“新銭座”の読み方と例文
読み方(ふりがな)割合
しんせんざ100.0%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そこで、諭吉ゆきちは、しば新銭座しんせんざ有馬ありまというとのさまの土地とちって、じゅくをたてたのでした。
新銭座しんせんざ入塾から三田みた引越ひっこし、屋敷地の広さは三十倍にもなり、建物の広大な事も新旧くらべものにならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
○予が父は初め新銭座しんせんざの福沢塾にて洋学を修め明治四年亜墨利加アメリカに留学し帰朝の後官員となりし人にて、一時はなかなかの西洋崇拝家なりけり。
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
上野の戦争新銭座しんせんざの塾は幸に兵火のめに焼けもせず、教場もどうやらこうやら整理したが、世間は中々やかましい。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そうして、明治めいじ四(一八七一)ねんに、慶応義塾けいおうぎじゅくは、新銭座しんせんざから三田みたへうつりました。
土地の女学校を出た後、母は、その頃芝の新銭座しんせんざにいた国学者でまた南洋学の先覚、近藤真琴の家庭へしばらくやられていた。
れば我党の士が旧幕府の時代、すなわち彼の鉄砲洲てっぽうずの塾より新銭座しんせんざの塾に又今の三田に移りし後に至るまでも、勉強辛苦は誠に辛苦なりしかども
えゝ此の梅若七兵衞という人は、能役者の内狂言師でございまして、しば新銭座しんせんざに居りました。
梅若七兵衛 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
しば新銭座しんせんざの陸地測量習練所とに分離し、二者の総称が攻玉社となり、明治十九年に至るまで
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
一、社中に入らんとする者は、芝新銭座しんせんざ、慶応義塾へ来り、当番の塾長にはかるべし。
慶応義塾新議 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)