つぼみ)” の例文
吃驚びっくりしたようにあたりを見ながら、夢に、菖蒲あやめの花を三本、つぼみなるを手に提げて、暗い処に立ってると、あかるくなって、太陽した。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そしてその下の方に茂つてゐる大株の山吹が、二分どほり透明な黄色いつぼみほころばせて、何となし晩春らしい気分をさへかもしてゐた。
花が咲く (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
まだ名物の桜のつぼみも固く、道の枯草に浅緑も蘇返よみがえらず、うるんだような宵月が、二人の影法師を長く苅田の中へ引いて居ります。
銭形平次捕物控:245 春宵 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
ちょうど三月の末、麦酒ビール会社の岡につづいた桜のつぼみほころびそめたころ、私は白金しろかねの塾で大槻医師が転居するという噂を耳にした。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
明朝咲く朝顔のつぼみを数えて報告するのもある。幼い女児二人は縁側へいろいろなお花を並べて花屋さんごっこをする事もある。
小さな出来事 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
が、その次の瞬間しゅんかんには、私はその同じ茂みのうちに殆ど二三十ばかりの花と、それと殆ど同数の半ば開きかかったつぼみとを数えることが出来た。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
我を切り、突き、剜らんとする一切兇悪きょうあく刀槍剣戟とうそうけんげきの類は、我に触れんとするに当って、其の刃頭が皆妙蓮華みょうれんげつぼみとなって地に落つるを観た。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
木村の好きな雁皮の樺色の花なんぞがそれで、近所の雑草を抜かうとして手が触れると、切角つぼみを持つてゐる茎が節の所から脆く折れてしまふ。
田楽豆腐 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
花ならばまだほんのつぼみみたいなようなもんだけど、利口なことにかけたら、先祖のパタシヨン・パタポンなんか足もとへも及ばないぐらいなのよ。
路傍みちばたにはもうふきとうなどが芽を出していました。あなたは歩きながら、山辺やまべ野辺のべも春のかすみ、小川はささやき、桃のつぼみゆるむ、という唱歌をうたって。
冬の花火 (新字新仮名) / 太宰治(著)
うかなあ。俺は少し、底にう空色を帯びたやうな赤いつぼみがあつたと思つたのに。それを一つだけ欲しかつたのさ」
駅を下りてからの長い桜並木は、まだつぼみが堅くて、まがきの中には盛りの過ぎた白梅が、風もないのにこぼれておりました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
満枝はさすがあやまちを悔いたる風情ふぜいにて、やをら左のたもとひざ掻載かきのせ、牡丹ぼたんつぼみの如くそろへる紅絹裏もみうらふりまさぐりつつ、彼のとがめおそるる目遣めづかひしてゐたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
奥はまだつぼみが堅かった。金峰山きんぷせん神社・蹴抜けの塔、山道の青草の上を行く人がない。西行庵は、前がつまっているので、もうほのぐらくなって居た。
花幾年 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
夏も末の頃になつて漸く新らしい枝のさきに白い粉の吹いたやうなつぼみが沢山につきはじめて、其の苔がほころびるとはじめて赤い花が咲くのであつた。
百日紅 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
さうしてそれが頭の上の水面へやつと届いたと思ふと、忽ち白い睡蓮すゐれんの花が、丈の高い芦に囲まれた、藻の匀のする沼の中に、的皪てきれきあざやかつぼみを破つた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
つぼみの出来ただけをことごとく花にし、その花も千切ったりせずに、皆実になるに任せて置いて、つるごと引たぐるという意味であろう。平凡なる駄朝顔である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
器量は色が白いだけでたいしたこともないけれど、その律義と初々しさが水仙のつぼみのようで、わたくしは何だか下から煽られているような気がいたします。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
が、よく見ると、そのなかで花弁をぱつとはでやかに開いてゐるのは、まだほんの二三分で、残りの七八分方は言ひ合せたやうにふはりと膨らんだつぼみのままだ。
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
昨日きのうの雨をみの着てりし人のなさけをとこながむるつぼみは一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金しろがねの糸を長く引いて一匹の蜘蛛くもが——すこぶるだ。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし僕の学才は矢張りつぼみのまゝでしぼむ運命を持っていた。人の所為せいにするのではないが、本科に進んでから未だ学校が始まらない中に、菊太郎君はもう決心が生返って
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかしその眼元はあの無垢むくな光を失って一種鋭どい酷薄な光りを帯びやさしくほころびかかった花のつぼみのようであった唇の辺りには、妙に残忍な邪慳じゃけんな調子が表われているのです。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
薔薇のつぼみの花環が彼女の額にまかれ、足は絹の靴下と小さな白繻子しろじゆすの靴とでよそはれてゐた。
綱手は、紅いつぼみのように、ふくらんでいる眼瞼から、愛と、情熱とを込めて、月丸を見た。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
桔梗ききょうもまた羞ぢてつぼみを垂れんとす、びょうたる五尺の身、この色に沁み、この火に焼かれて、そこになほ我ありとすれば、そは同化あるのみ、同化の極致は大我あるのみ、その原頭を
山を讃する文 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
フックラとつぼみのように、海に浮いた島々が、南洋ではどんなに奇麗なことだろう。それは、ひどい搾取下にある島民たちで生活されているが、見たところは、パラダイスであった。
労働者の居ない船 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
こひしいおひと、さよなら! このこひつぼみは、皐月さつきかぜそだてられて、またふまでにはうつくしうくであらう。さよなら/\! おまへむねにもわしむねにも、なつかしい安息あんそく宿やどりますやう!
ときほどけばさすがに梅は雪の中につぼみをふくみて春待かほなり、これ春の末なり。
油のはいったさらがあって、その皿のふちにのぞいている燈心とうしんに、桜のつぼみぐらいの小さいほのおがともると、まわりの紙にみかん色のあたたかな光がさし、附近は少し明かるくなったのである。
おじいさんのランプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
わずかに庭前のかけひの傍にある花梨かりんつぼみが一つほころびかけているのを、いかにも尼寺のものらしく眺めなどしながら、山の清水の美味なのに舌鼓を打ちつつコップに何杯もお代りを所望したりして
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そうするうちに五分刈の綾之助は稚子髷ちごまげになった。また男髷になった。十四、十五と花のつぼみは、花の盛りに近づいていった。明治廿三年には十六歳となった。女義界の綾之助は桜にたとえられた。
竹本綾之助 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
けれどもそれはつぼみが春になってふくらむように確実に、そうすべきときにそれに服従してとどろく己が法則をもっているのだ。大地はどこからどこまでも生きており、小乳頭状突起でおおわれている。
ふふめるつぼみに咲いての後の奇蹟を待たせられた時です。
ますにわたかぜさだかにきこえぬさて追手おつてにもあらざりけりおたか支度したく調とゝのひしか取亂とりみださんはのちまでのはぢなるべし心靜こゝろしづかにといましめることばふるひぬいたましゝ可惜あたら青年せいねんはなといはゞつぼみえだいまおこらん夜半よは狂風きやうふう
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
小豆あづき売る小家の梅のつぼみがち
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
いと甘き沈丁ぢんてうにがつぼみ
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
つぼみの花に震ふ手を。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
とその蹴出しの下に脱いで揃えた白足袋が、蓮……蓮には済まないが、思うまま言わして下さい。……白蓮華びゃくれんげつぼみのように見えました。
甲乙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
半分開けた障子は、手細工の切張りだらけですが、例の淺黄色の空が覗いて、盆栽ぼんさいの梅のつぼみのふくらみが、八五郎の膝に這つて居るのです。
これは青虫ほど旺盛な食慾をもっていないらしいが、その代り云わば少し贅沢な嗜好をもっていて、ばらのつぼみを選んで片はしから食って行くのである。
蜂が団子をこしらえる話 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
銀子にもそんな思い出の一つや二つはあったが、彼女が出たてのつぼみのような清純さを冒された悔恨は、今になってもぬぐいきれぬあとを残しているのであった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
たとえば、三日見ぬうちにつぼみであった桜が、もう満開になってしまった、というだけでは満足しないで、「世の中は三日見ぬ間に桜かな」といわねば承知せぬ。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
それは美男葛びなんかずらといってね。夏は青白い花が咲くのだ。もうつぼみがあるだろう。実が熟すると南天のように赤くて綺麗だよ。蔓の皮をいで水に浸すと、ねばりが出るのを
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
そうやって植込みの中にすっぽりと身を入れていると、あちらこちらの小さな枝の上にときどき何かしら白いものが光ったりした。それはみんなつぼみらしかった。……
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
籬には蔓草つるぐさ埒無らちなまといついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花やつぼみをチョイチョイ摘取つみとって、ふところの紙の上に盛溢もりこぼれるほど持って来た。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
派手で勝気で、爛漫と咲き乱れる筈の大輪の花のつぼみが、とかく水揚げ兼ねている。あんたはそういう女だ。そのむしばみは何処にも見えない。茎は丈夫だし、葉は艶々しい。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それは淡紅色な大輪の花であつたが、太陽の不自然な温かさに誘はれてつぼみになつて見たけれども、朝夕の晷景ひかげのない時には、南国とても寒中は薔薇に寒すぎたに違ひない。
先には土いきれにしぼんだつぼみが、花びらを暑熱にねじられながら、かすかに甘いにおいを放っていた。雌蜘蛛はそこまで上りつめると、今度はその莟と枝との間に休みない往来を続けだした。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
鳩の首をぢようが、孔雀の雛を殺さうが、犬をけしかけて羊を追ひ𢌞さうが、温室の葡萄のをちぎらうが、一番大事な花のつぼみむしらうが、誰ひとりとして、邪魔するものもなければ
磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性にょしょうの間に、はちすの花がぽっちりと、つぼみもたげたように、物を考えることを知りめた郎女であった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)