ひつぎ)” の例文
玄関に立った時、ひつぎは既にかつがれて露地を出ていた。そこの通りに自動車がたくさん並んで待っているのである。私達は露地に出た。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
「これでは、あまり寒々としている。もがりの庭のひつぎにかけるひしきもの—喪氈—、とやら言うものと、見た目にかわりはあるまい。」
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ういふ相談をして居るところへ、ひつぎが持運ばれた。た読経の声が起つた。人々は最後の別離わかれを告げる為に其棺の周囲まはりへ集つた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
露国では、九月一日にかぶら等諸菜で小さいひつぎを製し、蠅などの悪虫を入れ悲歎のていして埋めると。紀州などで稲の害虫ウンカを実盛さねもりと呼ぶ。
けれどもこれほどのえらい将軍しょうぐんをただほうむってしまうのはしいので、そのなきがらによろいせ、かぶとをかぶせたまま、ひつぎの中にたせました。
田村将軍 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
というのは、恋女房のひつぎの横に坐って始終腕組みをしていた吉蔵親分が、つと焼香に立った喜多公を見て、悲痛な言葉を浴びせたに始まる。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
基経は姫のひつぎに、香匳こうれん双鶴そうかくの鏡、塗扇ぬりおうぎ硯筥すずりばこ一式等をおさめ、さくらかさね御衣おんぞ、薄色のに、練色ねりいろあやうちぎを揃えて入れた。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
何です、これは、縁起の悪い、ひつぎではありませんか、寝棺ねかんではありませんか。おおいやだ、寝棺が捨てられてある。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
水瀦みずたまりに映る雲の色は心せし人の顔の色のごとく、これに映るわが顔は亡友なきともひつぎを枯れ野に送る人のごとし。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
是にいて、使者還り来て曰く、墓所に到りて視れば、かためうづめるところ動かず。すなはち開きて屍骨かばねを見れば、既にむなしくなりたり。衣物きもの畳みてひつぎの上に置けり。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
人々は一つのひつぎを運びだしました。それでわたしは、あの人が死んだことを知りました。人々は棺のまわりにわらをかけました。それから、車は動きだしました。
そこで両人の者はその作男さくおとこ兼馬丁兼厨夫ちゅうふがたくさんの兼職の中へ今一つ葬儀屋の職を加えて、やんごとない主人をひつぎの中に釘づけにしておいたという事実を発見した。
主人あるじはいとど不憫ふびんさに、その死骸なきがらひつぎに納め、家の裏なる小山の蔭に、これをうずめて石を置き、月丸の名も共にり付けて、かたばかりの比翼塚、あと懇切ねんごろにぞとぶらひける。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
いよいよ死にました、ちひさい赤んぼでございましたと、小さいひつぎをかついで来てさへなほさらだ。
観相の秋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
床の上に薔薇にうめられて、銀の足を持って黒綾くろあやひつぎが置いてありました。しかしてその棺の中には、頭に婚礼のかんむりを着けたわかいむすめがねかしてありました。
ちょうど、それについてはある時機まで待つという黙契が、二人の間に自然と成立しているようなぐあいであった。カチェリーナの遺骸はまだひつぎにはいったままだった。
したまたたなありて金銀きんぎん珠玉しゆぎよくれり。西にしばうには漆器しつきあり。蒔繪まきゑあらたなるもののごとし。さてそのきたばうにこそ、たまかざりたるひつぎありけれ。うち一人いちにん玉女ぎよくぢよあり。けるがごとし。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
最後の後裔もの現世うつしよにて、未だ曾て類ひなき極悪人たらしめて、彼の重ねる悪業の、一つ一つに先祖さきおやの亡霊どもがひつぎの中で安息を掻き乱され、娑婆では知られぬ苦悩を忍び
お辻のひつぎがその赤ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
彼女には何か、自分のひつぎでも出す日の朝雲みたいに空いちめんも、むなしかった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私が自分で土を運びひつぎを埋めて、その臨終に書きのこされた筆跡を墓のしるしとして、心ばかりの供養をしましたが、私はもともと字も書けないので、亡くなった月日を記すこともできず
いとしい人形ではいなかったから、彼女は怏々おうおうと楽しまない日がつづいて、そのうちに坪内先生のおひつぎを送り、すぐまた、五十余年を、一日もかたわらを離れなかった、浜子の老母が、ぽくりと
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
弔砲ちょうほうが鳴つて、非常な盛儀であつた。あのまま息を引きとつた彼女の顔は、ガラスのひつぎのなかで白蝋はくろうのやうに静かであつた。僕は純白の花束を、人々の後ろから墓穴のなかへ投げてやつた。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
そしてひつぎの上はだんだん低くなった。深谷の腰から下は土の陰に隠れた。
死屍を食う男 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
やがて女中さんのひつぎがまるで坊っちゃんの後を追うようにして了雲寺へ搬ばれ、続いてその後あのお爺さんが気がおかしくなってお邸の納屋で首をくくって亡られたとかで、すっかり後始末もつくと
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
彼女の相手となる、男という男に、あの世から投げる父の嫉妬しっとが、あまねく影を映すとすればいつか彼女にかびが生え、青臭いひつぎに入れられても、その墓標には、恋の思い出一つ印されないに相違ない。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ひつぎの前には牡丹花ぼたんのはなの燈籠の古くなったのをけてあった。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
くさぐさの色ある花によそはれしひつぎのなかの友うつくしき
みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ひつぎにも蔵められず、腐屍を禿鷹の餌食に曝すむくろの上を
間島パルチザンの歌 (新字旧仮名) / 槙村浩(著)
生木なまきひつぎ裂罅ひびの入る夏の空気のなやましさ。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
つめたき壁にふうじたるひつぎのなかに隱れすむ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
一つのひつぎ星雲せいうんのやうに浮いてゐる
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
泣く/\もひつぎを出だす暮の月 自笑じしょう
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ひつぎを迎えるような気がするのは!
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
真白い氷のひつぎとなり
サガレンの浮浪者 (新字新仮名) / 広海大治(著)
みんな土葬でひつぎは三尺程高い箱棺で、それに蓮台れんだい天蓋てんがいとはお寺に備えつけのものを借りて来て、天蓋には白紙を張り、それに銀紙でまんじをきざんで張りつけ
その部屋では、王たちが大きな石のひつぎの中でまどろんでいるのです。その棺の上の壁には、この世における栄華えいがをあらわすもののように、一つの王冠おうかんが人目をひいています。
その夜、津の茅原かやはらの父親と、和泉いずみ猟夫さつおの父とが頭を垂れて、姫のひつぎの前に坐っていた。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
芸者にすいな御客人、至って野暮な御亭主なり。弟子に経綸けいりんを教うる人、家庭の教育整い難し。友のひつぎを送るもの、親類の不幸を弔わず、役所に出でては尻尾を振り、宅へ帰れば頭を振る。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大臣だいじんたちはぶつぶついながら、ともかくも片岡山かたおかやまへ行ってみますと、どうでしょう、こじきのなきがらをおさめたひつぎの中は、いつかからになっていて、中からはぷんとかんばしいかおりがちました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
あはれ君がひつぎの前にさめざめと泣き伏すなり。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
冷たき壁に封じたるひつぎのなかに隠れすむ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
『見よ、乳母のひつぎく。』と。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
ひつぎまへ銀樽ぎんそん一個いつか兇賊等きようぞくらあらそつてこれをむに、あまかんばしきこと人界じんかいぜつす。錦綵寶珠きんさいはうじゆ賊等ぞくらやがてこゝろのまゝに取出とりいだしぬ。さてるに、玉女ぎよくぢよひだりのくすりゆびちひさきたまめたり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)