あざな)” の例文
この作者はとう張読ちょうどくであります。張はあざな聖朋せいほうといい、年十九にして進士しんし登第とうだいしたという俊才で、官は尚書左丞しょうしょさじょうにまで登りました。
「——司馬徽しばきあざな徳操とくそう。また道号を水鏡すいきょう先生と申されます。生れは潁川えいせんですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでになります」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中にも『喫茗雑話』から抄したものは、漁村の撰んだ抽斎の墓誌の略で、わたくしはそのうちに「道純いみな全善、号抽斎、道純そのあざななり
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
仏庵、あざなは景蓮といい、世〻神田岩井町に住した幕府御畳方大工の棟梁とうりょうで、通称を弥太夫という。仏庵は秘蔵の古硯を蒸雲と名づけた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
べん游侠ゆうきょうの徒、仲由ちゅうゆうあざなは子路という者が、近頃ちかごろ賢者けんじゃうわさも高い学匠がくしょう陬人すうひと孔丘こうきゅうはずかしめてくれようものと思い立った。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
幼名は四方吉よもきちい、後に傳次郎でんじろう、それから嘉次郎かじろうとも称しました。生長してからは國倫くにともと称し、あざな士彛しいと号したのです。
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)
名譽職だといふので、しるしだけの俸給に甘んじて、終日出勤して、五つのあざなの合した廣い村の面倒な事務を執つてゐた。
避病院 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
女仙外史一百回は、しん逸田叟いつでんそう呂熊りょゆうあざな文兆ぶんちょうあらわすところ、康熙こうき四十年に意を起して、四十三年秋に至りて業をおわる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
明治維新の行政庁は、名義を正すの目的をもって、かくのごとき官名の僭称せんしょうきらいあるあざなは一時禁ぜられたことがあります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
明の李卓吾りたくごの『続開巻一笑』四に、唐寅とういんあざなは伯虎、三月三日において浴澡す。一客これをおとずれて見る事を求む、浴を以て辞す、客悦ばずして去る。
祝の児の名はがくあざな離塵りじんというのであったが、その鶚は寇家に請うて、三娘の遺骸をもらい受け、それと祝の遺骸を同時にして埋めたのであった。
水莽草 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
真田幸村の名前は、色々説あり、兄の信幸は「我弟実名は武田信玄の舎弟典厩てんきゅうと同じ名にてあざなも同じ」と云っているから信繁のぶしげと云ったことは、たしかである。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
しん石崇せきそうあざな季倫きりんふ。季倫きりんちゝ石苞せきはうくらゐすで司徒しとにして、せんとするとき遺産ゐさんわかちて諸子しよしあたふ。たゞ石崇せきそうには一物いちもつをのこさずしてふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
阮修げんしゅうあざな宣子せんし、易、老を好み、清言をよくす。かつて、鬼神の有無を論ずる者あり。みなもって人の死するは鬼ありとす。修ひとりもってなしとなす。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
かの女の歌の中の常陸介は、はたしてかの女の夫のあざなか否か不明ではあるが、かかる種類の尼法師が必ずしも法師をのみ夫に持っておったとはかぎるまい。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
皀莢瀑さいかちだきあざないたします、本名は花園はなぞのたきと云う巾の七八間もある大瀑おおだきがドーッドッと岩に当って砕けちる水音。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
孔子は、門人を呼ぶに、名を呼んで決してあざなを呼ばない。(例えば子貢をと呼び、子路をゆうと呼ぶが如く)
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
坐っているときにはいつも一字々々拾い読みして、五虎将ごこしょうの姓名を説きあかすのみならず、黄忠こうちゅうあざな汗升かんしょう馬超ばちょうの字が孟起もうきなどということまで知っている。
風波 (新字新仮名) / 魯迅(著)
「その代り、お前のように、孔明あざなは玄徳が、かわず切りの名槍を持って、清正と一騎討ちをしたりはせん——」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
老子らうし苦縣こけん厲郷らいきやう曲仁里きよくじんりひとなりせい李氏りしあざな伯陽はくやうおくりなたんふ。しう(一)守藏室しゆざうしつなり孔子こうししうき、まされい老子らうしはんとす。
若君の師からあざなをつけてもらう式は東の院ですることになって、東の院に式場としての設けがされた。高官たちは皆この式を珍しがって参会する者が多かった。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
せきたりりょうたり。独立して改めず。周行してあやうからず。もって天下の母となすべし。われその名を知らず。これをあざなして道という。いてこれが名をなして大という。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
兵衛佐平定文ひやうゑのすけたひらのさだぶみと云ふ人ありけり、あざなをば平中とぞ云ひける、御子みこの孫にていやしからぬ人なり、そのころの色好みにて人の、娘、宮仕人みやづかへびと、見ぬは少くなんありける」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
吾輩はすぐさまその石標の上におどり上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚あざな春浪しゅんろうなりとよばわったが
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
かたりていはく、○寛政のはじめ江戸日本橋通一町目よこ町あざな式部小路しきぶこうぢといふ所に喜太郎とて夫婦に丁稚でつちひとりをつかひ菓子屋とは見えぬ𥴩子造かうしづくりにかんばんもかけず
支那人の真似をしてあざな、号などを附けるのを嫌われ、時々「雪池」と書かれたのも、洒落に過ぎなかったのであるが、当時は、漢学者流の号を用いられておったものと見える。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
岩瀬肥後は名を忠震ただなりといい、あざなを百里という。築地つきじに屋敷があったところから、号を蟾州せんしゅうとも言っている。心あるものはいずれもこの人を推して、幕府内での第一の人とした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
きん生はあざな王孫おうそんといって蘇州の生れであった。淮安わいあん縉紳しんしんの屋敷の中にいて土地の少年子弟を教授していた。その屋敷の中にはあまり家がなくて、花や木が一めんに植わっていた。
五通 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
世に無惨むざんなる話しは数々あれど本年七月五日の朝築地あざな海軍原の傍らなる川中に投込なげこみありし死骸ほど無惨なる有様は稀なりかくさえも身の毛逆立よだつ翌六日府下の各新聞紙皆左の如く記したり
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
それは例の甘輝かんきあざなは耳の垢とりで、怪しげな唐装束からしやうぞくに鳥の羽毛はねのついた帽子をかぶりながら、言上ことあげののぼりを肩に、獅子ヶ城のやぐらのぼつたと云ふ形で、みよしの先へ陣どつたのが、船の出た時から
世之助の話 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
わたくしの姓はあざな麗卿れいけい、名は淑芳しゅくほうと申しまして、かつて奉化ほうか州のはん(高官が低い官を兼ねる)を勤めておりました者の娘でございますが、父は先年この世を去りまして、家も次第に衰え
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
あざなハ実父、十洲ト号ス、太倉ノ人、呉郡ニ移リ住ム、呉派ノ第一流トイハレシ周東村ニ学ビ、人物鳥獣、山水楼観、旗輩車容ノ類、皆、秀雅鮮麗ト挙ゲラレ、世ニ趙伯駒ノ後身ナリト称セラル
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼等はまた「氏」と呼ぶ家族名と、「通称」と称する、我々の洗礼名に当る名とを持っている。更に「号」という学究的な名が与えられ、その上に「あざな」と呼ばれる、これも学問上の名さえある。
それは摂津国十二万四千石の領主、松平伊賀守の紋どころ——替紋ではあったが——であり然もその分家の式部なる人のあざなが吉近と云い、然も五年前に本家へ入って伊賀守を相続しているのである。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「それがしは、衛国えいこくの生れ、楽進がくしんあざな文謙ぶんけんと申す者ですが、願わくば、逆賊董卓とうたくを、ともに討たんと存じ、麾下きかに馳せ参って候」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東河、名ははうあざなは文平、一号は払石ふつせきである。書をげん東江に学んだ。泊民名は逸、碩翁と号した。亦書を善くした。魚来は未だ考へない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ただ、韓の子は生まれてからひと月に足らないので、まだそのあざなを決めていないために、そのなかにも書き漏らされていた。
島田、名はかん、自ら元章とあざなしていた。世に知られた宿儒篁村こうそん先生の次男で、われわれとは小学校からの友である。翰は一時神童といわれていた。
梅雨晴 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
起居注ききょちゅう魏観ぎかんあざな杞山きざんというもの、太子に侍して書を説きけるが、一日太祖太子に問いて、近ごろ儒臣経史の何事を講ぜるかとありけるに、太子
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
出産の順位で人のあざなを呼ぶことは、西洋と共通でない慣習でありますが、支那には古くから存在しておったのです。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
陵陽りょうよう朱爾旦しゅじたんあざな少明しょうめいといっていた。性質は豪放であったが、もともとぼんやりであったから、篤学の士であったけれども人に名を知られていなかった。
陸判 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
たとえば今まで人間には名のほかにあざながなければならぬものと、ゆえもなく信じ切っていたが、考えてみれば字が絶対に必要だという理由はどこにもないのであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
相師いわくこの児善徳無比と、因って摩頭羅瑟質まずらしっしつあざなす。蜜勝の意だ。父母に乞うて出家す、この僧渇する時鉢を空中になげうてば自然に蜜もて満ち、衆人共に飲み足ると。
あるいはこれをあざなして、老子は無名といい、孔子は天といい、あるいは易に太極といい、釈迦は真如といい法性といい仏といい、ヤソは天帝といい、わが国に神というも
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「そうかね、……はてね。……トオカミ、エミタメはどんなものだ。」とあざなは孔明、琴を弾く。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かたりていはく、○寛政のはじめ江戸日本橋通一町目よこ町あざな式部小路しきぶこうぢといふ所に喜太郎とて夫婦に丁稚でつちひとりをつかひ菓子屋とは見えぬ𥴩子造かうしづくりにかんばんもかけず
あざなによつて組をつくつてゐる若い衆連が、互ひに他に劣らぬやうに寄附金を集めて、神輿を飾つて練り廻るのは、盆の踊りにもまさつて、年中行事の第一の賑ひになつてゐたので
避病院 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
玄白というのは通称ですが、名は翼、あざな士鳳しほう鷧齋いさい又は九幸翁きゅうこうおうと号しました。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
或方あるかたから御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用いりようの所だけをつまんで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、きゅうあざな子思しゝと申す方がございまして、そのお子をはくあざな子上しじょうと申しました
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
巽斎は名は孔恭こうきようあざな世粛せいしゆくと云ひ、大阪の堀江に住んでゐた造り酒屋の息子である。巽斎自身「余幼年より生質軟弱にあり。保育をもつぱらとす」と言つてゐるのを見ると、兎に角体は脾弱ひよわかつたらしい。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)