こも)” の例文
むっとこもった待合のうちへ、コツコツと——やはり泥になった——わびしい靴のさきを刻んで入った時、ふとその目覚しい処を見たのである。
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
金眸は朝よりほらこもりて、ひとうずくまりゐる処へ、かねてより称心きにいりの、聴水ちょうすいといふ古狐ふるぎつねそば伝ひに雪踏みわげて、ようやく洞の入口まで来たり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
宗俊の語のうちにあるものは懇請の情ばかりではない、お坊主ぼうずと云う階級があらゆる大名に対して持っている、威嚇いかくの意もこもっている。
煙管 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それに私が音楽家で人気があったりしたので、私が大変なヴァンプで、象牙の塔にこもっている三浦を誘惑したように誤解したのです。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
辻中佐は、アシビキ号幕僚と共に噴行艇の一司令所にたてこもって、どんな司令でも出せるし直ちに通信もできるような位置についた。
大宇宙遠征隊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
一冬そこにこもっていれば、どんな難病も癒ってしまいますそうで、丈夫な身体の人が入れば、一生涯無病で暮らせるそうでございます
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
不愍やな、などと彼はよく口にもするが、かれが周囲の者を見る眼には、事実、不愍と思いやるまなざしが、何を見るにもこもっていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昼間の程はつとめてこもりゐしかの両個ふたりの、夜に入りて後打連うちつれて入浴せるを伺ひ知りし貫一は、例のますます人目をさくるならんよとおもへり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
根岸の御隠殿裏の貸屋にこもった——不義の汚名をせられ、親類一党から義絶された奥方としては、こうするよりほかに工夫はなかった
女のような声ではあったが、それに強い信念がこもっていたので、一座のものの胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。 
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
今しがたまでお客がいたものと見え、酒のかおりと共に、煙草たばこけむりこもったままで、紫檀したんテーブルみぞには煎豆いりまめが一ツ二ツはさまっていた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
暮に産をする間の隠れ場所を取り決めに、京橋の知合いの方へ出かけて行ったお銀は、年が変ってもやはり笹村の家に閉じこもっていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
窓硝子を洩れる真昼の冬の日に照らされて、陽炎かげろうのように立ち迷う湯気のなかに、黄いろい木実このみの強い匂いがこもっているのもこころよかった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一体この部屋は二人で寝てさえ狭苦しい上に、ナオミの肌や着物にこびりついている甘い香と汗のにおいとが、醗酵はっこうしたようにこもっている。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
捨吉は先ずこの文章にこもる強い力に心を引かれた。彼の癖として電気にでも触れるような深いかすかな身震いが彼の身内を通過ぎた。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「どうして、やつは大魔霊デモーネン・ガイストさ」と法水は意外なことばを吐いた。「あの弱音器記号には、中世迷信の形相すさまじい力がこもっているのだよ」
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
遺言と云っても、信一郎は青木じゅんの口ずから受けているのではない。が、彼は青木淳の死前のうらみこもったノートを受け継いでいる。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
イザヤ書の中にはイザヤの言は勿論であるが、彼よりも後代の無名の預言者の言も含まれて居り、又編輯者の信仰もこもって居る。
帝大聖書研究会終講の辞 (新字新仮名) / 矢内原忠雄(著)
丁度十月十二日池上のおこもりで、唯今以て盛りまするが、昔から実に大した講中こうじゅうがありまして、法華宗は講中の気が揃いまして
鼻孔にはわたせんが血ににじんでおり、洗面器は吐きだすもので真赤に染っていた。「がんばれよ」と、次兄は力のこもった低い声で励ました。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
しばらく館への出仕も止め家にばかりこもっていた。そうして時々例の紅巾を、こっそり取り出して眺めてはわずかに心を慰めていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……のみならず、その叔父独得の陽気な響きを喪った声の中には、今までにない淋しい……如何にも親身しんみの叔父らしい響さえこもっていた。
鉄鎚 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
昼間はついうっかり忘れているが、夜になると、彼女はいつも深く部屋の中にとじこもって、そして烈しい憤りに心をいらいらさせていた。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
仏滅より千年のうち毎歳千の凡夫僧ありてこの寺にこもり、終りて皆羅漢果を証し、神通力もて空をしのいで去った。千年の後は凡聖同居す。
つまり、島一つ無いというのが珍らしく、其処に感動がこもっているので、「なくに」が、「立てる白雲」に直接続くのではない。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
一間ひとまこもったまま足腰のきかなかったおばあさんが、ふとかげをかくして、行方知れずになったということがあるというのです。
糸繰沼 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
一分一秒を惜しんでせっせと暇さえあれば書斎にこもって書き物ばかししてらっしたし、それにこうなんとなく打ち沈んで元気がなかったし
ニッケルの文鎮 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
そしてかれはたなごころに載せた石をつくづくと見まもりながら、愛着のこもった調子でつぶやくように云った、「おれはこの素朴さを学びたいと思うよ」
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
何処へも出ずに自分の部屋にこもったまま、きのうお前に送ってもらった本の中から、希臘悲劇集ギリシアひげきしゅうをとりだして、それを自分の前に据え
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
郵便局の角から入ると、それから二三ちやうあひだは露店のランプの油烟ゆえんが、むせるほどに一杯にこもつて、きちがふ人の肩と肩とが触れ合つた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
寝間の粗壁あらかべを切抜いて形ばかりの明り取りをつけ、藁と薄縁うすべりを敷いたうす暗い書斎に、彼は金城鉄壁の思いかで、こもっていた。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
そこへ持ってきて、私の女房は、彼女にして見れば無理もないことでしょうが、病気と称して一間にとじこもったきり、顔も見せないのです。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
いつも通り女中に混って敷台へ送りに出た雛妓とわたくしとの呼び交わす声には一層親身の響きがこもったように手応えされた。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その時にう云う面白い事がありました。官軍が江戸に乗込んでマダ賊軍が上野にこもらぬ前に、市川辺に小競合こぜりあいがありました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
学校を途中でして帰ってきた兄は、家の庭に研究所を建ててほとんど終日それにこもっていた。兄は歌津子と結婚した。そして幸福であった。
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)
それがしの短句は、すでに殿下にもお聞きふるしでいらっしゃいましょう。今夜、ここに旅人がおこもりしておりますが、さっき当世風な俳諧を
我が蔭口を露ばかりもいふ者ありと聞けば、立出たちいでて喧嘩口論の勇気もなく、部屋にとぢこもつて人におもての合はされぬ臆病おくびやう至極の身なりけるを
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
芭蕉は「漂泊の詩人」であったが、蕪村は「炉辺の詩人」であり、ほとんど生涯を家にこもって、炬燵に転寝をして暮していた。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
五百年ごひやくねん千年せんねんまへうたほうが、自分じぶんたちのものよりはるかにあたらしく、もつと/\熱情ねつじようこもつてゐるといふことに、みんなこゝろづくようになりました。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
氏郷軍は民家を焼払って進んだところ、本街道筋にも一揆いっきこもった敵城があった。それは四竈しかま中新田なかにいだなど云うのであった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
息子は居間にこもり勝ちでありましたが、彼女はいたって快活で、もう三カ月も滞在していることとて、旅館の中をわがもの顔にはしゃぎまわり
メデューサの首 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
神にも拝謁はいえつのできぬものにはあらざるべしと決心し、これより種種しゅじゅの善行を志し、捨身すてみ決心して犬鳴山けんめいざんこも大行たいぎょうをはじめ
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
どこかで若い女の忍び泣きの声が妙にこもった低い調ととのい調子でこの人気のない山の奥からポソポソと聞えてきたのであった。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
その次には彼等が引きこもってめいを奉じないのを、攻め寄せて討ちとった。それでもいかぬのでその次には懐柔策を採った。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それが漸次ぜんじに地にひれ伏すうめきのように陰にこもり、太い遠吠とおぼえの底おもくうねる波となり、草叢くさむらを震わせる絶え絶えな哀音に変ったかと思うと
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
何十日も倉の中にこもったきりで、たまたま外気にあたってみると雲を踏んでいるような思いもしたが、さすがに胸の底には生返った泉を覚えた。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
右近が取らせてあったおこも部屋べやは右側の仏前に近い所であった。九州の人の頼んでおいた僧は無勢力なのか西のほうの間で、仏前に遠かった。
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
私は、「上善じょうぜんみずごとし」などと口ずさんでノンビリしていたが、それには、時の要素ようそを考えねばならぬという考慮こうりょや、色々のものがこもっていた。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
佳き文章とは、「情こもりて、ことばび、心のままのまことを歌い出でたる」態のものを指していうなり。情籠りて云々は上田敏、若きころの文章である。