なまぐさ)” の例文
灣の南方を、町から當面の出島をかけて、蝦蛄しやこの這ふ樣にずらり足杭を見せた棧橋が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もうなまぐさい、腥い。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
その時は熊の胆の色が少しくれないを含んで、咽喉を出る時なまぐさかおりがぷんと鼻をいたので、余は胸を抑えながら自分で血だ血だと云った。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鶴嘴とシャベルで、しかばねを切らないように恐る/\彼等は、落ちた岩の下を掘った。なまぐさい血と潰された肉の臭気が新しく漂って来た。
土鼠と落盤 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
蛇は二つに千切られて、ダラリと延びて下がったが、千切れた口からしたたった血が、焚火の上へこぼれたらしく、なまぐさい匂いがひろがった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
時々板前をやると見えて、どこかなまぐさにおいのするのも胸につかえるようであった。お庄は明け方までおちおち眠ることが出来なかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その酢っぱいなまぐさいにおいは、バラックの生々しい赤や青の屋根の間をほのかに漂うて、云うに云われぬイヤラシイ深刻な気分を作っている。
客殿きやくでんの格子戸をひらけば、なまぐさき風の一九五さと吹きおくりきたるに恐れまどひて、人々あとにしりぞく。豊雄只一九六声を呑みて嘆きゐる。
いきれにいきれて、なまぐさく、ぬるくプンと臭って来る。おはぐろのともつれ合って、何とも言えない。……それで吐き戻したものがあった。——
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
追従ついしょうを並べていないが、大塩中斎あたりが、雪はきよし聖君立旗の野、風はなまぐさ豎子じゅし山を走るの路なんぞとお太鼓を叩いているのが心外じゃ
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
なまぐさき油紙をひねりては人の首を獲んを待つなる狂女! よし今は何等の害を加へずとも、つひにはこの家にたたりすべき望をくるにあらずや。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「出刃庖丁は伝吉のだし、流し元は血だらけだし、袢纏はんてんはプンとなまぐさいぜ。魚の血だか、人間の血だか解ったものじゃない」
そこら一面には、着物や肌着などが、暴風雨あらしのあとの花のように飛散し、若い女の血の臭いが、なまぐさただよっているのだった。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
但初鰹の作者は必ずしも鰹の賞味者ばかりに限らぬ。この一句によって直に孟遠をなまぐさ坊主にする必要もなさそうに思う。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
此故このゆゑなまぐさにほひせて白粉おしろいかをりはな太平たいへい御代みよにては小説家せうせつか即ち文学者ぶんがくしやかず次第々々しだい/\増加ぞうかし、たひはなさともあれど、にしん北海ほつかい浜辺はまべ
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
解雇される心配も、血だらけな母の顔も、鈍い圧迫と共に消えて了つて、勝誇つた様ななまぐさい笑が其顔に漲つて居た。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
何處からと無くなまぐさいやうなどぶ泥臭どろくさいやうな一種いやな臭が通ツて來てかすかに鼻をつ……風早學士は、此の臭を人間の生活が醗酵はつかうする惡臭だと謂ツてゐた。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
四人の帰化入籍、遺言書の作成と続いて、算哲の自殺に逢着すると、突如なまぐさ狹霧さぎりのような空気が漲りはじめた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その強引の手の先は、自分の心臓の血を塗ってむん/\なまぐさいにおいがするようです。わたくしはこの手紙を読んだあと、危く前へひかれて涙ぐみながら
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
日のくれに平潟の宿に帰った。湯はぬるく、便所はむさく、魚はあたらしいが料理がまずくてなまぐさく、水を飲もうとすれば潟臭かたくさく、加之しかもおびただしい真黒まっくろにたかる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
良秀は燈台の火の下でてのひらに何やらなまぐさい肉をのせながら、見慣れない一羽の鳥を養つてゐるのでございます。
地獄変 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
私は、見当もつかない夜更よふけの町へ出た。波と風の音がして、町中、なまぐさにおいが流れていた。小満しょうまんの季節らしく、三味線しゃみせんの音のようなものが遠くから聞えて来る。
風琴と魚の町 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
三二 千晩せんばたけは山中に沼あり。この谷は物すごくなまぐさき臭のする所にて、この山に入り帰りたる者はまことに少なし。昔何の隼人といふ猟師あり。その子孫今もあり。
遠野物語 (新字旧仮名) / 柳田国男(著)
駕「旦那、お前さん何かなまぐさい物を持っておいでなさりゃアしませんか、此処こかア狐が出ますからねえ」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そうか。——すると蠅男と僕とは、すでに事件の最初から血なまぐさい戦端をひらいていたんだ。そういうこととは今の今まで知らなかった。うぬ蠅男め、いまに太い鉄の棒を
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかるに後には段々それがひどくなって来て、我が神明穢れを忌み給うという思想に付会して、肉食は血なまぐさく、神がその穢れを嫌ってこれを近づけないという事になって来た。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
死んでからはその屍骸を獣がくらい、鳥がついばみ、四肢が分離して流れ出し、なまぐさい悪臭が三里五里の先まで匂って人の鼻をき、皮膚は赤黒しゃくこくとなって犬の屍骸よりも醜くなること
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
わるくなまぐさい臭気があたりに漲りわたつて臭かつた。小さな活動小屋には色の褪せたのぼりが二三本立つてゐた。少し行くと、また自動車が向うから来た。白い埃が烟のやうに颺つた。
草みち (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
褐色のシャツを着た悪者は、小屋の方へ行ったがやがて襤褸片ぼろきれで刃をぐるぐると巻き附けた大きなまさかりを持ち出して来た。黒い襤褸には何だかなまぐさい血の染みが附着しているようだ。
捕われ人 (新字新仮名) / 小川未明(著)
坊主と神主とで、雙方とも退窟の多い職業であつたから、老僧——其の頃は血氣盛りのなまぐさ坊主であつたが、持ち前のごりがんはもう見えてゐた——と老神主とはよく往來してゐた。
ごりがん (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
なんといふ罰あたりだらう! 今夜は精進の蜜飯クチャだといふのに、このひとは肉入団子ワレーニキを、こんななまぐさ肉入団子ワレーニキを食つてゐる! ほんとにおれとしたことが、なんといふ馬鹿だらう
お前のやうななまぐさのお世話には能うならぬほどに餘計な女郎呼はり置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくす/\ならで此處でお言ひなされ、お相手には何時でも成つて見せまする
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
欧人これを試みた者いわく、なまぐさくてならぬ故臭い消しにあぶる前、その肉をやや久しく酢に漬け置くべし味は鰻に優るとも劣りはせんと(ピエロチの『パレスチン風俗口碑記』四六頁)
藍色あいいろの、嫌に光るくすりの掛かった陶器の円火鉢である。跡から十四五のたすきを掛けた女の子が、誂えた酒肴さけさかなを持って来た。徳利一本、猪口ちょく一つに、なまぐさそうな青肴あおざかなの切身が一皿添えてある。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただ、日毎に身の周囲まわりが白つぽく色あせて、漂白されたなまぐさい視野が、日と共に広々と遠く延びて行くやうである。茫漠として——みつくやうな、どうも、遣り切れない虚しさである。
ジリジリと皮膚の焦げる何とも言えぬ異様ななまぐささがプウンと鼻をいて、人垣と人垣の間や往来に散らばった土嚢どのうのような蒲団の隙間から、ガヤガヤと黒い影が大声にののしり合っていた。
生不動 (新字新仮名) / 橘外男(著)
勇猛ゆうみょう精進潔斎怠らず、南無帰命頂礼なむきみょうちょうらいと真心をこら肝胆かんたんを砕きて三拝一鑿いっさく九拝一刀、刻みいだせし木像あり難や三十二そう円満の当体とうたい即仏そくぶつ御利益ごりやくうたがいなしとなまぐさ和尚様おしょうさま語られしが、さりとは浅い詮索せんさく
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ソレでマア戦争帰りの血なまぐさい奴もおのずから静になって塾の治まりが付き、その中には真成ほんとう大人おとなしい学者風の少年も多く、至極しごく勉強してます/\塾風を高尚にして、明治四年まで新銭座しんせんざに居ました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一陣のなまぐさい風と共に変に翳った。
登山は冒険なり (新字新仮名) / 河東碧梧桐(著)
口の中がなまぐさいや。
放浪者 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
一人いちにんの一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。またある時は血の世界になまぐさき雨を浴びる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ばばとなえる。……これが——「姫松殿ひめまつどのがえ。」と耳を貫く。……称名しょうみょうの中から、じりじりと脂肪あぶらの煮えるひびきがして、なまぐさいのが、むらむらと来た。
国貞えがく (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
将軍家お膝元大江戸でさえ餓莩がひょう道に横たわり死骸から発するなまぐさい匂いが空を立ち籠めるというありさまであった。
開運の鼓 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「恋」というものの詰らなさ……アホラシサをゾクゾクするほど感じさせられながら、シンミリした火薬の煙と、なまぐさい血の匂いの中に立ちすくんでいた。
ココナットの実 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
解雇される心配も、血だらけな母の顏も、鈍い壓迫と共に消え去つて、勝誇つた樣ななまぐさい笑が其顏に漲つて居た
病院の窓 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
獲ものゝ魚はいなであることは、この魚特有の精力的ななまぐさいにおいが近づくまえに鼻をうつので知られました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
勝手の強い姑のともばかりして、毎日行かせられるのを、お庄も飽き飽きしていた。口で言うほどでもない姑は、外へ出れば出たでなまぐさいものにも箸を着けていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
割箸わりばしを添えて爺が手渡すどんぶりを受取って、一口ひとくちすすると、なまぐさいダシでむかッと来たが、それでも二杯食った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
なまぐさい風がドコからともなく吹き渡って来て、お銀様の身辺にせまると同時に、湖面湖上いっぱいに黒雲が立ちふさがったものですから、こんなところに長居は無用と
三二 千晩せんばだけは山中にぬまあり。この谷は物すごくなまぐさのするところにて、この山に入り帰りたる者はまことにすくなし。昔何の隼人はやとという猟師あり。その子孫今もあり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
おれの前には妻が落した、小刀さすがが一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へした。何かなまぐさかたまりがおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。
藪の中 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)