おだや)” の例文
旧字:
坊主が一人船に乗込むと海が荒れるということはよく昔から言うことで大分気にした人もありましたが海は至っておだやかでありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
複雑多様の筋をめ、それをおだやかに解きながら、音楽も聞かせ色彩も見せ、興味本位の探偵物ながら、芸術的表現をも忘れない。
日本探偵小説界寸評 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
高い櫺子窓れんじまどである。そこへ人の顔が現われたのだ。イヤ、正確には、現れたような気がしたのだ。それはまことに、おだやかでない。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一通り出来るようじゃな、と老人がおだやかな微笑をふくんで言う。だが、それは所詮しょせん射之射しゃのしゃというもの、好漢いまだ不射之射ふしゃのしゃを知らぬと見える。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
田口はそうですかと、おだやかに敬太郎の返事を聞いただけで、少しも追窮する気色けしきを見せなかったが、急にくだけた調子になって
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
匕首あいくちかなんかで一突きにえぐられ、あッと叫ぶ間もなくこときれたのにちがいない。このおだやかな死顔を見ると、その辺の消息が察しられるのである。
外は水を打ったように静かなながめです。月光は青々とわたり、虫がチロチロと鳴いています。まるで狐に化かされたようなおだやかな風景です。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
おだやかに、寛大に、母親らしく、始末をしてやる。そればかりか、翌朝は、甘ったれた小僧のように、にんじんは、寝床ねどこを離れる前に食事をする。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
老人の顔附はおだやかにしてえみを浮めしとも云うことに唇などは今しも友達に向いて親密なる話をはじめんとするなるかと疑わる、読者記臆せよ
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
くさおほはれたをかスロープ交錯かうさくし合つておだやかなまくのやうに流れてゐた。人家じんかはばう/\としたくさのためにえなかつた。
美しい家 (新字旧仮名) / 横光利一(著)
しかもおだやかでないことは、あまり目立たない色の手拭か風呂敷を首に捲いて面をつつんでいることであります。
遺失おとさん積りで向へ持ってきさえすれば事が済むから、此処は此の儘おだやかにしないと、此のうちも迷惑するから
以前から見ると面差おもざしおだやかになって、取別とりわけて児供に物をいう時は物柔ものやさしく、こうして親子夫婦並んだ処は少しも危険人物らしくも革命家らしくもなかった。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
「なぜ早く聞かせなかった。何とかおだやかな方法もあったろうに、何しろりんはまだ若いから」といわれました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
政子はそう云ってから侍女こしもとを帰した。政子はそうしておだやかに云って侍女を帰したものの、頭の中は穏かでなかった。その政子の頭にちらと浮んだことがあった。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
これに引換え出雲の方はおだやかで温かで細かいところがあります。男性と女性とにもたとうべきでしょうか。一方は波風の烈しいいそがそうさせたのかも知れません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
はたしてもなく雷雨らいうは、ぬぐうがごとみ、やまうえれた、おだやかな最初さいしょ景色けしきもどりました。わたくしゆめからめたような気分きぶんで、しばらくは言葉くちもきけませんでした。
(なお、大柳直次氏の同説がある。)併し、歌の中の妻の死んだのも夏であり、その他の種々の関係が、旅人の妻の死を悼んだ歌として解釈する方がおだやかのように思える。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
手入を怠らぬ庭の樹木と共に飛石とびいしの上に置いた盆栽の植木は涼しい夏の夜の露をばいかにも心地よげに吸っているらしくおだやかなその影をば滑らかなこけと土の上によこたえていた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大波おおなみは見るまに、たちまちひめきこんでしまいました。するとそれといっしょに、今まで荒れ狂っていた海が、ふいにぱったりと静まって、急におだやかななぎになってきました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
私共の住んでゐた上田うへだの町裾を洗つてゐる千曲川ちくまがはの河原には、小石の間から河原蓬かはらよもぎがする/\と芽を出し初めて、町の空をおだやかな曲線でくぎつてゐる太郎山たらうやまは、もう紫に煙りかけてゐた。
父の死 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
朝凪あさなぎの海、おだやかに、真砂まさごを拾うばかりなれば、もやいも結ばずただよわせたのに、呑気のんきにごろりと大の字なりかじを枕の邯鄲子かんたんし、太い眉の秀でたのと、鼻筋の通ったのが、真向まのけざまの寝顔である。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ゴットフリートはおだやかにわらった。クリストフは少しむっとしてたずねた。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
そのの月日は以前よりもかえっておだやかにすぎたのです。養父も秘密を明けてかえって安心した様子、僕も養父母の高恩を思うにつけて、心を傾けて敬愛するようになり、勉学をも励むようになりました。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「一体、どういうわけなのよ。わけを敢えてよ」とおだやかに訊きました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その手紙は普通の親類にる手紙であるから何でもない事で、その文句の中に、誠におだやかならぬ御時節柄ごじせつがらで心配の事だ、どうか明君めいくん賢相けんしょうが出て来て何とか始末をしなければならぬ云々うんぬんかいてあった。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
おだやかに深く息づく枝豆に夕日あかあかと照りしみやまね
雲母集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
高見さんはおだやかな顔つきで初めて質問を出した
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
「人殺しはおだやかじゃねえ。誰がどうしたんだ」
我に霊あり 偉大なり崇厳なりおだやかなり
小鳥の如き我は (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
「これはいよいよおだやかじゃない。」
一夕話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして前よりは少しおだやかな調子で
「待て! おだやかならぬ——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
おだやかならぬ目付めつきして
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
時々接近しようとすると、一種の眼をもって二人を睨み、優しくおだやかで上品ではあったが、一種の声をもって二人を制した。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大層気むずかしい犬なんです、知ぬ人には誰にでもうなりますがたゞ私しには時々食う者を貰う為め少しばかりおだやかです
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
「少しはおだやかになったね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切っ立った山のはるかの上に、なたの音が丁々ちょうちょうとする。黒い影は空高く動く。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
呼吸いきも大変おだやかになって来ました。やっと気が落付いてきたものと見えます。二階では、コツコツと跫音あしおとがしています。兄が廊下を歩いているのでしょう。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
言葉の内容ばかりでなく、そのおだやかな音声・抑揚よくようの中にも、それを語る時の極めて確信にちた態度の中にも、どうしても聴者を説得せずにはおかないものがある。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
おだやかに口をきいて、同じく源助町の天童利根太郎が、番士達をふり返ったが、誰も答えるものはない。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
此者これがまた貴公のとこへ嫁す時に、其の千円の持参を持ってくのじゃ、ちっとも出すのじゃアない、詰り貴公の懐へ這入るじゃが、然うせんければ事おだやかに治まらん
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
坐っていたものまでが総立ちで騒ぐと、事がいよいよおだやかでなくなって、おたがいの眼つきになんとなく疑いの色がかかるから、皆々いやな気持がしてしまいました。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
五日の月はほんのりと庭の白沙はくさを照らして、由比ゆいはまの方からはおだやかな波の音が、ざアーア、ざアーアと云うように間遠まどおに聞こえていた。それはもうこくに近いころであった。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
豪慢ごうまんなる、俗悪なる態度は、ちょうど、娘を芸者にして、愚昧ぐまいなる習慣に安んじ、罪悪に沈倫ちんりんしながら、しかもおだやかにその日を送っている貧民窟ひんみんくつへ、正義道徳、自由なぞを商売にとて
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あるものは南の方へ、或ものは北の方へ、また西の方へ、東の方へ、てんでんばらばらになって、この風のない、そらの晴れた、くもりのない、水面のそよそよとした、静かな、おだやかな日中ひなかしょして
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いともおだやかに大体だいたいそんな意味いみのことをさとされました。
女はおだやかに言葉をはさんだ。
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかしその後はどう云ってよいか継ぎ穂にこうじて黙ってしまった。すると老女は仮面めんのような顔をわずかほころばして笑ったがおだやかな調子でこう云った。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
慈悲だから、呼んでくれるな、おだやかに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それにしては余りにおだやかな行動だった——彼の目の前にずかずか現われて、気味をわるがらせる外は……。
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)