四辺あたり)” の例文
旧字:四邊
武士は四辺あたりをじっと見たがどうしても場所の見当がつかなかった。二人れの男が提燈ちょうちんを持って左の方から来た。武士は声をかけた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そして、だれかていぬかと四辺あたりまわしますと、勝手かってもとのところで、まだわかおんなが、しろぬぐいをかぶってはたらいていました。
子供の時分の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
男は足場を選びながらゆっくり歩いて来る、四辺あたりが静かなので、身動きをしても気付かれるに違いない。——誰だかたしかめてやりたい。
殺生谷の鬼火 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
忍野郷しのぶのごうを出外れるともう釜無の岸であった。土手に腰かけて一吹いっぷくした。それから四辺あたりを見廻したが、人の居るらしい気勢けはいもなかった。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
四辺あたりが暗くなりかけに、借部屋に帰った。あがはなの四畳に、夜具包が駅から着いたままころがしてある。今日は主の爺さんがいた。
明るい海浜 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
李一は驚いて四辺あたりを見廻したが、誰も少女らしいものがいないので、どうもガラスの箱の中から話しかけているのだと考えました。
不思議な魚 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
暮れて行く空と、四辺あたりの静けさに包まれてゐると、私は閉め出されたやうな、行く所の無いやうな、染々とした哀愁を覚えて来た。
秋の第一日 (新字旧仮名) / 窪田空穂(著)
表の戸は二寸ばかり細目にけてあるのを、音のせぬように開けて、身体からだを半分出して四辺あたりを見まわすようであったが、ツと外に出た。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
黙って背後うしろから、とそのうなじにはめてやると、つとは揺れつつ、旧の通りにかかったが、娘は身動きもしなかった。四辺あたりにはたれも居ない。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鷲尾は礼を述べて赤ン坊を受取ると、いくらかラクになった気持で四辺あたり見廻みまわした。夜中ででもあるか、車内は眠ってる人が多かった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
楯彦氏はそこらの明いてゐた椅子に腰を下して美しい花嫁の笑顔など幻に描いてゐるうち、四辺あたり温気うんきでついうと/\と居睡ゐねむりを始めた。
村の方ではまだ騒いで居ると見えて、折々人声は聞えるけれど、此の四辺あたりはひつそりと沈まり返つて、そよぐ音すら聞えぬ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
と言って、四辺あたりを見廻したが、背後うしろにあったのがちょうど、庚申塚こうしんづかです。兵馬に気兼ねをしながら女は庚申塚の後ろへ身を隠しました。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
日はとっぷりと暮れて四辺あたり真暗まっくらになる。とお繼は気味が悪いから誰か人が来ればいと思うと、うしろの方からばらばら/\/\/\
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
すると、ややいてから、四辺あたりの深夜の空気が、どことなく、うごいた。そうかと言って、べつに、何の物音もしたわけではない。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北国ほっこく街道から西に入った黒姫山くろひめやまの裾野の中、雑木は時しもの新緑に、ひる過ぎの強烈な日の光を避けて、四辺あたりは薄暗くなっていた。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
気早な冬の陽ではあったし、それに空模様はいよいよ怪しくなって来ていたので、もう四辺あたりの色合はすっかり物悲しげに夕づいて見えた。
(新字新仮名) / 渡辺温(著)
百年もてば丁度真昼のように四辺あたりが明るくなる。細君もかなり修行したけれども、それでもまだまぶしい位の明るさしかない。
少しづつ酔の廻るにつけて、何となく四辺あたりが興味深く思ひなされて来た。矢張り初めの思ひ立ち通り此処に一晩泊つて帰らうか。
岬の端 (新字旧仮名) / 若山牧水(著)
それで熊城君、九十郎が半聾である事を僕が知り得たのは、孔雀が云った、——喰物を口にする時は四辺あたりを見廻すと云う一事からなんだ。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「美沢さん! 美沢さん!」四辺あたりを気がねしながら、呼んでみたが、美沢は痩せた肩を、そびやかしながら、後もふり返らず歩きつづけた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
愕然がくぜんとして文三が、夢の覚めたような面相かおつきをしてキョロキョロと四辺あたり環視みまわして見れば、何時いつの間にか靖国やすくに神社の華表際とりいぎわ鵠立たたずんでいる。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
玄関へかかって案内を頼んでもその太鼓の音はごうもやまなかった。その代り四辺あたり森閑しんかんとして人の住んでいるにおいさえしなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
返り血を浴びたまま顔色蒼白となって四辺あたり睥睨へいげいしつつ「俺の事業しごとを邪魔するかッ」と叫んだ剣幕に呑まれて一人も入場し得なくなった。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
こんな場所にこれほどの片田舎があることを知つて、彼はづ驚かされた。しかもその平静な四辺あたりの風物は彼に珍らしかつた。
整然きっちり片附られた座敷の正面床の脇に、淋しく立掛られてある琴が、在らぬ主のおもかげを哀れにしのばせた、春日は中央まんなかでじっと四辺あたりを見廻して後
誘拐者 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
それは美しい女であったが、珏の方を見てにっと笑って、何かいいたそうにしたが、やがて秋波ながしめをして四辺あたりを見た後にいった。
阿英 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
男はすっくとちあがって歩きだした。一度女の体に蹴躓けつまずいたが、やがて手さぐりで電燈を消すと、四辺あたりはたちまち真の闇にとざされた。
暗中の接吻 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
景気の可い様な事を書いてやつて安心さしたのに、と思つて四辺あたりを見た。竹山は筆の軸で軽く机を敲き乍ら、書きさしの原稿を睨んで居る。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
と説明するように傍の人が言ったが、四辺あたりにかまわぬ大きな声は、悪口をいえば瘋癲ふうてん病院へでもいったように吃驚びっくりさせられた。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
まったくの有閑三昧ゆうかんざんまい、誰かに見つかりはしまいかと四辺あたりを見まわしながらびくびくものでする昼日中の接吻、炎暑、海の匂い
急にお菊は勝手の違ったように、四辺あたりを眺め廻した。そして子供らしい恐怖に打たれて、なんでも家の方へ帰ろうと言出した。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
生憎あいにく日が未だ暮れ切らないで、通行人も相当あったし、疑われないようにするには余程骨が折れた。と云って四辺あたりに身を隠す蔭もなかった。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
彼は思わず飛上り、奇声を発し、呻きつつ四辺あたりを歩きまわり、さてしばらくしてから歯をくいしばっておのれを落ちつけようと努めるのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
(物思いに沈みて凝立すること暫くにして、忽然夢の覚めたるが如き気色けしきをなし、四辺あたりを見廻す。ようようにして我に返る。)
「静かに、静かに」用意の葡萄ぶどう酒を二、三滴、屍骸の口へ垂らしてやった。すると、陳君は、眼をひらいて、四辺あたりをきょときょと見廻した。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
通過ぎる人でもあらば聞質ききただしたいと消えかかる辻番所つじばんしょ燈火あかりをたよりに、しきり四辺あたりを見廻すけれど、犬の声ばかりして人影とては更にない。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
四辺あたりが静かになった。女は側で寝ている。合奏はとっくに済んでいる。公園から後れて帰る人達ひとたちが、声高に話しながら窓の下を通っている。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
そのうち不図ふとだれかに自分じぶんばれたようにかんじてひらきましたが、四辺あたり見渡みわたすかぎり真暗闇まっくらやみなになにやらさっぱりわからないのでした。
そこで余等も馬におとらじと鼻孔びこうを開いて初秋高原清爽の気を存分ぞんぶんいつゝ、或は関翁と打語らい、或はもくして四辺あたりの景色を眺めつゝ行く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
馬車の響きが止ると、四辺あたりがしんとなる。どこかで遠く水の流れる音がする。雪の中に立って四辺を見ると、私達はいつか広い野に出ていた。
遠野へ (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
話が面白かったので、銚子は一向にあきませんが、四辺あたりはすっかり暗くなって、お静は諦めたように、コトコトと夕餉ゆうげの支度をしております。
やま全体ぜんたいうごいたやうだつた。きふ四辺あたり薄暗うすくらくなり、けるやうなつめたかぜうなりがおこつてきたので、おどろいたラランは宙返ちうがへりしてしまつた。
火を喰つた鴉 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
もう四辺あたりが真つ黒いやみになり、その都度毎に繃帯でしばつた腕に顔を突き伏せ嗚咽をえつしてかすんだ眼から滝のやうに涙を流した。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
彼はハッとして四辺あたりを見廻すと、ホールの正面にあたったつきあたりの階段を緑色のドレスを着た女が上ってゆくのを認めた。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
重太郎は云わるるままに焚火を踏み消すと、四辺あたりにわかに暗くなった。奥から母が再び出て来た。後につづいて例の怪しい者が二つ飛んで来た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
夜更よふけて四辺あたりしずかなれば大原家にて人のゴタゴタ語り合う声かすかきこゆ。お登和嬢その声に引かされて思わず門の外へでたり。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
そして四辺あたりの杉木立や、ならくぬぎかえで、栗等の雑木のもりが、静かな池の面にその姿を落として、池一杯に緑を溶かしている。
首を失った蜻蛉 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
こんな事を言ふうちに二人が並んで歩きだすと、真弓はもう一人でさつさと山門をはいつてしまつたあとらしく、その四辺あたりに姿は見えなかつた。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
そのくせ帰りついて昨日まで支那人ばかり見ていたのに、四辺あたりはどこを見ても日本人ばかりなので、どうにもおかしな気持でしかたがなかった。
中支遊記 (新字新仮名) / 上村松園(著)