なつ)” の例文
旧字:
そのとき、露子つゆこは、いうにいわれぬなつかしい、とおかんじがしまして、このいいおとのするオルガンはふねってきたのかとおもいました。
赤い船 (新字新仮名) / 小川未明(著)
油絵で見るような天使が大きな白鳥と遊んでいるありとあらゆる美しい花鳥はなとりを集めた異国を想像してどんなになつかしみ焦がれたろう。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
過去はぼんやりしたものです。そうして何処どこかになつかしい匂いを持っています。あなたはそれをたくみに使いこなして居るのでしょう。
木下杢太郎『唐草表紙』序 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と、お濱さんが書院しよゐんの庭あたりでんで居る。貢さんは耳鳴みヽなりがして、其のなつかしい女の御友達おともだちの声が聞え無かつた。兄はにつと笑つて
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
先刻ちらと見たなつかしい顔に、親愛なる母親に、または、「死も噛み込めない」岩のように感ぜられる、自分の頑丈がんじょうな一身に……。
並んで手をつなぎ合ってもいるし、また背中合せにたけくらべをしているようでもあり、何となく人なつかしい山に見えるからである。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
こいつはまァ、気のいい、ひとなつっこいやつではありまするが、ただひとつ困ったことは、喰べるものに気むずかしいことでござります。
キャラコさん:10 馬と老人 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
木へも登り、地をも馳け、鳥をも蛇をも捕って食う動物だが何うかすると人になついて家の中へ飼って置かれると、兼ねて聞いた事はある
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
彼れはなつかしさの余り、その香水を所有したいと云ふ欲望にかられ、ほんの一二滴をシャンダーラム夫人へうた訳なのである。
アリア人の孤独 (新字旧仮名) / 松永延造(著)
「お節さんから電話でございます」と言って下宿の女中が取次いでくれるたびに、岸本はよく電話口のところへ行ってなつかしい声を聞いた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わけても徒然つれづれごとに亡夫の昔語を語るを聞きてこの上のうも満足に思いぬ、「この人までもかくまで亡夫になつきてあるか」と
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
父を知らず、母を知らずと言った児は、父と母とを一緒にしたよりも強いなつかしさでこの太った男に抱きついてしまいました。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
四五日前に、善く人にじゃれつく可愛い犬ころを一匹くれて行った田町の吉兵衛と云う爺さんが、今夜もその犬のなつき具合を見に来たらしい。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そういう父や母の姿にひきかえて、おばあさんの姿は、そのなつかしい顔の一つ一つの線から皺枯しわがれた声まで、私の裡に生き生きと残っている。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼女は、鍋の中へ、柄杓ひしゃくに一杯水を入れる。二本の薪をくっつけ、灰をきまわす。やがてまた、なつかしいしゃんしゃんいう音が聞こえ出す。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
というなつかしい言葉が添えられてあったのでした。かくて十月八日マルセイユ出帆の北野丸に塔乗とうじょうして十一月十七日に神戸こうべに到着されたのです。
突然、人影が見えなくなつたといふのは、犬がその人の足もとまでなついて来たので、誰かその人が、犬の頭を撫でようと身をかがめたに相違ない。
あの灯のともっているなつかしい窓の障子を明けると、年をとったお父さんとお母さんとが囲炉裏いろりそば粗朶そだいていて
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
妾は親の膝下しっかにありて厳重なる教育を受けし事とて、かかる親しみと愛とを以て遇せらるるごとに、親よりもなおなつかしとの念を禁ぜざるなりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
なつかしさに包まれながら、家臣たちに笠をあずけ、衣服のほこりを打たせたり、草鞋わらじなどかせていると、奥からばたばたと駈けて来た一家臣が
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人は疲れた足をひきずって、日暮れてみち遠きを感じながらも、なつかしいような心持ちで宮地を今宵こよいの当てに歩いた。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
「願わくは深く謀り遠く慮り、姦を探り変を伺いて、之に示すに威を以てし、之をなつくるに徳を以てし、兵甲を煩はさずして自ずから臣隷せしめよ」
可愛かわゆき児の、何とて小親にのみはなつき寄る、はじめてが頬に口つけしはわれなるを、かいなくかれらるるものかは。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そのセパードはアムールといってステキに大きい、人懐ひとなつこい犬で、その中でも玲子と、玲子の先生の中林哲五郎には特別によくなついているのであった。
継子 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ふるさとがなつかしく森の、あの塔で、星や小鳥と話していた時のほうが、いっそ気楽だったように思われるのです。
ろまん灯籠 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そうわれたかとると、ぎの瞬間しゅんかんには、おじいさまのなかに、わたくしにもなつかしい懐剣かいけんにぎられてりました。
ひげ多く、威厳のある中に何処どことなく優しいところのあるなつかしい顔を見ると、芳子は涙のみなぎるのをとどめ得なかった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
なつかしくそれを眺めたことで、私の作に相違ない旨を箱書して持ち主に戻しましたが、何んでも持ち主は千五百円とかで手に入れたのだそうであります。
秀吉のために横面をなぐられて恐怖した彼が、家康によって撫でられたので、そこまでなついて来たのであり、秀吉、家康の硬軟二道の外交術が、南洋諸国を
このワグマンという人も奇人で、手を出して雀を呼ぶと、鳥がなついて手に止りに来たというような人柄でした。
幼馴染の老木であるからの親しみでなく、此の心が彼の心に流れ込んだ神会のなつかしみである。彼女は狂へるものの様に彼女の胸を幾度も幾度も押しつけた。
夜烏 (新字旧仮名) / 平出修(著)
七、八種もある馬属中馬と驢のみ測るべからざる昔より人にわれてその用を足した事これ厚きに、その他の諸種は更になつかず、野生して今におよんだも奇態だ。
非常になつかし気なひとみで余を見守っていた。殆んどもう婚約は出来た。しっかりやろうぞ。「秋風記」プランを立てているがうまくゆかぬ。少し今日は憂鬱である。
野生のもの、しかも智能のたかい猿人的獣類が、わずか十日か二週間でこうもなつくはずがあるだろうか。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なつつこいこと此の上ない性質を見抜いてゐるだけに、たとへ、息子のためとは云へ、この少女に対して残酷であることはどうしてもできないといふ気がしてゐる。
落葉日記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
人妻に懸想してその夫をほろぼすほどの無道人に、誰が親しみなつこうぞ。師直はわが子ばかりか、味方にも主君にもうとみ憎まれて、その身の滅亡は疑うまでもない。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
またその生れた子供が、母になつき、母にすがり、母を慕い、母を愛するのに、その母の醜い容貌が何らの妨げにもならなかった。実際、醜いと感じたことすらなかった。
私の母 (新字新仮名) / 堺利彦(著)
わたしがうれしかったのは、子供たちがなつかしげに、このまじめな老僕のまわりを跳びはね、また、犬を抱いてやったことだ。犬は喜んで、からだ全体をゆりうごかした。
駅馬車 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
とあるは犬に与える残殽ざんこうにだも不自由をしてなついた犬にそむかれたのを心淋しく感じたのであろう。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
私は何とも言いがたいそのにおいのなつかしさにそのまま蚊帳のすそをはねて寝床にころげ込むと、初めの内はやさしく私を忍ばせたお前が何と思ったか寝床に横たわりながら
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
モーツァルトの絢爛けんらんさもブラームスの端正さもないが、なつかしさと優しさと、み出る愛情と輝く美しさは、人間に音楽あって以来、かつて例を見ざるたぐいのものである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
お力も何処どことなくなつかしく思ふかして三日見えねばふみをやるほどの様子を、朋輩ほうばい女子おんなども岡焼ながらからかひては、力ちやんお楽しみであらうね、男振おとこぶりはよし気前はよし
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「なに。御馳走になるから云うのではないが、なかなかい細君だよ。入院している子供は皆なついている。好く世話をしてるそうだ。ただおりおり御託宣があるのだ。」
独身 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
……本家の台所を預かるようになってからは、おいの中学生も「姉さん、姉さん」とよくなついた。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
「まあそんな調子でね、十二三の中学生でも、N閣下と云いさえすれば、叔父おじさんのようになついていたものだ。閣下はお前がたの思うように、決して一介の武弁ぶべんじゃない。」
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今になってやっと、見ても見飽きない気持で、たまらなくなつかしい気持で、ながめるんだわ……
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
彼にとってジョーンはいかりであった。時には厄介千万であったが、又時には落付かせて呉れるおもりであった。嫌に取りすましたのが生意気に見えてしゃくに触ったが、なつかしくも思った。
決闘場 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
花は形が大きくつはなはだ風情ふぜいがあり、ことにもろもろの花のなくなった晩秋ばんしゅうに咲くので、このうえもなくなつかしく感じ、これを愛する気が油然ゆうぜんき出るのを禁じ得ない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
中学の校帽凛々りゝしく戴ける後姿見送りたる篠田は、やがて眸子ひとみを昨日おのが造れる新紙の上になつかしげに転じて「労働者の位地と責任」と題せる論文にとわたり目を走らせつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
後妻と云うのは、気質の従順な、何時いつも愉快そうな顔をしている女で、継子ままこに対しても真の母親のような愛情を見せたので、継子も非常になついて、所天も安心することができた。
藍微塵の衣服 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)