まく)” の例文
襤褸ぼろシャツをまくりあげた二の腕に「禍の子」「自由か死か」という物凄い入墨の文字が顔を出しているのをも、彼は見逃さなかった。
しかし今夜の彼女は、まくし立てるには痛手を負いすぎていた。それに今の場合、葉子にとってもっとも大切なことは善後策であった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
男がこう言ったとき「瘠せたことは知っているんですが……、」と女はこたえると、袖のところをまくって細い手をさすって見せた。
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
着物をまくって向うずねの古い傷あとをみせたり、四つか五つの子供のように、玩具を持って来て「いっしょに遊ぼう」とせがんだりする。
しじみ河岸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かの女がやや無遠慮にその布をまくろうとすると、規矩男は手を振って「今日は書物なんかにかかわりくはないですよ」と止めた。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
野槍をそこに立てかけて置いて、次郎はおずおずとビラ幕をまくり上げました。そして、女に無関心な彼の目にも迫るような濃艶な顔が
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黄色きいろひかりこゝろよくあざやかに滿ちて晩秋ばんしうみづのやうなあはしもひそかにおりる以前いぜんからこと/″\くくる/\と周圍しうゐまくはじめて
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
赤い椀を山に盛つた汁粉の出店の前から横に入ると、四十位の色の黒い女が腕まくりをして大きな聲で人を呼んでる見世物小屋の前に出た。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
そうであったのか。……伸子は、大声あげて笑ってやりたかった。同時に佃を打ちのめしたかった。荒々しい自棄が、彼女を吹きまくった。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ちょいとどうぞと店前みせさきから声を懸けられたので、荒物屋のばばは急いで蚊帳をまくって、店へ出て、一枚着物を着換えたお雪を見た。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
精進湖しょうじこの岸まで来た時にも、まだ春の夜は明けなかった。岸辺を北の方へ歩いて行った。藤丸の渓流を渡る時、彼は苦心して裾をまくった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「——その上この十日ばかり、張って張って張りまくったそうだから、三文博奕ばくちにしても、五両や十両はっているそうですよ」
床の間の掛軸が、バラ/\と吹きまくられて、ね落ちると、ガタ/\とはげしい音がして、鴨居かもいの額が落ちる、六曲の金屏風きんびょうぶが吹き倒される。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
女がクリーム色の洋傘こうもりして、素足に着物のすそを少しまくりながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿うしろすがたを、僕はうらやましそうにながめたのです。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
さあ何とで御座んす、と袂をらへてまくしかくる勢ひ、さこそは當り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隱れて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
と逃げもすれば殴飛はりとばす勢いで、市四郎は拳を固めてひかえて居ます。松五郎お瀧の両人は多勢に云いまくられ、何も云わず差俯向さしうつむいて居ました処へ
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
と言って、蒲団をまくって見ると儒者の冠をつけた秀才になっていた。彼は起きてねだいの前へ往ってお辞儀をして、自分を殺さなかった恩を謝した。車は
酒友 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
まくった空臑からすねに痛いと感ずるほど、両脚が、太く冷たかった。男は半町ばかり先を行く。三次、撥泥はねを上げて急いだ。
御承知の通、小諸は養蚕どこですから、寺の坊さんまでが衣の袖をまくりまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこで勝名は自分の尻を叩く事にめた。ある家来の子供にしこたま御馳走をふるまつて、上機嫌になつた時、大きな尻をまくつてその鼻先に突きつけた。
とある道の角に、三十ぐらゐいやしい女が、色のめた赤い腰巻をまくつて、男と立つて話をしてた。其処そこに細い巷路かうぢがあつた。洗濯物が一面に干してあつた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
とお互い同志で着物のすそまくり合ってキャッキャッと悪戯わるふざけを始めたがしまいには止め度がなくなってお使いにやられる通りすがりの見も知らぬ子のお尻を
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
こう言ってすさまじき啖呵たんかを切ったけれども、あわれむべし、このとき吹きまくった大波は、お角のせっかくの啖呵を半ばにして、船もろともに呑んでしまいました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
次に児玉さんは、病人が着ていた掛布団をぎ、病人の上に被せてあった寝間着を、下腹の辺までまくり上げた。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
小肥こぶとりに肥った、そのくせどこか神経質らしい歌麿うたまろは、黄八丈きはちじょうあわせの袖口を、この腕のところまでまくり上げると、五十を越した人とは思われない伝法でんぽうな調子で
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
それでも猿は苦しまぎれに寝衣にかじり付いたから、寝衣はずるりとまくれて、老翁の臀が全く露出したところである。そして老翁の眼は爛々とかがやいている。
ドナウ源流行 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
吉野は無雜作に下駄を脱ぎ裾をまくつて、ヒタ/\と川原の石に口づけてゐる淺瀬にザブ/\と入つて行く。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
洋袴ズボンまくって水を渡ったが、これではとても届きそうにもない。マゴマゴすればせっかく近寄った函が、また長濤に乗って沖の方へと漂ってゆきそうな懸念がある。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
千代松はまだ少し早いが輕いからよいので着て來た紺飛白こんがすり單衣ひとへの裾をまくつて、式臺に腰を下ろした。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
紀久子は心の中につぶやいた。彼女は渦巻き吹きまくる恐怖の嵐のために、胸が裂けてしまいそうだった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
見知らぬ浪人者が、腕まくりして、三人、益満を睨んで、三方から取巻いた。駕屋が、恐る恐る、駕を人々のところから引出して、道傍で、不安そうに、囁き合っていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
島へ着いた翌日から強い風が出て、後三日にわたって吹いて吹きまくった。雨も時々まじったが、何より風の強さに驚いた。島の人にくと、こんな風ならしょっちゅうだと言う。
石ころ路 (新字新仮名) / 田畑修一郎(著)
これも何か思い当る処あるらしく、客なる少女の顔をじっと見て、又たそっと傍の寝床を見ると、少年は両腕うでまくり出したまま能く眠っている、其手を静に臥被ふとんの内に入れてやった。
二少女 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ふと目を覚した極めて僅かな瞬間のうちに激しい嵐の唸り声を——それは遥かに武蔵野を遠く縹渺ひょうびょうと吹きまくるもののやうに聴きとれたが——とりとめもない唯それだけの険しい唸りを
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
弾圧の強襲が吹きまくっているときに、積極性を示すものは仲々数少なかったのだ。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
暫くして用をしにこうと思って、ヒョイと私が部屋を出ると、何時いつ来たのか、お糸さんがツイ其処で、着物の裾をクルッとまくった下から、華美はでな長襦袢だか腰巻だかを出し掛けて
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
母親がそれについて何かいおうとするのを、かぶせるようにして言いまくった。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
滔々とうとうと述べ立てる先生の有様は、宛も気焔を吐きたくて、誰か聞いて呉れる人を待って居たとでもいう風である、余は唯我が心の中は旋風つむじかぜの吹きまくる様な気持で、思いも未だ定まらねば
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
取り落すにぞお花は直くと立上り樣吾助が肩先かたさき五六寸胸板むないたかけ斫込きりこんだり然れども吾助はしにもの狂ひ手捕てどりにせんと大手をひろげ追つまくりつ飛掛るをお花は小太刀こだち打振々々うちふり/\右にくゞり左に拂ふを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まだ身を切る様な烈風が吹まくり、底深く荒れ果てた一面の闇を透して遠く海も時化しけているらしく、此処から三マイル程南方にある廃港の防波堤に間断なく打揚る跳波の響が、風の悲鳴にコキ混って
気狂い機関車 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
まくり縮めたる袖を体裁きまり悪げに下してこそこそと人の後ろに隠るるもあり。
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かかる犯罪予防のため関所で少年姿の秘部を検したから「ちょいとまくり云々」と唄うたものだ。『明月記』に天福元年十一月御法事の夜僧房の童が女の姿で堂上に昇り、大番武士にからめらるとあり。
と赤羽君は腕まくりをした。うらみ骨髄こつずいに徹している。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
に向ってさかんにまくし立てて居るのであります。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
と蒼くなってまくしたてた。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ガルールは横っちょにペッと唾を吐きながらちあがって、ズボンの裾をまくりあげて立ち去ろうとすると、男は馴々しく肩へ手をかけて
洗いざらしの単衣ひとえに三尺をしめ、藁草履をはき、片方の裾をまくって、ひょろひょろと来たが、すれちがいさまにどんと去定に突き当った。
振袖源太は、赤地總模樣の大振袖の腕をまくり上げて、拳下こぶしさがりに一刀を構へたまゝ。三丈餘りの高梁たかはりの上から、土間の平次を見下ろしました。
梵鐘ぼんしょうの如き声で末座の一人にあごを向けると、はッと答えていさぎよくそれへ出た一人の修験の門輩、柿色の袖をまくして一礼をなし
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さあ何とで御座んす、と袂をらへてまくしかくる勢ひ、さこそは当り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隠れて
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)