びん)” の例文
いずれもびんの毛を長く垂れて、尖った口を持った人びとで、ひとりの白衣の老人を先に立てて、李の前にうやうやしく礼拝しました。
あんずるにこれは、深海の魚が、盲目になったのと同じ事である。日本人の耳は昔から、油を塗ったびんの後に、ずっと姿を隠して来た。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「さ、よいぞ。剃刀は下げてよい。こんどは髪だ、市松、うしろへ廻って、髪の根を締めてくれい、少々、びんだらいの水をしめして」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
びんはほつれ、眼は血走り、全身はわなわなふるえています。少女達は驚きながらわけたずねると、女はあわててどもりながら言いました。
気の毒な奥様 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
籠は上に、棚のたけやや高ければ、打仰うちあおぐやうにした、まゆの優しさ。びんの毛はひた/\と、羽織のえりに着きながら、肩もうなじも細かつた。
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
頭さえ曲げなかったら、横びんを掠めるくらいのところですんでいたはずで、いわばこれは卑怯のむくいともいうべきものであった。
湖畔 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
びんにほつれるある女が夜間薬品店にあらわれると、灯籠とうろう道でもあるくように蒼ざめて、淀川の水面に赤いレッテルの商標を投じた。
大阪万華鏡 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
けれども葉子はもう左手の小指を器用に折り曲げて、左のびんのほつれ毛を美しくかき上げるあの嬌態しなをして見せる気はなくなっていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
嬋娟せんけんたる花のかんばせ、耳の穴をくじりて一笑すれば天井から鼠が落ち、びんのほつれを掻き立ててまくらのとがをうらめば二階から人が落ちる。
そういう寂しいある夜のこと、紫の君はいつもになく、少しく蒼い顔をして、乱れたびんを掻き上げながら、長者の門を潜って来た。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
地図らしいものをしたためていると、それをのぞき込んでいるのが、びんをつめて色の浅黒い四十恰好のドコかで見たことのあるような男です。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
白っぽい竪縞たてじまの銘仙の羽織、紫紺しこんのカシミヤの袴、足駄を穿いた娘が曾て此梅の下に立って、一輪の花を摘んで黒い庇髪ひさしびんに插した。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
斜めに振り上げて、乱れかかるびんの毛を、キリキリと噛んだ女の顔は、そのまま歌舞伎芝居の舞台にせり上げたいほどのあでやかさでした。
礼儀ただしいのでからだをこごめて坐っているが、退屈をするとびんの毛の一、二本ほつれたのを手のさきでいじり、それを見詰めながらはなす。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
いつも継母に叱られると言って、帰りをいそぐ娘もほっと息をついて、雪にぬらされた銀杏返いちょうがえしびんでたり、たもとをしぼったりしている。
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大きな花弁はなびらの形にい上げられた夥しい髪毛かみのけが、雲のように濛々もうもうと重なり合っている……そのびんの恰好から、生え際のホツレ具合までも
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
びんのほつれ毛が顔へ懸りまして、少し微酔ほろえい白粉気おしろいけのあるところへぽッと桜色になりましたのは、べっして美しいものでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
夢の世を夢よりもあでやかながめしむる黒髪を、乱るるなと畳めるびんの上には、玉虫貝たまむしかい冴々さえさえすみれに刻んで、細き金脚きんあしにはっしと打ち込んでいる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
富士春は、びんを上げて、襟白粉だけであった。小太郎は、ちらっと見たまま、先へ歩いて行った。益満は、小太郎を追いながら
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
便所臭い三等車の隅ッこに、銀杏返いちょうがえしのびんをくっつけるようにして、私はぼんやりと、山へはいって行く汽車にゆられていた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
隣家の伴蔵が覗いてみれば「骨と皮ばかりの痩せた女で、髪は島田に結ってびんの毛が顔に下り、真っ青な顔で、裾がなくって腰から上ばかり」
これにて母親が下手に向ひ吹く。維盛夫婦が出づると、平手にて上手へ進ます。このうちびんの毛が両方より前へ長く下がる。
珊瑚さんごかんざしもつつましい。よく気を入れて見ると、びんの毛がちとほつれたまま写っている。顔に窶れの見えるのはそのためであるかも知れない。
其度に自分の頬がお松のびんの毛や頬へさわるのであった。お松はわざと我頬を自分の頬へりつけようとするらしかった。
守の家 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
また光る、また消える、また光る……。其中から、迷ひ出る樣に風に隨つて飛ぶのが、上から下から、橋の下を潜り、上に立つ人のびんかすめる。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
はげしい格闘が、じきに二人のあいだに初まった。小野田が力づよい手をゆるめたときには、彼女のびんがばらばらにほつれていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その二人が何か小声で話しながら前に腰かけている老母のびんの毛のほつれをかわるがわるとりあげてつくろってやっている。
雑記帳より(Ⅱ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
島田髷の腰から下のない骨と皮ばかりの女が、青白い顔にびんの毛をふり乱して、それが蝋燭ろうそくのような手をさしのべて新三郎のくびにからませていた。
円朝の牡丹灯籠 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
こないだあの方の出て往かれる時にびんをお洗いになった泔坏ゆするつきの水がそっくりそのままになっているのにふと気がついた。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そこにたたずんだ容姿すがたをちらと見ると、蒼ざめた頬のあたりに銀杏返いちょうがえしのびんの毛が悩ましくれかかって、赤く泣いた眼がしおしおとしてうるんでいる。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
びんのあたりの白髪が少しめだってきたようである。額のしわも深くなったようだし、頬のあたりには、やや肉のたるみさえ感じられるようであった。
おくみは蚊帳の裾に膝を突いてかう言ひながら、びんの後れ毛を掻き上げて、お脱ぎになつたシャツをさつきの洗つたばかりのと取りかへて置いた。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
前髪をつまんで立てたりびんの毛を揃えたりすると、お顔のぜんたいがまるでお百姓のバラライカの絃が切れたみたいな様子になることもありました。
いつまでたっても、馬がいななくように笑っているので、お高は、気味がわるくなったが、それでも、ほっとして、びんのほつれ毛を指でなで上げた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
髪の油か、何か分らないが、忍びやかな丁子ちょうじのにおいに似たものが、彼女のびんの毛と共にかすかに彼のほおにさわった。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
確かにそこはさして深くなく、膝、腰、せいぜい深い所でびんの毛がぬれる程度であった。暫く行ったところで、男は
春枝夫人はるえふじんもいと晴々はれ/″\しき顏色がんしよくで、そよ/\とみなみかぜびんのほつれはらはせながら餘念よねんもなく海上かいじやうながめてる。
ひたいからびんの辺へかけて、の力がはいるたびに、お民は目を細くして、これから長くしゅうとめとして仕えなければならない人のするままに任せていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
銀杏返いてふがへし引約ひつつめて、本甲蒔絵ほんこうまきゑ挿櫛さしぐし根深ねぶかに、大粒の淡色瑪瑙うすいろめのう金脚きんあし後簪うしろざし堆朱彫ついしゆぼり玉根掛たまねがけをして、びん一髪いつぱつをも乱さず、きはめて快く結ひしたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
やがて、ぱらりと名人のびんの毛が、三筋、四筋、六筋、七筋、青白く思案に沈んだそのほおにみだれかかりました。
その風びんをかすめて過ぎつと思うほどなくまっ黒き海の中央まなかに一団の雪わくと見る見る奔馬のごとく寄せて、浪子がしたる岩も砕けよとうちつけつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
玉のかいなは温く我頸筋くびすじにからまりて、雲のびんの毛におやかにほほなでるをハット驚き、せわしく見れば、ありし昔に其儘そのままの。
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
雪もよいの闇空やみぞらから吹く新鮮な冷風が心地ここちよくびんや顔に当たっても枯れ果てた心の重苦しさはなおらなかった。
男は三十四五歳の、髪の毛を房々ふさふさと分けた好男子、女は二十五六歳であろうか、友禅ゆうぜん長襦袢ながじゅばんの襟もしどけなく、古風な丸髷まるまげびんのほつれなまめかしい美女。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それが崩れるとまた暫く何も出来ずに居たが、ようよう丸髷まるまげの女が現れた。その女のびんが両方へ張って居るのは四方へ放って居る光線がそう見えるのである。
ランプの影 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
そして、そのうちの或る者は、びんに霜を置いても帰ろうとしない。この種の「漂泊の猶大人ワンダリング・ジュウ」の多くを、人は今ふらんす国セエヌ河畔の峡谷に見るであろう。
湯の音がしたかと思うともうあがって、濡れて光るびんを鏡もみず掻きつけながら、おさやは店先の神棚の前へ行った。マッチをすって右と左と御燈明をつけた。
猫車 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
夫 (知らん顔をして)「もし、この女のびんを吹く風しもにゐたら、白粉おしろいのぷんとしたかをり、髪の油のなまめかしさで、まだ年の若いのが判断されたゞらう」
世帯休業 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
また別離を悲しみて伏し沈みたるおもてに、びんの毛の解けてかかりたる、その美しき、いじらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
〽青すだれ川風肌にしみじみと汗に濡れたる(枕がみ袖たもと) 合びんのほつれをかんざしのとどかぬ(愚痴も惚れた同士命と腕に堀きりの櫛も洗い髪幾度と風に吹けりし)