阿波あわ)” の例文
三好の残党は、病人の足利義栄よしひでをかかえて、海路を阿波あわへ逃げ落ち、松永弾正だんじょう久秀も、とうとう屈して、信長の陣門に、降を乞うた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これ以外に特に注意するのは、阿波あわの山村や伊予・土佐の各地に、これをイタンポまたはイタンボという例の多いことである。
おみねを立ち去らした跡を指さすと、平太郎は、阿波あわ人形のように胴を真っ直ぐにしたまま、首だけ垂れて腰を下ろした。
讃岐さぬき阿波あわ土佐とさ伊予いよと、県にすれば香川、徳島、高知、愛媛えひめの順になります。これらの国々は昔は南海道なんかいどうと呼ばれた地方の一部をなします。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
すなわち、近江中将入道蓮浄れんじょう佐渡国さどのくに、山城守基兼は伯耆ほうき、式部大輔雅綱は播磨はりま、宗判官信房は阿波あわ、新平判官資行が美作みまさかといったぐあいである。
先日は失礼致そうろう。あれより予定の通り阿波あわの鳴門徳島を経て去月二十五日帰洛きらく、二十九日御差立の貴札きさつ昨夜披見ひけん致候。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
小栗判官おぐりはんかん頼光らいこう大江山おおえやま鬼退治、阿波あわ鳴戸なると三荘太夫さんしょうだゆう鋸引のこぎりびき、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想のやみに浮き上がり
青衣童女像 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
海岸を東へ往って、野根山のねやまと云う山を越えると阿波あわの国になります。阿波から船で由良ゆらを渡って往きます。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「おゆみさん! 電気つけておくれッ。」お上さんの癇高かんだかい声がする。おゆみさんか、おゆみとはよくつけたものなり。私の母さんは阿波あわの徳島十郎兵衛。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
寂光院の塔頭たっちゅうに新たなるいおりを結んだ、一人の由緒ゆいしょある尼法師、人は称して、阿波あわつぼねの後身だとも言うし、島原の太夫の身のなる果てだと言う者もあります。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この前笑覧会というものがあって阿波あわ鳴戸なるとのお弓の涙だなんてびんに水を入れたものを見せるなどは気がかない。もっと、面白いことをして見せるのです……
彫金ほりきんというのがある、魚政うおまさというのがある、屋根安やねやす大工鉄だいてつ左官金さかんきん。東京の浅草あさくさに、深川ふかがわに。周防国すおうのくに美濃みの近江おうみ加賀かが能登のと越前えちぜん肥後ひごの熊本、阿波あわの徳島。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
剣山つるぎやま阿波あわより出でたるがゆえに、阿波第一の山名を取り、大鳴門は淡路あわじより出でたるゆえ、鳴門に取り、西の海は西国に出でたるゆえ、かの名あるがごとく、みな高山、名川
妖怪学 (新字新仮名) / 井上円了(著)
さりとはをかしく罪の無き子なり、貧なれや阿波あわちぢみの筒袖つつそで、己れは揃ひが間に合はなんだと知らぬ友には言ふぞかし、我れをかしらに六人の子供を、養ふ親も轅棒かぢぼうにすがる身なり
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
讃岐一国を狭しとして阿波あわの徳島、伊予いよの松山、土佐の高知などの夜宮角力よみやずもうにも出かけて、情容赦も無く相手を突きとばし張り倒し、多くの怪我人を出して、角力は勝ちゃいいんだ
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それでは阿波あわ鳴門なるとうずに巻込まれて底へ底へと沈むようなもんで、頭の疲れや苦痛に堪え切れなくなったので、最後に盲亀もうき浮木ふぼくのように取捉とりつかまえたのが即ちヒューマニチーであった。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
阿波あわの藩主松平阿波守が栗山についてこの古硯を一見した時所望の意を漏した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
まずいちばんさきに淡路島あわじしまをおこしらえになり、それから伊予いよ讃岐さぬき阿波あわ土佐とさとつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐おきの島、それから、そのじぶん筑紫つくしといった今の九州と、壱岐いき対島つしま
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
明治九年に国学者阿波あわの人某が、福沢のあらわす所の『学問のすゝめ』をはくして、書中の「日本にっぽん蕞爾さいじたる小国である」の句を以て祖国をはずかしむるものとなすを見るに及んで、福沢に代って一文を草し
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その顏ごとに名があります。伊豫いよの國をエひめといい、讚岐さぬきの國をイヒヨリひこといい、阿波あわの國をオホケツ姫といい、土佐とさの國をタケヨリワケといいます。次に隱岐おき三子みつごの島をお生みなさいました。
政元一家の内〻うちうちの人〻だけで相談して、阿波あわの守護細川慈雲院じうんいんの孫、細川讃岐守之勝さぬきのかみゆきかつの子息が器量骨柄も宜しいというので、摂州せっしゅうの守護代薬師寺与一やくしじよいちを使者にして養子にする契約をしたのであった。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そのころ、阿波あわ讃岐さぬきは右大将織田信長おだのぶながの領地であって、三好笑厳みよししょうげんがこれをあずかっていた。土佐の元親も、勢いはあったが、英傑信長の威勢にはまだ遠くおよばず、いつも三好におされ気味だった。
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
道のべに阿波あわの遍路の墓あはれ
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
寛政の初年に阿波あわからセンバという機械を直江津なおえつ持来もちきたる。一日に千把の稲を扱く故にこの名があった。本名を何というか知らぬと謂っている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
四国阿波あわの国第一の峻峰しゅんぽう、つるぎさんいただきから一羽の角鷹くまたかが、バタバタバタと翼を鳴らして斜めに飛び、やがて、模糊もことしたかすみの底へ沈んで行った。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このほか名高い瀬戸や普通の人の知らぬ瀬戸で潮流の早いところは沢山ありますが、しかし、何といっても阿波あわ淡路あわじの間の鳴門なるとが一番著しいものでしょう。
瀬戸内海の潮と潮流 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
もと蜂須賀はちすか氏の城下町でありました。あるいは「阿波あわ鳴戸なると」で人々はもっと記憶するかも知れません。または撫養むやの有名な凧上たこあげでこの国を想い起す人もありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
豊前ぶぜんの細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門ながとの毛利、阿波あわの蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸あきの福島、紀伊の浅野等をはじめとして
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
さりとはをかしくつみなり、ひんなれや阿波あわちゞみの筒袖つゝそでれはそろひがはなんだとらぬともにはふぞかし、れをかしらに六にん子供こどもを、やしおや轅棒かぢぼうにすがるなり
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
どんどろの芝居に出て来るお弓、阿波あわの十郎兵衛、順礼のお鶴、——などと云うのが生きていた世界はきっとこう云う町だったであろう。現に今ここを歩いているお久なんかもその一人ではないか。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それから上野の車坂くるまざかの方へ真直に合羽橋かっぱばしを渡ると、右角が海禅寺かいぜんじ(これは阿波あわ様のお寺)、二丁ほど行くと、右側が東明寺で、左が源空寺……すなわち源空寺門前の父の家のある所で、私は久しぶり
右は伊予いよの話であるが、土佐とさ阿波あわはことに犬神の迷信が強い。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
阿波あわ侯におかれては、いよいよ明日、まんじ丸でお国表へお引揚げなさる由、何やら盟主めいしゅを失うような寂寥せきりょうを覚えまする」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿波あわ祖谷山いややまではホウベラ、春の七草の一つのハコベラが、この草であったことが想像せられる。
寝床で母からよく聞かされた阿波あわ鳴門なるとの十郎兵衛の娘の哀話も忘れ難いものの一つであった。
重兵衛さんの一家 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
阿波あわつぼねの後身にでも見参ができるかと、それを楽しみにして来たら、餓鬼草紙から抜け出したような婆さんが出て、因果経のおさらいをして見せたには、一時いっときうんざりしましたが、こうして
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるというまた文楽座の人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある玉次郎若かりし頃「阿波あわ鳴門なると」で彼の師匠の大名人吉田玉造がものの場の十郎兵衛を
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
町人のゆらしている煙は西国煙草さいこくたばこらしい。それも阿波あわ煙草や薩摩さつま煙草ではなく中国ものだ——。そんな事を考えたりして、釣糸いとに心はいていないのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
杖の清水の話の中でも、殊に有名なものは、阿波あわでは下分上山しもぶんかみやま柳水やなぎみず、この村にはもとは水がなかったのを、大師がその杖で岩を突き、そこから清水が流れ出るようになりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その神戸かんべ信孝、丹羽五郎左衛門、津田信澄などの一軍は信長に先だって、諸般の軍備をととのえ、明朝兵船で住吉からまず阿波あわへ渡ることになっている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつて土佐とさから阿波あわへの山村を旅行していた際に、私はこの地方で麁麻布あらあさぬのの着用が東国よりも遥かに盛んであることに注意して、人にこの茶色に染めた布を何と謂うかを尋ねてみたが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これが——海を隔てた阿波あわ、四国の三好党と結びついたり、将軍義昭よしあきの弱点をうまくそそのかしたり、近畿きんきや堺の町人に悪宣伝をまいたり、一揆いっききつけたり
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ケケスはなお近江おうみの湖畔、阿波あわの吉野川流域、丹波たんば等にもあって弘い名称である。
月に何度か、阿波あわの国から大坂へ通う便船で、そうした貨物とともに便乗している客には、この年の暮を、大坂へ商用に出るか、戻るかする商人あきんどが八、九分で
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肥後ひご五箇庄ごかのしょうと並んで、山中の隠れ里として有名であった阿波あわ祖谷山いややまなどは、小民の家はみな竹ので、あの頃はまだ夏冬を通して、このタフを着て住んでいるという話であった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
どっちも物騒きわまる人物だが、周馬を、江戸という都会型の悪党とみるならば、孫兵衛は、元阿波あわ原士はらしであるところの、野性的な悪党だということができる。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この本軍は、ここ福良ふくらを発して、鳴門なると渦潮うずしおを渡り、阿波あわの土佐どまりに、足場を取る作戦と見えた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは阿波あわ三好党とよぶ四国の兵で、去年、京都から駆逐された十河そごう一族が中心である。都落ちの時、病人の足利義栄よしひでをつれて阿波へ逃げた十河存保そごうまさやすが、総指揮に当っている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
讃州さんしゅう丸亀まるがめ京極きょうごく阿波あわ徳島とくしま蜂須賀はちすか、姫路の本多、伊予の松平など、海には兵船をつらね、国境には人数を繰出くりだし、この赤穂領を長城ちょうじょうの壁のように囲んで、やじり砲筒つつを御家中へ向けている
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三好みよし氏は紀伊きい、伊賀、阿波あわ讃岐さぬきなどに、公方くぼう与力よりきと旧勢力をもっている点で無視できないが、これとて要するにことごとく頭の古い過去の人々であるばかりで、世をみだし民を塗炭とたんに苦しめた罪は
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)