだね。取っちゃ食い、取っちゃ食いするだ。が、あとからあとから湧くですわい。二十間の毛皮を縫包ぬいぐるみにしておるで、形のあるうちは虫が湧くですだ。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、その婦人の身体には、未だ幾分かあたたかみが残っていた。肉附のよい、見るからに豊満な全身にわたって、まだ硬直のきたしていないことが、誰の眼にも生々しい事件を想像させた。
電気風呂の怪死事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ことにこの一箇月半の鎌倉の生活が、一層二人を親しくした。澤が食当りで五日ばかり寝た時の養子の看護は、母親の慈愛のあたたかさを知らない青年の心には、忘れがたいものに思われた。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
僕は古賀の勤めている役所の翻訳物を受け合ってしていたので、懐中があたたかであった。その頃は法律の翻訳なんぞは、一枚三円位取れたのである。五十円位の金はいつも持っていた。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
喜悦と信頼と愛情との一種言うべからざるあたたかきものが心のうちに生ずるのを感じた。
炉ばたのあたたかいところに誘おうとしましたが、それは何の甲斐もありませんでした。
そのあたたかな愛念も、幸福な境界きょうがいも、優しい調子も、うれしそうに笑う眼元も口元も、文三が免職になッてから、取分けて昇が全く家内へ立入ったから、皆突然に色がめ、気が抜けだして
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
其の生涯の孤獨といふ考にはこゝろから同情どうじやうしながらも、なほ他に良策りやうさくがあるやうに思はれてならなかツた。少くとも自分だけは、もう些ツとあたたかな、生涯を送りたいやうな氣がしてならなかツた。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
(莨を捨て、両手を差伸べ、あたたかに。)本当にわたくしは、このお部屋を拝見いたすのを、昨晩からたのしみに致して参りましたのでございますよ。あなたのお身のまわりにあるこんなものを残らず。
かれ天性てんせいやさしいのと、ひと親切しんせつなのと、礼儀れいぎのあるのと、品行ひんこう方正ほうせいなのと、着古きぶるしたフロックコート、病人びょうにんらしい様子ようす家庭かてい不遇ふぐう、これらはみなすべ人々ひとびとあたたか同情どうじょう引起ひきおこさしめたのであった。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
はだあたたかいうちに剥ぎ取つて持つて來て、自分の妻に與えたのです
我が髪の元結ひもやゝゆるむらむあたたかき湯に身をひたす時
かろきねたみ (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
そのあたたか薔薇ばら色を
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
くろへ腰掛こしかけてこぼこぼはっていくあたたかい水へ足を入れていてついとろっとしたらなんだかぼくがいねになったような気がした。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
... 全くあたたかい処で泡立てると三十分のものは二十分で出来ますね。つまり泡を大きく立たせ過ぎたのでしょう」お登和嬢
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
翌朝になって下僚したやくの者が往ったところで、権兵衛は祭壇の前で割腹していたが、未明に割腹したものと見えて、錦の小袴を染めている血にあたたかみがあった。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
これが醜かったら生活に親しさやあたたかみはなくなるでありましょう。たとえ当り前な平凡なものに思われても、人間の生活に大きな役割をっていることが分ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
このむねの低い支那家しないえの中には、勿論今日もかんが、こころよあたたかみを漂わせていた。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「それはへんだねえ。生きかえったものなら、体温が上ってあたたかくなるはずだ」
宇宙戦隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
大村の詞はひどく冷澹れいたんなようである。しかしその音調や表情にあたたかみがこもっているので、純一は不快を感ぜない。聖堂の裏の塀のあたりを歩きながら、純一は考え考えこんな事を話し出した。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あたたかひかりや、そよかぜ隙間すきまから毎日まいにちはいようになり、そうなると、子家鴨こあひるはもうみずうえおよぎたくておよぎたくてたまらない気持きもちしてて、とうとう牝鶏めんどりにうちあけてしまいました。
堅くないだけに親しみやすい。色も概してよくまたあたたかい。もっとも大谷石にも大体三通りの区別があり、従って色調もちがう。やや黄ばんだ緑色を呈したものは味がいい。
野州の石屋根 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
うるみを持った瞳が笑うとともにほてった唇がまた隻頬かたほおあたたかく来た。章一の瞳はとろとろとなった。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「うん、ちょっと気味が悪いね。夜になってもやっぱりあたたかいかしら。」
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
年増の手にした雑巾ぞうきんであろうあたたかきれ双足りょうあしに来た。年増の香油こうゆの匂いが気もちよく鼻にしみた。
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
白い厚みのある釉薬のかかった陶器で、絵も何もない無地のものであります。味いがあって早くから茶人たちに愛されました。さすがに昔のは素直な出来で、あたたかしずかな感じを受けます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
うとうとしていた章一は、片頬かたほおあたたか緊縛きんばくを覚えたのでふと眼を開けた。艶消つやけし電燈のやわらかなあかりは、黒いねっとりとうるみを持った二つの瞳とほてった唇をそこに見せていた。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
驚いたように云った対手あいてあたたか呼吸いきほおにかかるように思った。務は驚いて眼をみはった。
白っぽい洋服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
が、その後妻が、しばらくすると黙り込んで、あまり口数をかないようになり、その女を包んでいた花の咲きそうなあたたかな雰囲気が無くなって、冷たいこわばったものとなってしまった。
藍微塵の衣服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)