加賀かが)” の例文
さきには、きたしょうめて、一きょ柴田勝家しばたかついえ領地りょうち攻略こうりゃくし、加賀かがへ進出しては尾山おやましろに、前田利家まえだとしいえめいをむすんで味方みかたにつけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加賀かがの人でも、この頃では余り知っている人が少い位だから、東京の人などには、「真正の九谷焼」は余り知られていないようだ。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
これは能登のと越中ゑつちう加賀かがよりして、本願寺ほんぐわんじまゐりの夥多あまた信徒しんとたちが、ころほとん色絲いろいとるがごとく、越前ゑちぜん——上街道かみかいだう往來ゆききしたおもむきである。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そのとき父俊成は四十九歳、定家には七歳上の兄成家なりいえがある。母は美福門院びふくもんいんの女房加賀かがといって、はじめ皇后宮少進藤原為隆ためたかの妻であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
赤城あかぎ鳳翔ほうしょうが第一で、加賀かが竜驤りゅうじょうが第二。これが海軍の艦上機を、数はちょっといえないが、相当沢山積んで、黄海や東シナ海へ敵を迎え撃つ。
空襲下の日本 (新字新仮名) / 海野十三(著)
加賀かが能登のとではタチアイといい、熊野でマジミというなども深い意味があるらしいが、それはなお私には雀色である。
かはたれ時 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
沖の方にかかっているずんべらぼうの怪物は航空母艦『赤城あかぎ』と『加賀かが』だ。『竜驤りゅうじょう』と『鳳翔ほうしょう』は第一戦隊『長門』『陸奥』『山城』等の蔭にかくれている。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
呂昇ろしょう大隈おおすみ加賀かが宝生ほうじょう哥沢うたざわ追分おいわけ磯節いそぶし雑多ざったなものが時々余等の耳に刹那せつな妙音みょうおんを伝える。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
七八年ぜんのことです。加賀かがでしたか能登のとでしたか、なんでも北国の方の同人どうじん雑誌でした。
一人の無名作家 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
日本の染物の中で、真に美しいものは友禅ゆうぜんである。中でも加賀かが友禅は最も美しい。だがその友禅にも先んじて、友禅と類似するものが、あの遠い南の孤島琉球で作られてあった。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そしてその風の吹く時には、きっと福浦岬から続いた海中に加賀かがの白山がくっきりとそびえ立っているのが見えるのでした。そのほかの時には大抵たいてい、空の色合いろあいや、雲の具合で見えないのが普通でした。
少年と海 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
また、さす町にある白山はくさん神社、これは小石川の総鎮守で神領三十石、神主由井氏ゆいし奉祀ほうしす。祭るところの神は、加賀かが白山はくさんに同じ、九月の二十一日がおまつりで、諸人群集、さかんなものである。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
今から最早もう数年前すねんぜん、その俳優やくしゃが、地方を巡業して、加賀かが金沢市かなざわし暫時しばらく逗留とうりゅうして、其地そこで芝居をうっていたことがあった、その時にその俳優やくしゃが泊っていた宿屋に、その時十九になる娘があったが
因果 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
初めて聞いた俳人の名は加賀かが千代ちよという名前でその句は
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
それが、この大坂城へ移ってからは、いつのまにか、三の丸には、三条さんじょうつぼねだの、加賀かがの局というのができ、また、二の丸には、寧子も
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
旗艦陸奥むつ以下長門ながと日向ひゅうが伊勢いせ山城やましろ扶桑ふそうが、千七百噸級の駆逐艦八隻と航空母艦加賀かが赤城あかぎとを前隊として堂々たる陣を進めて行くのであった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私の郷里は、片山津かたやまづという、加賀かがの温泉地である。今は加賀市になって、国際観光ホテルもあり、近くに立派なゴルフ場もある。まるで昔日の面影はない。
私の生まれた家 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
かれはその壮時そうじにおいて加賀かが銭屋内閣ぜにやないかくが海軍の雄将ゆうしょうとして、北海ほっかいの全権を掌握しょうあくしたりし磁石じしゃく又五郎またごろうなりけり。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それからまた加賀かが白山はくさん菊酒きくざけの由来として、昔或る美女が路傍の家で酒を売っていたので、男たちがみな迷い、村の女が怒って火を掛けたという伝説もある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
赤城あかぎ』『加賀かが』『竜驤りゅうじょう』——すごいやつがそろっている。まるで鋼鉄の浮き要塞だ。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
文政ぶんせい四年の師走しわすである。加賀かが宰相さいしょう治修はるなが家来けらい知行ちぎょう六百こく馬廻うままわやくを勤める細井三右衛門ほそいさんえもんと云うさむらいは相役衣笠太兵衛きぬがさたへえの次男数馬かずまと云う若者を打ちはたした。それも果し合いをしたのではない。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
北陸道というのは、若狭わかさ越前えちぜん、これが福井県。加賀かが能登のと、これが石川県。越中えっちゅう、これが富山とやま県。越後えちご佐渡さど、これが新潟にいがた県。以上の七国四県であります。昔はこの地方を「こし」の国と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
七尾から金沢表までの、能登のと加賀かがにわたる要所の城々には、つなぎのろしの設けがあることを、佐々は、とくに、探り知っていたからだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一体この医王山に、四季の花が一時いちじに開く、その景勝を誇るために、加賀かがばかりで染めるのだそうですな。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
仏教の寓意譚ぐういたんであるという『西遊記』が、これほど魅魔的みまてきに感ぜられたのは、雰囲気のせいもあった。その頃の加賀かがの旧い家には、まだ一向一揆いっこういっき時代の仏教のにおいが幾分残っていた。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
日本海側では越前えちぜん加賀かが能登のとなどで、ミテルを終了するの意味に用いている地方ならば、稲こきの完成をコキミテと謂うのは当り前の話だが、それが今ではもう分らなくなろうとしている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
だから、秀吉は、かれに対しては、本領の若狭わかさ近江おうみ越前えちぜん加賀かがの一部など、百万石に近い報酬ほうしゅうと優遇をもってした。当然な報恩である。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彫金ほりきんというのがある、魚政うおまさというのがある、屋根安やねやす大工鉄だいてつ左官金さかんきん。東京の浅草あさくさに、深川ふかがわに。周防国すおうのくに美濃みの近江おうみ加賀かが能登のと越前えちぜん肥後ひごの熊本、阿波あわの徳島。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
柳田やなぎださんは、旅籠はたごのあんまに、加賀かが金澤かなざはでは天狗てんぐはなしくし、奧州あうしう飯野川いひのがはまちんだのは、せずして、同氏どうし研究けんきうさるゝ、おかみん、いたこの亭主ていしゆであつた。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
当年、軍学兵法の講論こうろん大試合だいしあい参加さんかする諸家しょけは、まずご当家とうけ筆頭ひっとうに、小田原おだわら北条ほうじょう加賀かが前田まえだ出陣中しゅつじんちゅう豊臣家とよとみけ奥州おうしゅう伊達だて、そのほか三、四ヵ国のご予定よていとある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま、船は加賀かがの北浦に沿って、紅帆こうはん黒風こくふうのはためき高く、いよいよ水脚みずあしをはやめている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加賀かが大野おほの根生ねぶはま歩行あるいたときは、川口かはぐちいたところあしひとむらさへあれば、行々子ぎやう/\しこゑうづてた、にななぎされば、さら/\とそでずれの、あしのもとに、幾十羽いくじつぱともない
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
わざわざ御車みくるまをおむけになったのも、能登のと加賀かが出雲いずも伯耆ほうき伊予いよ播磨はりま下毛野しもつけ武蔵むさしなどの御料の牧の若駒どもが、加茂の五月をまえに、ぞくぞく都へひかれて来たので
美女ヶ原へきますと、十里みなみ能登のとみさき、七里きた越中立山えっちゅうたてやま背後うしろ加賀かがが見晴せまして、もうこのせつは、かすみも霧もかかりませんのに、見紛みまごうようなそれらしい花のこずえもござんせぬが
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
加州家かしゅうけの御先祖が、今の武生たけふの城にござらしった時から、おの入れずでの。どういうものか、はい、御維新前まで、越前のうちで、此処ここ一山ひとやまは、加賀かが領でござったよ——お前様、なつかしかんべい。
栃の実 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)