土塀どべい)” の例文
掘割の向うは公儀の御米蔵で、堀沿いにずっと土塀どべいが延びているし、うしろは佐渡屋、丸伍、京伝などという大きな問屋が並んでいる。
夜の蝶 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
高い土塀どべいと深い植込とに電車の響もおのずと遠い嵐のようにやわらげられてしまうこのの茶室に、自分は折曲げて坐る足の痛さをもいとわず
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
十六むさし、将棋の駒の当てっこなどしてみたが気が乗らぬ。縁側に出て見ると小庭を囲う低い土塀どべいを越して一面の青田が見える。
竜舌蘭 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そしてもなく、わたくし住宅すまいとして、うみから二三ちょう引込ひっこんだ、小高こだかおかに、土塀どべいをめぐらした、ささやかな隠宅いんたくててくださいました。
わたしの光は街路をつくっている、長いはだかの土塀どべいを照らしました。あちこちに門がありましたが、どれもしまっていました。
お父様は藩の時徒士かちであったが、それでも土塀どべいめぐらした門構の家にだけは住んでおられた。門の前はおほりで、向うの岸はかみのお蔵である。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
清盛のすがたは、水薬師の大藪道おおやぶみちを通って、一軒——というよりは一かくといったほうが正しいほど長い土塀どべいの前に立っていた。
で、あしはこうちいたいたので、宛然さながら城址しろあと場所ばしよから、もり土塀どべいに、一重ひとへへだてた背中合せなかあはせの隣家となりぐらゐにしかかんじない。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
けい州の某家の忰は元来が放埒無頼ほうらつぶらいの人間であった。ある時、裏畑に土塀どべいを築こうとすると、その前の夜の夢に一人の美人が枕もとに現われた。
開放した濡縁ぬれえんのそとの、高い土塀どべいで取り囲んだ小庭には、こんもり茂った植込みのまわりに、しっとりとした夜霧が立ち白んだようになって
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
荒廃した土塀どべいいしずえばかり残った桑畠なぞを見、離散した多くの家族の可傷いたましい歴史を聞き、振返って本町、荒町の方に町人の繁昌はんじょうを望むなら
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
町屋風の格子戸や、土塀どべいに囲われた門構の家などが、幾軒か立続たてつづいたはずれに、低い垣根に仕切られた広々した庭が、先ずお島の目をいた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし時代の風はミサ子の家の高い土塀どべいをも忘れずにのりこえて、彼女の夫をもさらっていったまま、まだ帰らぬ兵隊のひとりに加えていた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
村にたつた一つあるホテルの庭に入り込んでゐた私たちの子供仲間のアマタルが、突然土塀どべいを乗り越え、息をきらせて村の広場へ逃げて来ました。
亜剌比亜人エルアフイ (新字旧仮名) / 犬養健(著)
此の化物屋敷も土塀どべいは崩れたまま、雨は洩るままと言ったような古い大家にごろごろと五、六人の学生が下宿していた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
あるむらはずれまで散歩さんぽすると、そこにおおきな屋敷やしきがあって、おしろかなどのように、土塀どべいがめぐらしてありました。
武ちゃんと昔話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
御所の勝手知っている仲兼は土塀どべいを乗りこえ、大床おおゆかの下をって、法皇の御座まで進み、御座の切板の隙間から泰親の勘状を差しあげたのであった。
茫然ぼうぜんと見守っていた亀吉は、歌麿の姿が吸いこまれたのを見定めると、嫉妬しっとまじりの舌打を頬冠りの中に残して、元来もとき縁生院えんじょういん土塀どべいの方へ引返した。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
彼の身体からだ土塀どべいに行き当った馬のようにとまると共に、彼の期待も急に門前で喰いとめられなければならなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
田主丸たぬしまるや吉井を通れば、土塀どべいや土蔵の家々が町の古い物語りを話しかける。これも泥絵の画工たちが重々私たちに「覚えよ」といってくれた題目である。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
雨や風がむしばんでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀どべいが崩れていたり家並が傾きかかっていたり——勢いのいいのは植物だけで
檸檬 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
たちばなとはまた違った感じのする花の香に心がかれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀どべいのない自由さに乱れ合っていた。
源氏物語:15 蓬生 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ハッとして、矢庭やにわにあと戻りをして、土塀どべいの角になった所へ身を隠して、よく見ると、屋根の上の人物というのは、外ならぬ傴僂の丈五郎であることが分った。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
皆川半之丞の指さしたのは、お京の死骸の横たわっていた植込みの真上にかぶさる長崎屋の土塀どべいでした。
西町奉行にしまちぶぎやう荒尾但馬守あらをたじまのかみは、たか土塀どべいかこまれた奉行役宅ぶぎやうやくたくの一しつで、腕組うでぐみをしながら、にツとわらつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
もうじき、土塀どべいの家のかどをまがると、きこえなくなるわ。ほら、もうきこえなくなったでしょう。
病む子の祭 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
そこは大きなやしきの前で、左右の長屋の武者窓むしゃまどすきから燈火ともしびが処どころれているのを見た。うしろの方を見るとそこにも大きな邸の土塀どべいがあった。人もぼつぼつ通っていた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
周囲にめぐらした土塀どべいも崩れ、山門も傾き、そこにつたがからみついて蒼然そうぜんたる落魄らくはくの有様である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ここはずっと町家ちょうかのない土塀どべい続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番御誂おあつらえの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた気色けしきは見せず
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ごみめの箱をくつがえしたごとく、あの辺一帯にひろがって居る貧民窟ひんみんくつの片側に、黄橙色だいだいいろ土塀どべいの壁が長く続いて、如何いかにも落ち着いた、重々しい寂しい感じを与える構えであった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ルピック夫人——さあ、にんじん、お前は、金盥を持ってって、裏庭の土塀どべいの上へ出してお置き。村じゅうのものがぞろぞろ見て通れば、お前だってちったあ恥ずかしいだろう。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
京都所司代の番士のお長屋の、茶色の土塀どべいすみ黒々と、楽書きをしている女があった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
決してたいした構えではないが、それでも格式だけは大事にして、明様みんよう土塀どべいに型ばかりのお長屋門、細目にくぐりをあけてのぞくと、数寄屋詰道句風すきやづめどうくふうをまねた前庭の飛び石づたいに
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
大友道からサッポロに辿たどり着いた彼は、ひろい空地のように見える草ッ原——やがてそれも道路になるのであろうが——その向うに、土塀どべいをめぐらした白木づくりの庁舎に目を注いだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
白く塗った土塀どべい、左手はゆるやかな山すそで、いろんな灌木かんぼくや草がはえています。前には小さな川が流れていて、魚が泳いでいます。川の向こうと右手の方には、たんぼが続いています。
影法師 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
馬はがばつとはねあがり、ソン将軍はにはかにせいが高くなる、将軍は馬のたづなをとり、弟子とならんでへやを出る。それから庭をよこぎつて厚い土塀どべいの前に来た。小さなくぐりがあいてゐる。
北守将軍と三人兄弟の医者 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
「島原はまはり土塀どべいにて甚だ淋し、なかちょうと覚しき所、一膳飯いちぜんめしの看板あり」
冬の薄ら日のさしてる村の片ほとり、土塀どべいなどのある道端に、侘しい寒菊が咲いてるのである。これも前と同じく、はかなく寂しい悲しみを、心の影でじっと凝視しているような句境である。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その白き土塀どべいの中には西洋らしく、ゴムの大樹がしげっている。その中のオークルジョスや青緑のペンキか何かが塗られた古風な木造の洋館がトンボ釣りの私の心をいたく刺戟しげきしたものであった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
取着とつき土塀どべい由々ゆゆしく構へて、かどには電燈を掲げたるかたにぞりける。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
僕は字引を街で金にえて、平井の紹介状しょうかいじょうふところに、その郊外の邸へ行ってみた。武者窓でもつけたら、さむらいが出て来そうな、古風な土塀どべいをめぐらした大邸宅で、邸を囲んで爽々さつさつたる大樹がしげっていた。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
やがて島原の遊びにもどうやら厭きた様子で、毎日ぶらりぶらりと手下を引連れて都大路を歩きまわり、或る日、古い大きな家の崩れかかった土塀どべいのわれ目から、ちらと見えた女の姿に足をとどめ
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
見上げるような大きい太い銀杏は墓場を仕切っている土塀どべいの傍に突立っていた。土塀は大方崩れかかっていた。墓場から少し離れた所に本堂があった。本堂は可成かなり大きくて、廻りがずっと空いていた。
贋紙幣事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
しかし、村とはいうものの、竹藪たけやぶの中にぽつんぽつんと小さな家が茅葺かやぶきの屋根をうかべているだけで、戸数は合せて四五十戸もあろうか、——どの家にも低い土塀どべいにかこまれた細葉の垣根があった。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
石道いしみち土塀どべい古寺ふるでらと墓地と大木の多い街であつた。花の多い街であつた。樹木の葉の色は東京などよりも一層鮮かに濃いやうに見えた。
海洋の旅 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
明くる朝、その寺の土塀どべいに付いたくぐり門から、二人の浪人者がはいってゆき、十時ころ、さらに三人の浪人者がはいっていった。
さがさう、たづねようとおもまへに、土塀どべいしやがんで砂利所じやりどころか、石垣いしがきでも引拔ひきぬいて、四邊あたり八方はつぱう投附なげつけるかもわからなかつたんです。……
艶書 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
七人のかげが流れ矢をくぐってそとへとびだし、いっぽうの血路けつろを斬りひらく覚悟で、うらの土塀どべいによじ登ろうとすると
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土塀どべい、白壁の並び続いた荒町の裏を畠づたいに歩いて、やがて小諸の町はずれにあたる与良町の裏側へ出た。非常に大きな石が畠の間に埋まっていた。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そんな通りを幾個いくつも通り過ぎて、腕車くるまは石垣や土塀どべいの建て続いた寂しい屋敷町の方へ入って行った。雲の重くれ下った空から、雨がしぶしぶ落ちて来た。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)