たまたま)” の例文
いでわたくしは保さんをおうと思っていると、たまたまむすめ杏奴あんぬが病気になった。日々にちにち官衙かんがにはかよったが、公退の時には家路を急いだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「近時余ガ詩格一変ス。たまたま一絶ヲ得タリ。」として「自喜新編旧習除。才仙詩訣在吾廬。一窓梅影清寒夜。月下焚香読詩書。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
たまたまよるあめんでふうわりとやはらかなそらあをれてやゝのぼつたそのあたゝかななゝめけると、れた桑畑くはばたけから、あを麥畑むぎばたけから
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
たまたま、伝書の様な姿に見えても、実は独立した成立を持つものと見てよいのである。東観漢紀に於ける紀の用法も、其である。
日本書と日本紀と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
藤木川ふぢきがはの岸を徘徊はいくわいすれば、孟宗まうそうは黄に、梅花ばいくわは白く、春風しゆんぷうほとんおもてを吹くが如し。たまたま路傍の大石たいせきに一匹のはへのとまれるあり。
病中雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
次郎さんの小さな時、えんの上から下に居る弟を飛び越し/\しては遊んで居ると、たまたま飛びそこねて弟を倒し、自分も倒れてしたゝか鼻血はなぢを出した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それを此様こんな読方をして、難有ありがたがって、たまたま之を読まぬ者を何程どれほど劣等の人間かのように見下みくだし、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
私は老境に入りかけ、業務多端のために媼にも全く無音に過ぎた。ただたまたま心に暇があるときに、媼の身の上の多幸ならむことをこひねがつてゐる。(昭和三年十月記)
日本媼 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
髪かたちも妓家の風情をまなび、○でんしげ太夫だゆうの心中のうき名をうらやみ、故郷の兄弟を恥いやしむ者有り、されども流石さすが故園情こえんのじょう不堪たえずたまたま親里に帰省するあだ者成べし
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
事変以来、小学教員の不足と、その不足を至急に補うことから生じる質の低下とは心ある者を考えさせていたが、たまたま小学校教員の万引横領事件が発覚したということである。
女性週評 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
さて、たまたま、或る休み日に、彼女の映画が市内の何処の活動小屋にも掛っていなかったのである。そこで、Y君は諦めがたく、夕景頃から、彼女の住居のあたりを散歩してみたい気持に誘われた。
アンドロギュノスの裔 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
たまたま不平を以って鳴けば、にわかに多言のとがめを獲、悔、ほぞむも及ぶなし。尾をうごかして憐を乞うを恥ず。今其罪名を責むるを蒙り、其状をせまらる。伏して竜鱗をち竜頷を探る。に敢て生を求めんや。
令狐生冥夢録 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
離会 あにたまたまなりとはんや。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
或日あるひ正寧がたまたまこの事を聞き知って、「辞安は足はなくても、腹が二人前ににんまえあるぞ」といって、女中を戒めさせたということである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
たまたま電気と文芸所載の諸家の芭蕉論の中に、一二孟浪杜撰まんらんづざんの説を見出した故に、不平のあまり書きとどめる。(十一月四日)
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
東歌に地名の多いのは、たまたま東歌が真の東歌でない事を証して居る、と云ふ人もある。併し、其は民謡と地名との関係に理会がないから出た議論である。
万葉集のなり立ち (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
コレヨリ(治ヲ)請フ者日ニ多シ。居ルコト二、三年すこぶる三径ノ資ヲ得タリ。たまたま唐人ガ僧院ノ詩ヲ読ミ帯雪松枝掛薜蘿ゆきをおぶるのしょうしへいらをかくトイフニ至ツテ浩然こうぜんトシテ山林ノ志アリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
たまたまちからりないでらされたのは、さういふとき非常ひじやう便利べんりなやうにいてあるので、どんなかげでもたくする場所ばしよもとめてころ/\ところがつてつては
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
自分は此様こんな下らん真似をしていながら、の額に汗して着実の浮世を渡る人達がたまたま文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物とののしり、俗衆とののしって、独りみずから高しとしていた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
たまたま、「芭蕉俳句定本」を読んでゐるうちに、海彼岸の文学の影響を考へたから、「芭蕉雑記」の後に加へることにした。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
抽斎は決して冷酒れいしゅを飲まなかった。しかるに安政二年に地震にって、ふと冷酒を飲んだ。そのたまたま飲むことがあったが、これも三杯の量を過さなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一 黄梅こうばいの時節漸く過ぐ、正に曝書ばくしょすべし。たまたま趙甌北ちょうおうほくの詩集をひもとくに左の如き絶句あるを見たり。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
たまたま好機会が有ッて言出せば、その通りとぼけておしまいなさるし、考えて見ればつまらんナ」
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
これはたまたま、安易な表現・不透明な観照・散文的な生活に満足してゐる、桂園派の欠陥をサラけ出してゐるので、歴史的に存在の価値を失うてゐる人々の、無理会な放言に対して
古語復活論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
李小二は、陶朱とうしゅの富を得た。たまたま、その仙人に遇ったと云う事を疑う者があれば、彼は、その時、老人に書いて貰った、四句の語を出して示すのである。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
更に言へば、時間観念を挿入すれば、もつと適切に感じられるところだ。さうした方法をとらないところに、たまたま、この語に限つて古い文法様式を保存してゐる痕が見えるのだ。
たまたま立止る者が有るかと思えば、つらつら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、そうして匇々さッさと行って了う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
大正十四年乙丑いっちゅうノ歳晩予たまたま有隣舎ゆうりんしゃその学徒』ト題シタル新刊ノ書ヲソノ著者ヨリ恵贈セラレタリ。著者ハ尾張国おわりのくに丹羽にわ郡丹陽村ノ人石黒万逸郎氏トナス。余イマダ石黒氏ト相識あいしラズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
山客、たまたま「文芸春秋」二月号を読み、我鬼先生の愚をわらふと共に佐佐木君のくつを歎かんと欲す。佐佐木君、請ふ、安心せよ。君を知るものに山客あり
八宝飯 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
而も、此等はたまたま古代的詞章の、片影の固定したものを包含した、其さへも古い時代のものゝ中に見られるのである。殆全部が、新しくなつた中に、ほんの少し俤を止めたもの、と言ふに過ぎない。
副詞表情の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
維新の際福井藩の貢進生こうしんせいとなり大学南校に入りそのいまだ業をへざるに先立ちてたまたま起立工商きりつこうしょう会社の巴里パリー博覧会に陳列所をもうくるの挙あるを聞き、陳列所の通弁をかねて売子となり仏国に渡航したり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大豆右衛門、二十三歳の時、「さねかづら取りて京の歴々の女中方へ売べしと逢坂山あふさかやまにわけ登り」しが、たまたま玉貌ぎよくばう仙女せんぢよと逢ひ、一粒いちりふ金丹きんたんを服するを得たり。
案頭の書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
頃日けいじつたまたま書林の店頭に、数冊のふる雑誌を見る。題して紅潮社こうていしや発兌はつだ紅潮第何号と云ふ。知らずや、漢語に紅潮と云ふは女子の月経にほかならざるを。(四月十六日)
水滸伝の一節が、たまたま彼の気分の上に、予想外の結果を及ぼしたのにも、実はこんな理由があつたのである。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
たまたま衆客しゆうかくみなさかづきを挙げて主人の健康を祝するや、ユウゴオかたはらなるフランソア・コツペエを顧みて云ふやう、「今この席上なる二詩人たがひに健康を祝さんとす。また善からずや」
たまたま明子の満村に嫁して、いまだ一児を挙げざるは、あたかも天意亦予が計画をたすくるに似たるの観あり。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
狩野芳涯かのうはうがい常に諸弟子しよていしに教へていはく、「ぐわの神理、唯まさ悟得ごとくすべきのみ。師授によるべからず」と。一日芳涯病んです。たまたま白雨天を傾けて来り、深巷しんかうせきとして行人かうじんを絶つ。
たまたま丸善へ行つて見たら、イバネス、ブレスト・ガナ、デ・アラルコン、バロハなぞの西班牙スペイン小説が沢山たくさん並べてあつた為め、こんな事をしるして置く気になつた。(二月一日)
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
この劇は太虚及び龔芝麓ろうしろく賊に降り、後に清朝の兵入るを聞くや、急に逃れて杭州に至り、追兵の至るに驚いて、岳飛がくひ墓前、鉄鋳の秦檜しんくわい夫人の跨下こかかくる、たまたまこの鉄像の月事げつじに値ひ
八宝飯 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
東京の川にもこんな水怪すゐくわい多し。田舎ゐなかへ行つたらなほの事、いまだに河童があしの中で、相撲すまふなどとつてゐるかも知れない。たまたま一遊亭いちいうてい作る所の河太郎独酌之図かはたらうどくしやくのづを見たから、思ひ出した事をしるしとどめる。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
たまたま僕の目に触れた或新聞の批評家なぞにも、全然あれがわからぬらしかつた。これは一方現状では、もつとものやうな心もちがする。同時に又一方では、尤もでないやうな心もちもする。(一月十日)
点心 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
けれどもたまたまかう言つたにしろ、直ちに僕を軽蔑するならば、それは勿論もちろん大早計である。僕にもまた時に好意を表する女性の読者のないわけではない。彼等の一人ひとりは去年の夏、のべつに僕に手紙をよこした。
変遷その他 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)