こずえ)” の例文
何気なく隣境の空を見上げると高い樹木のこずえに強烈な陽の光が帯のようにまつわりついていて、そこだけがかっと燃えているようだった。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
盛夏三伏さんぷくの頃ともなれば、影沈む緑のこずえに、月のなみ越すばかりなり。冬至の第一日に至りて、はたとむ、あたかもげんを断つごとし。
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
半七は無言で高い松のこずえをみあげた。闖入者はこの松を伝って来たものらしくも思われなかった。忍び返しの竹にも損所はなかった。
半七捕物帳:02 石灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
大臣は空間に向いて歎息たんそくをした。夕方の雲がにび色にかすんで、桜の散ったあとのこずえにもこの時はじめて大臣は気づいたくらいである。
源氏物語:36 柏木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
夜はけた。彼女は椎のこずえの上に、むらがった笹葉ささばの上に、そうして、しずかな暗闇に垂れ下った藤蔓ふじづる隙々すきずきに、亡き卑狗ひこ大兄おおえの姿を見た。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
冬木のこずえの方を見ると他と違って少し黒ずんで密生したようなものがある。何であろうかと見ると、それは鳥の巣であったのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
庭はわけなく乗り越されるくらいのかなり低い白壁で囲まれていた。庭の奥の向こうに、彼は一様の間隔を置いた樹木のこずえを認めた。
一疋ばかりはよかろうと庭に穴をほり、その牛を埋めて上に南瓜を播くと、果してぐんぐんと成長して、もうこずえの方は見えなくなる。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ヒューヒュー鳴るは風に吹かれて、木々のこずえが啼くのでもあろう。遥かの山の峰の方から、鋭く吠える獣の声はえた狼の声である。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ひきしぼったつるをぷつんと切って放った。——矢は、崖下の山寺をおおっている木立のこずえを通って、後に四、五葉ひらひら舞わせていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば光りを浴び風にそよぐポプラのこずえを仰いだときに僕の心の中でなにかがゆれるように、僕の心に伝わってくるものがある。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
もし彼等に声があったら、この白日の庚申薔薇は、こずえにかけたヴィオロンがおのずから風に歌うように、鳴りどよんだのに違いなかった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大木のこずえからは雨もっていないのにしずくがぽたりぽたりとれ、風もないのに梢の上の方にはコーッという森の音がこもっていた。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
衣服きものを剥がれたので痩肱やせひじこぶを立てているかきこずえには冷笑あざわらい顔の月が掛かり、青白くえわたッた地面には小枝さえだの影が破隙われめを作る。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
けれども一体どうしたのかあの温和おとなしい穂吉の形が見えませんでした。風が少し出て来ましたのでまつこずえはみなしずかにゆすれました。
二十六夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
わずかに残ったこずえの葉擦れが、寂しさ、なつかしさをささやき交わす様なひそかな音をたてる、あの時のままの茶褐色であるのを見た。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
だが、一たび冬が去り、春が来れば、一陽来復、枯れたとみえた桜のこずえには、いつの間にやら再び綺麗きれいな美しい花をみせています。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
井戸の上にのぞく木のこずえを写して、どんよりとおどんでいるところ、上からのぞいた人は、まさかこんなに浅いとは気がつくまい。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
牡丹屋ぼたんやの裏二階からは、廊下のひさしに近く枝をさし延べているしいこずえが見える。寛斎はその静かな廊下に出て、ひとりで手をもんだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
同じ作者の句に「初雪や桐の葉はまだ落果ず」というのがあるが、これは桐のこずえがまだ幾葉もとどめていることを現したのである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
彼らは朝から日のくれるまで、日のくれから夜の明けるまで、ながいあいだ住みなれたこずえに別れをつげてわるびれもせず土に帰ってゆく。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
すると、ふいに、気持のいい弦音つるおととともに、ひゅッ、と矢羽根の空を切る音がし、庭の樹のこずえあたりで、すさまじい鳥の悲鳴が起こった。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
風がないので竹は鳴らなかったけれども、眠ったように見えるそのささの葉のこずえは、季節相応な蕭索しょうさくの感じを津田に与えるに充分であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
深い谿たにや、遠いはざまが、山国らしい木立の隙間すきまや、風にふるえているこずえの上から望み見られた。客車のなかは一様に闃寂ひっそりしていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
滅びた世界に、あらたに生れて来た AdamアダムEvaエヴァ とのようにこずえを掴む片手に身を支えながら、二人は遠慮なく近寄った。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして傾斜地を埋めた青黒い椴松とどまつ林の、白骨のように雨ざらされたこずえが、雑木林の黄やあか葉間はあいに見え隠れするのだった。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
それに代って、樹々のこずえに、うつくしい若葉がで、高きを放ちはじめた。の光が若葉をとおして、あざやかな緑色の中空をつくる。
二、〇〇〇年戦争 (新字新仮名) / 海野十三(著)
つきすると、木々きぎこずえ青葉あおばつつまれ、えだえだかさなりって、小鳥ことりもりこだまこして、うえはならすくらいに、うたしました。
山田と伊沢は四時ごろになって寺を出た。晩春はるさきの空気がゆるんでもやのような雨雲が、寺の門口かどぐちにある新緑のこずえに垂れさがっていた。
雨夜続志 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
横になったまま庭をながめて秋の日影がだんだんと松のこずえをのぼって次第に消えてゆくのを見ながら、うつらうつらしていた。
まぼろし (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私たちは前にも増して、一心に耳を澄ませましたが、初めに轟々ごうごうと北風をいらかを吹き、森のこずえを揺すっているような伴奏が聞こえてきました。
棚田裁判長の怪死 (新字新仮名) / 橘外男(著)
黄金丸がつけし、まなこの光に恐れけん、その矢もはなたで、あわただしく枝に走り昇り、こずえ伝ひに木隠こがくれて、忽ち姿は見えずなりぬ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
仕方なしに、窓から外を眺めると、汚くこずえに残っている八重桜の花の間から、晩春の空が名残りなく晴れているのが見える。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ただ、こずえはるかの上より降り落つる陰深な鳥の声を聞いて、ここは多分、護られたる霊域の奥であろうとは想像するのです。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お絹の悲しさはおさえがたき愛著あいちゃくに変ってくる。高い杉のこずえから流れてくる月光の下でお絹はぴったりと藤作によりそった。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
ここまで目あてにして来たヤナギの木群れは、そびえたこずえでおんおんとうめいていた。その樹間にある草小屋には案のじょう人の気もなかった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
なよたけ みんな御覧ごらん! ほら! 竹のこずえに、陽炎かげろうがゆらゆら揺れている。……この竹の林は、何でもかでも、お天道様のお恵みで一杯だわ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
近くのカバの樹のこずえの枝さきにブラウン・スラッシャー——赤ツグミと呼ぶのをこのむ人もある——が朝じゅう鳴いている。
引きめぐらした伊豆石いずいしの塀の上に幾株かの夾竹桃がかぶさって、そのこずえを茂らせていた。淡紅色で重弁の花が盛に咲いている。
山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々あおあおと澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとくくれないなる桜のこずえをあざやかにしんいだしぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
あたりはしいんとして、高い木のこずえから月の光りがしたたり落ちているきりでした。お城の中のにぎやかな騒ぎが、遠くかすかにどよめいていました。
お月様の唄 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
木の葉は何時いつか知らぬ間に散ってしまって、こずえはからりとあかるく、細い黒い枝が幾条いくすじとなく空の光の中に高く突立つったっている。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
森のこずえには巨人が帽を脱いで首を出したように赤煉瓦あかれんがの煙筒が見えて、ほそほそと一たび高く静かな空に立ち上った煙は
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
こずえが、一分一寸とじりじりと下るあいだから、まるで夢のなかのようなせたにぶい外光が、ながい縞目しまめをなしてさっと差しこんできたのである。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
昼より風出でてこずえることしきりなり、冬の野は寒きかな、すさあらしのすさまじきかな。人の世を寒しと見て野に立てば、さてはいづれに行かん。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
向うの村のこずえに先ずおとずれて、丘の櫟林、谷の尾花が末、さては己が庭の松と、次第に吹いて来る秋風を指点してんするに好い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
松のこずえにかすかに風が鳴っているのが、雲の音のように遠くきこえる。次郎は相変らず空の一点に眼をこらしていたが
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
そしてサラサラと淡雪をふり落とす松のこずえの上に高く、二三の星が深淵しんえんの底に光る金剛石のように寒くまたたいていた。
ヤア松のこずえが見える。あの松は自分が土手から引て来て爰処ここへ植えたのだから、これも二十二、三年位になるだろう。
初夢 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
円陣の中央にはやぐらがしつらわれ、はじめて運び込まれたという、拡声機からはレコードの音頭歌が鳴りもやまずに繰返されてこずえから梢へこだました。
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)