菩薩ぼさつ)” の例文
花によって荘厳しょうごんされているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩ぼさつ」の修行をば、美しい花にたとえて、いったものです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
かなり高い教養を積んだことも事実らしく、「歌舞の菩薩ぼさつ」という形容詞が、必ずしも出鱈目とは言えないものがあったのでしょう。
太宗たいそう皇帝の水陸大会だいせがきに、玄奘法師げんじょうほうし錦襴きんらん袈裟けさ燦然さんぜんと輝き、菩薩ぼさつが雲に乗って天に昇ると、その雲がいつの間にか觔斗雲きんとうんにかわって
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
ばばの唱える観音経かんのんぎょうの声がそこにする。ばばの眼や耳には、お通の声も姿もなかった。ただ、観音が見える。菩薩ぼさつ御声みこえが聞えている。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのカシミールの少し北の所にもやはり開けて居った国があって、そこには羅漢らかんあるいは菩薩ぼさつというような方も居られたそうです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
ことに問題となるのは天人や菩薩ぼさつとして現わされた女の顔や体の描き方、あるいは恋愛の場面などに描かれた蠱惑的こわくてきな女の描き方である。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
非常に宗教心にあつく、法華経ほけきょうを信仰して、まるで菩薩ぼさつさまのような生活をおくっていました。仏さまといってもいい程です。
啄木と賢治 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
けれども、目連もくれんや、舎利弗しゃりほつの鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論竜樹りゅうじゅ馬鳴めみょうも、人並の鼻を備えた菩薩ぼさつである。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
極楽という所では菩薩ぼさつなども皆音楽の遊びをして、天人は舞って遊ぶということなどで極楽がありがたく思われるのですがね。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そこで菩薩ぼさつとなり仏となったものは化他けたの業にいそしむことになるのが自然の法で、それが即ち菩薩なり仏なりなのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
またこの飴屋が、喇叭らっぱも吹かず、太鼓をトンとも鳴らさぬかわりに、いつでも広告の比羅びらがわり、赤い涎掛よだれかけをしている名代の菩薩ぼさつでなお可笑おかしい。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「どうも手がつけられないね。それじゃ気に入る都踊りへ早く案内しよう。僕も何方どっちかといえば生きた菩薩ぼさつの方が有難い」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
観音経の中の、「諸々の善男子よ、恐怖するなかれ、なんぢ等まさに一心に観世音菩薩の名号をとなふべし。菩薩ぼさつく無畏を以て衆生しゆじやうを施したまふ。」
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
その代りに、今度は珠子を非難し、君の脚を売ることを望むような女性は外面がいめんにょ菩薩ぼさつ内心ないしんにょ夜叉やしゃだといって罵倒ばとうした。
大脳手術 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それというのも、あの六地蔵菩薩ぼさつのお施主たちがたいへんもなくあちらにお力添えくださるからのことでござります。
東の隅の小壁に描かれた菩薩ぼさつの、手にしている蓮華れんげに見入っていると、それがなんだか薔薇ばらの花かなんぞのような、幻覚さえおこって来そうになるほどだ。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
与八のきざむ仏像——実は菩薩ぼさつは大抵お地蔵様に限られているようです。お地蔵様以外のものを刻んだのを見たこともないし、また刻めもすまいと思われる。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
のちに越前敦賀つるがに降ってけいたい菩薩ぼさつあらわれ、北陸道を守護したもうなどと、大変なでたらめをいっている。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
……今の夢の中の菩薩ぼさつの言葉だって、考えてみりゃ、女偊じょう氏や虯髯鮎子きゅうぜんねんしの言葉と、ちっとも違ってやしないんだが、今夜はひどく身にこたえるのは、どうも変だぞ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
星を祭り、仏や菩薩ぼさつには、皇子誕生のことばかりを祈願した。六月一日は、岩田帯の儀式があった。
「惜しいことをしたわい。もう一足早ければ、これなる菩薩ぼさつのお臍が拝めたものを。わっはっは。」
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そして次第に法力ほふりきを得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬといふ、大力の菩薩ぼさつとなられたぢゃ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
少し短くつまった顔の特殊なポオズも、少しも殊更ことさららしくなくてただ気高いような好い心持がするばかりである。何かしら人の子ではなくて何かの菩薩ぼさつのような気がする。
ある日の経験 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あなとうとや観世音菩薩ぼさつかたじけなや勢至菩薩。筏のへさきに立って、早や招いていらるるぞ。やっしっし、やっしっし、それ筏は着くぞ。あのたえなる響は極楽鳥の鳴き声じゃな。
或る秋の紫式部 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
併し、残された刀自・若人たちの、うちまもる画面には、見る見る、数千地涌すせんじゆ菩薩ぼさつの姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
他の者つゐいたる、岩に近づけば菩薩ぼさつ乳頭にうとうおぼしき所に、一穴あり、頭上にも亦穴をひらけり、古人の所謂いわゆる利根水源は文珠菩薩のちちよりづとは、即ち積雪上をみ来りしさい
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
イエスを父に、マリアを母に、または如来を主に、菩薩ぼさつを親に、かくて浄土を憧れ奈落ならくを恐れた。真理を極めるのは僧の務めであり、それを信じるのは衆生の務めであった。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
京師けいしの、はなかざしてすご上臈じょうろうたちはいざらず、天下てんか大将軍だいしょうぐん鎮座ちんざする江戸えど八百八ちょうなら、うえ大名だいみょう姫君ひめぎみから、した歌舞うたまい菩薩ぼさつにたとえられる、よろず吉原よしわら千の遊女ゆうじょをすぐっても
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
しかしこの女を「四肢ししと毛なみの美しいけもの」として卑しみ去ろうとする意志の下には、その獣身に喇嘛らま教の仏像の菩薩ぼさつに見るような歓喜があふれているところをなかなか捨て難く思う心が
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
香染こうぞめの衣を着た、青白い顔の、人気のあった坊さんが静々と奥院の方からほのかにゆらぎだして来て、衆生しゅじょうには背中を見せ、本尊菩薩ぼさつ跪座立礼きざりつれい三拝して、説経壇の上に登ると、先刻嫁をののし
とうと菩薩ぼさつたちがかりにお姿すがたをあらわしたものだろうとおもうようになりました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
星移れば物かわりて人情もまた従つて同じからず。吉原のおいらんを歌舞の菩薩ぼさつと見てあがめしは江戸時代のむかしなり。芸者をすいなり意気いきなりと見てよろこびしも早や昨日の夢とやいふべき。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
古来存在した幾万億の仏達、菩薩ぼさつ達のおこなひが、言葉がかれの心によみがへつて来た。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
(略)菩薩ぼさつ薩摩の薩は字原せつなり博愛堂『集古印譜』に薩摩国印は薛……とあり訳経師やっきょうし仮釈かしゃくにて薛に二点添付したるを元明げんみんより産の字に作り字典は薩としあるなり唐には決して産に書せず云々
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
畜類ちくるゐながらも菩薩ぼさつぎやう
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
かなり高い教養を積んだことも事實らしく、『歌舞の菩薩ぼさつ』といふ形容詞が、必ずしも出鱈目でたらめとは言へないものがあつたのでせう。
後年彼がこの話をした時、弟子懐奘えじょうは問うていう、「自らの修行のみを思うて老病に苦しむ師を扶けないのは、菩薩ぼさつぎょうに背きはしないか」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
彼岸の仏菩薩ぼさつでなくて、吾が隣人であり、又自己そのものである。面打といわれる彫刻家の製作にあたっての生きいきした感慨は思いやられる。
美の日本的源泉 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
……母者ははじゃは地蔵尊を信仰なされ、わしも地蔵尊を身の守りにして来たが、しょせん地蔵菩薩ぼさつ御手みてでも救いがたい阿修羅の申し子だったとみえる
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と観ずる途端に発矢はっしと復笞の音すれば、保胤はハラハラと涙を流して、南無なむ、救わせたまえ、諸仏菩薩ぼさつ、南無仏、南無仏、と念じたというのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
樹島はしずかに土間へ入って、——あとで聞いた預りものだというぶつ菩薩ぼさつの種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。おおきなこのくらいのすがたを一体は。」
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はさきに百済くだら観音を白炎の塔として仰いだことについて述べたが、大和平原はるかに塔をながめるとき、私にはそれらがことごと菩薩ぼさつ立像にみえるのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
とにかくラサ府は悪魔も沢山居るけれども、悪魔ばかりでなくてそのうちに菩薩ぼさつも居られるありがたい所である。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
話はつい横道へそれましたが、かの「菩薩ぼさつやまいは大悲よりおこる」という『維摩経ゆいまぎょう』の文句は、非常に考えさせられることばだと思います。どなたかの歌に
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
この六地蔵菩薩ぼさつと、その寄進者を恥ずかしめようという目的のもとに行なわれた暴行にちがいないのです。
そして次第に法力ほうりきを得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬという、大力の菩薩ぼさつとなられたじゃ。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
上求菩提下化衆生の菩薩ぼさつの地位であり、また天上と地獄との間の人間の立場でもある、人生は旅である、旅は無限である、行けども行けどもかぎりというものは無いのである
「峠」という字 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こちらは、阿弥陀というよりは、地蔵菩薩ぼさつと謂えば、その美しさは認められるだろう。腹のあたりまでしか出ていぬが、すっくと立った全身の、想見出来るような姿である。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
しかも無限性を牽出ひきだすもの、こゝに吉祥天きちじょうてん伎芸天ぎげいてん弁財天べんざいてんなどゝいふ天女型の図像が仏菩薩ぼさつ像流行を奪つて製作され、中の幾つかゞ今日に残り、人間性の如何いか矛盾むじゅんであり
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
神明仏菩薩ぼさつ勇士高僧の多くが岩石などの上に不朽の跡を遺して、永く追慕を受けている国であった。いわば山人思想の宗教化ということには、正しく先蹤せんしょうがあったのである。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)