たてがみ)” の例文
補祭は用心しながら、濁流のたてがみがもう届きそうになっている危なっかしい橋を渡り、小さな梯子を攀じ上って乾小屋の中へはいった。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
荷馬橇の馬は、狹霧さぎりの樣な呼氣いきかぶつて氷の玉を聨ねたたてがみを、寒い光に波打たせながら、風に鳴る鞭を喰つて勢ひよく駈けて居た。
菊池君 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
下げていた頭をもち上げ、若い馬が何かをうるさがってたてがみをふるうように宏子が柔かい断髪をふるった途端、電話のベルが鳴り立った。
雑沓 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
海浜や道傍の到る処に塵埃じんあいの山があり、馬車が何台も道につながれてあって、足の太い馬が毛の抜けたたてがみを振ってものうそうにいなないている。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
さながら矢のごとくに流れる眼眩めまぐるしさ! しかも波の色の毒々しいまでのドス黒さ! 黒泡のたてがみを逆立たせつつみ合いつかみ合い
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
彼は馬を停めようとして激しく轡を曳き緊めたが、馬は異様な嘶き声をあげ、たてがみを逆立てて遮二無二、騎士を目がけて突進して行つた。
「大丈夫、大丈夫。ただ、振り落されないように、駒のたてがみと、私の帯に、必死でつかまっておいでなさい」と、いって、むち打った。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半ば眠れる馬のたてがみよりは雨滴しずく重くしたたり、その背よりは湯気ゆげ立ちのぼり、家鶏にわとりは荷車の陰に隠れて羽翼はね振るうさまの鬱陶うっとうしげなる
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
白斑ぶちの大きな木馬のくらの上に小さい主人が、両足をん張ってまたがると、白い房々したたてがみを動かして馬は前後に揺れるのだった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
ただ見る、それさえ不意な上、胴体は唯一ただひとツでない。たてがみに鬣がつながって、胴に胴が重なって、およそ五、六けんがあいだけものの背である。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
のっそりとおくびをしたり、眼をぱちくりさせたり、たてがみを振ってみたり、——それにもう刈りとられて仕舞うその早さ。あくなき人の残酷さ。
左右に長いたてがみを振乱して牝馬と一緒におどり狂って、風に向って嘶きました時は——いつわりもなければ飾もない野獣の本性に返りましたのです。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
神経性の痙攣けいれんが下唇の端をぴくぴくと引っらせ、くしゃくしゃになったちぢが、まるでたてがみのようにひたいに垂れかかっている。
すりきれたくしゃくしゃのたてがみは、主のそそけた髪にも似て来、しょぼしょぼ濡れている眼は、主のそれと同じくいつも目脂めやにをたたえていた。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
私は横飛びに二メートルほど飛んでたてがみをつかまへると、引きずられながらも背中へよぢ登りました。かうなれば仔馬は確実に私のものです。
亜剌比亜人エルアフイ (新字旧仮名) / 犬養健(著)
しかと検して置こうと言うて野猪のたてがみの直ぐそばに生えおった高いすすきじ登りサア駈けろと言うと同時に野猪の鬣に躍び付いた
ちゝなるものは蚊柱かばしらたつてるうまやそばでぶる/\とたてがみゆるがしながら、ぱさり/\としりあたりたゝいてうままぐさあたへてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
しかしそれは着物を着てゐて、馬のたてがみのやうに荒々しい、黒い白髮しらがまじりの房々とした毛が頭と顏をかくしてゐるのであつた。
ドカリと椅子に腰をおろした深沢深は、首をと振りたてがみのような長髪をかき上げて、いきなり象牙のキイに指をおろしました。
この時女は、裏のならの木につないである、白い馬を引き出した。たてがみを三度でて高い背にひらりと飛び乗った。くらもないあぶみもない裸馬はだかうまであった。
夢十夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
乃至ないし眞夜中まよなかうまたてがみ紛糾こぐらからせ、また懶惰女ぶしゃうをんな頭髮かみのけ滅茶滅茶めちゃめちゃもつれさせて、けたら不幸ふかう前兆ぜんてうぢゃ、なぞとまするもマブが惡戲いたづら
彼れははじめて立停った。痩馬も歩いた姿勢をそのままにのそりと動かなくなった。たてがみ尻尾しりっぽだけが風に従ってなびいた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
金色の獅子は銀の眼玉をむいててつぺんに宝珠をいただき、まつかな狛犬は金の眼玉を光らせてたてがみをふりみだしてゐる。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
福島からは略ぼ直流して来た川も、佐太さた粟代あはしろとで、二回の屈曲をする、その間の高瀬では、川浪が白馬のたてがみを振ひながら、船の中へ闖入して来た。
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
馬のかしらが、たてがみに月の光を払って、三たび向きを変えた時、次郎はすでに馬背にあって、ひしと兄の胸をいだいていた。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
敵からよじ登られる防寨は電光のたてがみをふりかぶったかと思われた。襲撃は狂猛をきわめて、防寨の表面は一時襲撃軍をもって満たされたほどだった。
そうしてその中で燃えている火は、血を含んででもいるように見え、そこから吹き出している墨のような煙りは、黒駒くろこまなびかせるたてがみのようであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
手綱をしゃくられて長いくびを立てる馬は、ふりかぶるたてがみの下に丸い眼を見ひらいた。ぎらりと赤い夕陽が反射した。堀大主典の馬がだく足で前に出る。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
モルヴァアクは暴風の風のように激しく高くいなないて、たてがみをふりみだしながら、ダフウトの方に駈けて行った。
やはり南無妙法蓮華経と響いていたのでございましょう……海の波がしらは獅子のたてがみのようだと、人様が申しましたが、私共が聞きますと、大洋の波の音は
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ちぎれかかった雨雲の尾は鴻島の上に垂れかかって、磯から登る潮霧と一つになる。近い岬の岩間を走る波は白いたてがみを振り乱して狂う銀毛の獅子のようである。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
或るものはべた/\した革紐に似て居り、畳んだリボンのやうなのもあり、長いたてがみのやうなものもある。
権現さまは頭にはウマのたてがみなどをむすびつけているが、オシシにはこれは神であるからそんな野蛮な真似はせずことごとく紙を裁ち切って下げている。そこが違う。
東奥異聞 (新字新仮名) / 佐々木喜善(著)
馬はたてがみをだんだんにかき乱して、脇腹には汗をしたたらせ、鼻息もひどくあらあらしくなってきます。
かくいひつつかぶりし帽を脱棄ぬぎすてて、こなたへふり向きたる顔は、大理石脈だいりせきみゃくに熱血おどる如くにて、風に吹かるる金髪は、こうべ打振りて長くいばゆる駿馬しゅんめたてがみに似たりけり。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しばらく彼は馬に一息つかせながら、磨墨の頸を軽く叩き、たてがみを愛撫して武士の生甲斐とでもいうものを感じていた。すると、そのとき、彼の眼に妙な情景が映った。
その機に乗じて平吾は黒馬を飛ばし、その新馬浪岡の左斜めからたてがみに飛びつき、首に綱をかけた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
老僕の傍にはさかりをすぎた一匹の獵犬ポインターと名だたるバンタム、これは小さな老ぼれの小馬で、もじやもじやのたてがみに長い赤錆色の尾をたらし、睡たげに、温和しく路傍に立つて
駅伝馬車 (旧字旧仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
次兄が彼を馬の背に抱へ上げてくれる。彼は小さい身体をはずませて、たてがみを指の間でしつかりと捉む。次兄が彼の背後にのつて、彼等は蒼然と暮れかゝる家の前の路に出る。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
たてがみくし、細い尻尾も編む。手で、また声で、機嫌をとる。眼を海綿で洗い、ひづめろうを引く。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
たとえば猛獣が雷鳴を怖れてそのたてがみの地に敷くばかり頭を垂れた時のように、「巡査おまわりが来た!」
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
転落を怖れる私をそのたてがみ獅噛しがみつかせたりするというような怖ろしい状態になって来た。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
「ふうむ。この小さな馬が、いまにも土煙を立て、たてがみを振って、走り出しそうに見えるテ」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
獅子のたてがみのやうに怒つた髪、鷲の眼のやうに鋭い目、その人は昂然と歩いてゐた。少年の僕は幻の人間を仰ぎ見ては訴へてゐた。僕は弱い、僕は弱い、僕は僕はこんなに弱いと。
鎮魂歌 (新字旧仮名) / 原民喜(著)
ぶるぶるとたてがみしずくを切り乍ら、一番乗りの歓呼の土手へ、おどるように駈けあがった。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
荒布あらぬのの前掛を締めた荷揚の人足が水に臨んだ倉の戸口に蹲踞しゃがんで凉んでいると、往来際おうらいぎわには荷車の馬がたてがみを垂して眼を細くし、蠅のれを追払う元気もないようにじっとしている。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
吾心頭には稻妻の如く昔のおそろしかりしさま浮びたり。またゝくひまに街の兩側に避けたる人の黒山の如くなる間を、兩脇より血を流し、たてがみそよぎ、口よりあわ出でたる馬は馳せ來たり。
ちびたたてがみは丁寧に梳かれ、身体はさっぱりとかれて、あかひとつついていなかった。
キャラコさん:10 馬と老人 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
学名はエジュアス・ヘミオニスであるとのことだ。その大きさは日本の大きな馬ほどあって背中の色は茶がかった赤い色で腹が白い。背筋がまっ黒で尾は驢馬の尾のごとく細くたてがみもある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
きばらして此方こなたにらんでつたが、それもわづかのあひだで、獅子しゝ百獸ひやくじうわうばるゝほどあつて、きわめて猛勇まうゆうなる動物どうぶつで、此時このとき一聲いつせいたかさけんで、三頭さんとう四頭しとうたてがみらして鐵車てつしや飛掛とびかゝつてた。