かび)” の例文
やがて下から声かけられて、母親が板戸を締めはじめると、お庄もむっとかびくさい部屋から脱けて、足元の暗い段梯子を降りて行った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そのように、最後の幻までも奪い去られたとすれば、いつか彼女にはかびが生え、樹皮で作った青臭い棺の中に入れられることもあろう。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
え朽ちた欄干を越え、異様なかびの匂いやら蜘蛛くもの巣やらを面で払った。そして最も奥の深いところの御厨子みずしの内へかくれこんだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、それでもまだまだ日本の大部分の土地に蔽いかぶさるあの陰欝な、人にも物にも皆かびが生えるような梅雨とは程遠いものである。
郭公のおとずれ (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
第二の幽霊 駄目だめ、駄目。何処どこの芝居でも御倉おくらにしてゐる。やつてゐるのは不相変あひかはらずかびの生えた旧劇ばかりさ。君の小説はどうなつたい?
LOS CAPRICHOS (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
すこしでも湿気があるとかびが生えて品質が悪くなる。内地用の茶は僅かに火を入れる丈であるから、香気を失うことがすくない。
コシ 鹿児島附近ではかびこうじもともにコシといい、またいろいろの皮膚の病にもコシ・コセカキ・コシキヤマイという語がある。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「寒の水でいたからかびやしめえと思うが、水餅にして置くほうがいいかもしれねえ」まるで怒ったような声で彼はそう云った
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
○チースはかびの生じやすきものにて外国人はその黴あるものを珍重するなり。黴あるものはその上皮を削去りて料理に用ゆべし。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それにかびの臭いの外に、胸の悪くなる特殊の臭気が、間歇かんけつ的に鼻をいた。その臭気にはもやのように影があるように思われた。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
七月の末から雨がつづいて、インク瓶にまでかびが生えて薄気味わるい程でしたが、やっと久し振りでいいお天気になりました。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして両者のいずれがより大なる視界を持っているか。試みに選んでもみよ。一個のかびは、一群の花である。一片の星雲は無数の星である。
われわれは一日に三回食事時に会い、お互いに、われわれがそれであるところの古いかびくさいチーズの味をあらためて相手に味わわさせる。
むしろかびの生えた既成観念や、飽き飽きしたロマンティックな情緒を強いられるより、どんなに心安くて清々するか解らない。
津波のような回想にあえぎ苦しんだ。かびくさい納戸の空気に浸れば、身も心もとろけるような喜びがありそうに思われるのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
藩札はあかき紙ぎれ、皺にかびくさきさつ、うちすたり忘られし屑、うち束ね山と積めども、用も無し邪魔ふさげぞと、はふられてあはれや朽ちぬ。
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
内田大使の任期はやつと一年か一年半で済む事だらうから、白米は五俵もあつたら十分だらう。味噌はかびさへ我慢したら何時までも食べられる。
そこを潜ると、かびくさい真暗な倉庫の中に出る。妙なところへ連れこまれたなあと思っているうちに眼がやみになれてくる。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
トゥヰンビー館といえば、札幌の演武場くらいを俺は想像していたんだが、行ってみたら、白官舎を半分にしてかびを生やしたような建物だった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
羽目は黒いが、永年の風雨に荒廃し、黒さも薄墨色にぼんやりしたところへ、緑っぽく細かいかびが、蛾のはねの粉を撒いたように滲みついていた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
が、誰も人の住んでいるけはいはありません。キチンと片付いて、何一つ道具とてもないかびだらけの琉球畳りゅうきゅうだたみだけが、白々しらじらと光っているばかりです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
薔薇ばらの花はかしらに咲て活人は絵となる世の中独り文章而已のみかびの生えた陳奮翰ちんぷんかんの四角張りたるに頬返ほおがえしを附けかね又は舌足らずの物言ものいいを学びて口によだれ
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
彼は自分の服装のことなどはまるで心にもとめなかった。彼の着ている制服といえば、緑色があせて変なにんじんにかびが生えたような色をしていた。
外套 (新字新仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
冷なる學校のたふに坐して、かびえたるハツバス・ダアダアが講釋に耳傾けんは、あまりに甲斐なき事ならずや。見よ、我が馬にりてまちを行くを。
「屍蝋」……ある医書の「屍蝋」の項が、私の目の前に、その著者のかびくさい絵姿と共に浮んで来た。一体全体、この男は何を云わんとしているのだ。
白昼夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かれの予測した古いかびのような匂いや、埃のむれや、至るところに不思議な軋り泣きする階段をおもしろく感じた。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
しみの巣のようになっていて、古いかび臭い香もしながら字は明瞭めいりょうに残って、今書かれたとも思われる文章のこまごまと確かな筋の通っているのを読んで
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
第一本文が無闇むやみむつかしい上にその註釈なるものが、どれも大抵は何となくかび臭い雰囲気の中を手捜りで連れて行かれるような感じのするものであった。
変った話 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
長いこと、人間が住まなかったからであろう、部屋の中は馬糞紙ばふんしのような、ボコボコした古いにおいがこもっていて、黒い畳の縁には薄くかびあとがあった。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
されどこの輪の周圍まはりのいと高きところの殘しゝあとを人かへりみず、良酒よきさけのありしところにかび生ず 一一二—一一四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
掃除をして餅のかびをけずり、玉子や茶道具をそばにならべ、小皿に醤油しょうゆをうつすじぶんにはちょうど湯がわく。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
物にかびを誘ふことの甚しい雨であつた。此間にお桐の容体はあらたまつた。絶間なしにたんを吐いて居た。肺が全部腐敗して出て来るかと思はれるほど烈しかつた。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
ややもすれば、新しい現代の生活を呪詛じゅそして、かびの生えた因習思想を維持しようとする人たちを見受けます。
「女らしさ」とは何か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
世間をおそれる身が長く端居はしいはできないので、二人の仲直りを見とどけて綾衣は早々に奥へはいった。昼でも暗い納戸には湿しめってかび臭い空気がみなぎっていた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
甲谷は先に立った山口の後から土間を降りると、真暗なかび臭い四角な口から梯子はしごを伝って地下室へ降りた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
今朝けさまではインキが乾いて間もない、青々としたペンの痕跡あとに見えたのが、今はスッカリ真黒くなって、行と行との間には黄色いかびさえ付いているようである。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
孤独の寂し味のなかに包まれて、なんのことはない、餅の上に生えたかびのようなライフを味おうている。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
倉庫に特有なかびにおいでもあるけれども、それにいろ/\な物の交った、複雑な、不愉快な臭いである。
まず第一に、湿ったかび臭い地下室からのように、ドイツ魂からしたたっている、胸悪くなる多感性があった。
父はそんなものには目もくれず、カステイラなどはいつでもかびが生える。それでも手をつけさせなかった。家族のものは勿体もったいないといったが、どうにもならない。
従って誰しもが前々よりややもするといいたかった言葉であって、すでにすでに平凡化し、かびが生え、今さらのごとくそれをいうと野暮に聞こえるほどのものである。
現代茶人批判 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
白いかびやうのものがひろがつてゐるが、烈しい臭気に彼も亦、そのことに気がついて、小口貸金手軽に御用立てます、と云ふ広告を読みながら、排泄するのであつた。
釜ヶ崎 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
けだし彼等にとってみれば、あのかび臭い古都の空気ほど、没趣味で散文的なものは宇宙にないのだ。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
其処に夏になると美しい衣に滲み出るかびのような、周囲に不調和な平原の陋習ろうしゅうあとが汚なく印せらるるにしても、其他の、殊に別山から雄山に続く長い頂上の何処に
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
気がつくと、私はかびのにおいのする暗い地面に倒れていた。土臭い風が生温なまぬるく顔に吹きつけていた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
やはらかなかぜすゞしくいてまつ花粉くわふんほこりのやうにしめつたつちおほうて、小麥こむぎにもびつしりとかびのやうなはないた。百姓ひやくしやうみな自分じぶん手足てあし不足ふそくかんずるほどいそがしくなる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
根太ねだたヽみ大方おほかたち落ちて、其上そのうへねずみの毛をむしちらしたやうほこりと、かうじの様なかびとが積つて居る。落ち残つた根太ねだ横木よこぎを一つまたいだ時、無気味ぶきみきのこやうなものを踏んだ。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
かびはえ駄洒落だじゃれ熨斗のしそえて度々進呈すれど少しも取りれず、随分面白く異見を饒舌しゃべっても、かえって珠運が溜息ためいきあいの手のごとくなり、是では行かぬと本調子整々堂々
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
老爺さんの頭はだんだん凸凹が多く深くなって、かびがはえたようにそのくぼみにほこりがたまる——
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
すずしい草屋根の下に住んだ時とは違って、板屋根は日に近い。壁は乾くと同時に白くかびが来た。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)