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越前
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ゑちぜん
越前の
府、
武生の、
侘しい
旅宿の、
雪に
埋れた
軒を
離れて、二
町ばかりも
進んだ
時、
吹雪に
行惱みながら、
私は——
然う
思ひました。
乞に取次出來れば越前守申さるには
夜中甚だ恐入存ずれど天下の一大事に付
越前推參仕つて候何卒中納言樣へ
御目通の儀願上奉る
旨を
「
君は
身體が
丈夫だから
結構だ」とよく
何處かに
故障の
起る
安井が
羨ましがつた。
此安井といふのは
國は
越前だが、
長く
横濱に
居たので、
言葉や
樣子は
毫も
東京ものと
異なる
點がなかつた。
「敦賀と申すと、あの
越前の敦賀でござるかな。あの越前の——」
其が
大雪のために
進行が
續けられなくなつて、
晩方武生驛(
越前)へ
留つたのです。
強ひて
一町場ぐらゐは
前進出來ない
事はない。
爲にも及ばじ依て小西屋へ參りし
醫師は何れの者やら
解らずとせん
就て其方も醫師の事ゆゑ今
越前が問たきことありそも/\醫師は
螢雪の學の
窓に年を
重人の
生命を
これは
能登、
越中、
加賀よりして、
本願寺まゐりの
夥多の
信徒たちが、
其の
頃殆ど
色絲を
織るが
如く、
越前——
上街道を
往來した
趣である。
貰ひ信州へ參り越後の方を尋ね候處
不慮の災
難に逢ひ終には猿島河の下にて首を
見付たるは先達て申上候と言にぞ
越前守殿何源次郎其方
妻は右の二の
腕に源次郎命と
彫物をしてを
後にも
言ふが——いつもは
件の
得意の
俥で、
上街道越前を
敦賀へ
出たのに——
爾時は、
旅費の
都合で。
此の
備中、
一時越前の
領土巡検の
役を、
主人義景より
承り、
供方二十
人ばかりを
連れて、
領分の
民の
状態を
察せんため、
名だゝる
越前の
大川、
足羽川のほとりにかゝる。
聞けば
之から
越前へ
行つて、
派は
違ふが
永平寺に
訪ねるものがある、
但し
敦賀に
一泊とのこと。
東枕も、
西枕も、
枕したまゝ
何處をさして
行くのであらう。
汽車案内の
細字を、しかめ
面で
恁う
透すと、
分つた——
遙々と
京大阪、
神戸を
通る……
越前ではない、
備前國糸崎である。
処で、
此の
随筆が
出処だとすると、
何のために、
奥州を
越前へ
移して、
越中を
備中にかへたらう、ソレ
或ひは
越中は
褌に
響いて、
強力の
威厳を
傷けやうかの
深慮に
出たのかも
計られぬ。
これは
越前名代の
強力、
一日狩倉に
出て
大熊に
出逢ひ、
持てる
鎗は
熊のために
喰折られ
已む
事を
得ず
鉄拳を
上げて
熊をば一
拳の
下に
打殺しこの
勇力はかくの
如くであると
其の
熊の
皮を
馬標とした。