くわ)” の例文
くわかたげし農夫の影の、橋とともにおぼろにこれにつる、かの舟、音もなくこれをき乱しゆく、見る間に、舟は葦がくれ去るなり。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
と、いうことは素気そっけないが、話を振切ふりきるつもりではなさそうで、肩をひとゆすりながら、くわを返してつちについてこっちの顔を見た。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
くわを忘れたと気付き、取り帰ってさすがは烏だ、内の鶏なんざあ何の役にも立たぬとそしると、鶏憤ってトテコーカアと鳴いたという。
くわを肩に掛けて行く男もあり、肥桶こえたごを担いで腰をひねって行く男もあり、おやじの煙草入を腰にぶらさげながらいて行く児もありました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いちどわがへ戻ってくわを持ち出し、夜もすがら裏藪うらやぶのあたりを歩いていたが、やがて、西久保の山へ上って、その金をけていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
畑の中には大きな石がゴロゴロしている。家の廻りにはくわ天秤棒てんびんぼう、下駄など、山で荒削りにされたまま軒下に積まれてある。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
突然庫裏くりの方から、声を震わせて梵妻だいこくが現われた。手にくわのような堅い棒を持ち、ふとった体を不恰好ぶかっこうに波うたせ、血相かえて来た。
果樹 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
仮りにも主君の恣意しいがそれを強要したなぞとは、それは夢にも現われてならぬ想念であった。生れてはじめてくわをとった彼らであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
谷地やちの境について、紛らわしいことを云って来るんです。寺池領の者が、地境を無視して涌谷領へくわをいれる、というんですが」
もうこれまでです。男の血は槍や鳶口とびぐちや棒やすきくわを染めて、からだは雪に埋められました。検視の来る頃には男はもう死んでいました。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
くわをかついでいる百姓ひゃくしょう親爺おやじさんといったほうが適当であり、講義の調子も、その風貌にふさわしく、訥々とつとつとしてしぶりがちだった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
〽さいこたくまか出た、てけれっつのぱあ ——圓好の手がくわになる。孟斎芳虎えがくの唐人に、さっと赤土が高座をかつちる。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
わたくしがはだかでくわを運んでますていと、畑のところまで○○子爵からのお使いがあって、いつ、何時からという約束になりましたが
猫八 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
この種の仕事に馴れない大川時次郎は、はしけの中で、「入れくわ」をした。スコップで、籠に、石炭を入れる役である。女の領分だ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
おもいながら、半分はんぶん気味きみわるいので、いきなりくわり上げて、ころそうとしますと、かみなりがついて、あわててお百姓ひゃくしょうめました。
雷のさずけもの (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
くわすきの類をはじめとしての得物えものは、それぞれ柳の木に立てかけられたり、土手の上に転がされたりして、双方が素手すでで無事に入り交って
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
暫くの間、私はこのあたりに無言でせっせっとくわを入れて来た自分の相棒の内生活をのぞく興味にあふれ、なお高次郎氏の歌集を読んでいった。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ばくち打ちの親分になって贅沢するよりも、すきくわもって五穀をつくるのが人間の本筋だって、ゆうべもつくづくいってました。
沓掛時次郎 三幕十場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
尻切しりきれ草履突かけて竹杖たけづえにすがって行く婆さんのうしろから、くわをかついだ四十男の久さんが、婆さんの白髪を引張ったりイタズラをして甘えた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
麦の種をくために鉄のくわで掘り割られる時に、地面が受くるような感じを、彼もおそらく感じたであろう。その時はただ傷をのみ感ずる。
母はまがった腰にくわを取り、肥をかついで、狭い庭の隅々までも耕して畑にしていた。病人の息子に新鮮な野菜を与えたいだけの一心だった。
黒猫 (新字新仮名) / 島木健作(著)
私からたくり取った鞄を、片手にヨチヨチと、くわかついで通りかかった下男が、またその鞄を受取って、甥を取り巻いてはなを垂らしながら
仁王門 (新字新仮名) / 橘外男(著)
向うの方で凸凹でこぼこの地面をならして新墓地を作っている男が、くわの手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
人夫は、棺の周囲の土へ、くわを打込んで行った。鍬の先が、棺の木に当って、土に汚れて、薄黒くなった肌に、白い傷が、いくつも、ついた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
工業的こうぎょうてきの機械を用うる事はなく、くわすきかまなどが彼等唯一ゆいつの用具であくまでもそれを保守して、新らしい機械などには見向きもしない有様で
農村 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
金属工芸の進まなかった時代から、土を耕すくわはすでに備わり、また火をく炉の上の鉤も欠くべからざるものであった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二人は小さな蝋燭の光をたよりに、棺桶をその穴の底に落し入れると、その辺に投げ捨ててあったくわとシャベルを取って、棺の上に土をかけた。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
白い頭を手拭てぬぐいに包んで、くわを杖に、ほころびかけた梅の花を仰いでいるお爺さんを想い描かずにはおられないのです。
季節の植物帳 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
みづかとうじ、みづかくわり、みづか其破片そのはへんをツギあはせて、しかうへ研究けんきうみづからもし、きたつて研究けんきうする材料ざいれうにもきやうするにあらざれば——駄目だめだ。
女は、掘りかけてくわをそこに捨てて休んだ。湿しめっぽい風は女の油気のない、赤茶けた髪をなぶって吹いた。木々の葉は、冷笑あざわらうように鳴っていた。
森の暗き夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
雨はわたしが豆畠にくわを入れるのをさまたげはするが、それは豆畠の手入れよりはるかに一層値打ちのあるものなのだ。
その後から年とった女達がくわの上に泥を引っかけたのをげて弾薬補給の役目をつとめるためについて行くのである。
五月の唯物観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
今や敵国に対して復讐戦ふくしゅうせんを計画するにあらず、すきくわとをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。
その中で、どうしても一個所竹竿の通らない処を、父がくわで掘出して土管を埋め直し、若い叔父さま二人に水を汲んで来て流して見ろと命じていた。
父杉山茂丸を語る (新字新仮名) / 夢野久作(著)
武士たちは、こわごわちかづいて見ると、高麗錦こまにしきくれあや倭文織しずおりかとりたてほこゆきくわなどのたぐいで、いずれも権現から紛失した宝物であった。
家の戸口は開かれて、くわすき如露じょうろなぞは、きいろ日光ひかげに照されし貧しき住居すまいの門の前、色づく夕暮のうちよこたはりたり。
小学校の校庭に死骸が埋めてあって、それを掘り出さねばいけないというので、私はくわを振って地面にうち下した。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
吾々が怠れば品物の方は決して近附かない。すべての所が処女地であった。精出してすきくわれない限りみのりはない。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
収入みいりどころか、牛も馬もすきくわもありません。何よりも先にそれを手に入れなくちゃいけません。そうすりゃ、やがてお金も入って来るでしょう。」
イワンの馬鹿 (新字新仮名) / レオ・トルストイ(著)
がちりと、何かくわの先にあたったものがありました。それからまた、がちりがちりと、鍬は少しもとおりません。丸彦はそのへんを掘りひろげました。
長彦と丸彦 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
けれどくわを持つには健康が侵され、ペンではお金を得るどころでなく、お金がかかるようなしだいで困っています。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ともとの道へ帰ろうとする山のきわの、信行寺しんぎょうじと云う寺から出て来る百姓ていの男が、すきくわを持って泥だらけの手で、一人は草鞋一人は素足でさきへ立って
清作はびっくりして顔いろを変え、くわをなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走って行きました。
かしわばやしの夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
上州じょうしゅう田舎いなかの話である。某日あるひの夕方、一人の農夫が畑から帰っていた。それはの長いくわを肩にして、雁首がんくび蛇腹じゃばらのように叩きつぶした煙管きせるをくわえていた。
棄轎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
歌麿うたまろがかったものにも色気を出す、大雅堂たいがどう竹田ちくでんばたけにもくわを入れたがる、運が好ければ韓幹かんかんの馬でも百円位で買おう気でおり、支那の笑話しょうわにある通り
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
学校へゆく二人ふたり兄妹きょうだいに着物を着せる、座敷を一通り掃除そうじする、そのうちに佐介はくわを肩にして田へ出てしまう。お千代はそっとおとよの部屋へはいって
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
黒木長者の雇人が二三十人、木刀や手槍てやりまで持出して、地蔵様を屋敷内に移そうとすると、土地の人は、くわ、鎌、竹槍でよろって、そうはさせねえという騒ぎ。
すると、彼の前へ、とつぜんパイプをくわえ、肩にくわをかついだ農夫が姿をあらわした。そして農夫の顔を見たとき、隆夫のたましいは、あっとおどろいた。
霊魂第十号の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
少し離れて三人の武士、高くたいまつをささげている。さらに離れて二人の武士、すきくわを地に突いている。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
枯れ萎れた茎の根へ、ぐいと一とくわ入れて引き起すと、その中にちらりと猿の臀のような色が覗く。茎を掴んで引き抜くと、下に芋が赤く重なってついている。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)