ほろ)” の例文
老栓はなおも躊躇ちゅうちょしていると、黒い人は提灯を引ッたくってほろを下げ、その中へ饅頭を詰めて老栓の手に渡し、同時に銀貨を引掴ひっつかんで
(新字新仮名) / 魯迅(著)
けれども青いほろを張った、玩具おもちゃよりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
粗末な箱型をしたものに、ほろとはほんの名ばかりの、継ぎはぎだらけのねずみいろの布をおおっただけのものである。馭者台ぎょしゃだいなんぞもない。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
月光を受けて銀のように、自動車のほろは光っている。往来には一人も人がいない。無人の街路をまっしぐらに、自動車は走って行く。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
胴中には青竹をりて曲げて環にしたるを幾処いくところにか入れて、竹の両はしには屈竟くっきょう壮佼わかものゐて、支へて、ふくらかにほろをあげをり候。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
兎も角も変装を済ませた私は、異形いぎょう風体ふうていを人力車のほろに隠して、午後八時という指定に間に合うように、秘密の集会場へと出かけました。
覆面の舞踏者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
遠くけたたましい車輪の音がするので振り返って見ると、目黒の方からほろをかけた人力車が十台ばかり、勢いよく駆けて来る。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
余は寝ながらほろを打つ雨の音を聞いた。そうして、御者台ぎょしゃだいと幌の間に見える窮屈な空間から、大きな岩や、松や、水の断片をありがたく拝した。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほろをうしろへ落としたらどうです。そうして、こうやって始終人力車に乗って私につきまとうのは、いったいどういうわけだか話してください」
いずれも、ほろが被せられていて、顔は見えない。幌の小さいセルロイド窓から、金五郎の白い繃帯だけがちらちらした。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
其処そこへ美術学校の方から車が二台ほろをかけたのが出て来たがこれもそこへ止って何か云うている様子であったがやがてまた勧工場かんこうばの方へ引いて行った。
根岸庵を訪う記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と云いもおわらぬうちに山勘横町やまかんよこちょうの角から一台の速力の早いらしいほろ自動車が出て来て私達の前でグーッと止まった。先刻さっきの軍艦色のパッカードである。
暗黒公使 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
はばかるように車の内外うちそとから声がかわされた。ほろにのしかかって来る風に抵抗しながら車はやみの中を動き出した。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ほろをかけていない車の上は寒いので、わたしは両袖をかきあわせながら俯向うつむきがちにゆられて行った。わたしはこの年の四月に父をうしなったのである。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
暗い外で客と話している俥夫しゃふの大きな声がした。間もなく、門口かどぐちの葉がくるまほろで揺り動かされた。俥夫の持った舵棒かじぼうが玄関の石の上へ降ろされた。
赤い着物 (新字新仮名) / 横光利一(著)
四人乗りだが、きょうだけは六人満載して、ほろのうえに女がふたりずつ腰かけてる。一行正式の西班牙スペイン装束だ。
生糸を積んだほろ荷馬車の前を横ぎっても、誰も、そのすがたを、特に、不生産的冷蔑れいべつな眼で、見るものはない。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほろねた笹村の腕車くるまが、泥濘ぬかるみの深い町の入口を行き悩んでいた。空には暗く雨雲が垂れ下って、屋並みの低い町筋には、湯帰りの職人の姿などが見られた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
椋島むくじま技師は大臣のさし廻してくれたほろふかい自動車の中に身をげこむと、始めて晴々しい笑顔をつくった。
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そとは雨がぽつぽつ降っていて、ひどい暗さで、ただパンテレイモンのしわがれた咳をたよりに、馬車のありかの見当がつくほどだった。そこで馬車にほろをかけた。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
日のあたった往来には、お房の遊友達が立留って、ささやき合ったり、ながめたりしていた。黒いほろを掛けて静かに引いて来た車は、その娘達の見ている前で停った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わたし北海道ほくかいだうつても、れにもつたひとはふとはおもひませんわ。わたしはたゞそつと自分じぶんまへのこした足跡あしあとを、くるまほろあひだからでもてくれゝばいゝんですもの。
追憶 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
あのときにはおくみは生みの母にでも別れて出るやうに悲しくて、ほろの中でおろ/\と泣いて行つた。
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
深々とほろをかけた車の中で、帰路を急がせる切ない思いをして、母はしっかり幼児を抱えている。花火見物の最中に天候が一変してひどい雷雨となったからである。
小畑信二は薄暗いトラックのほろのなかで、あとへあとへと動く風景を見ていた。黒みをおびた沿道の松の枝が、ゆったりと波うつように揺れながら急速に小さくなる。
その一年 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
その後に、二臺のほろをはねた馬車が續いてゐた。ひら/\と飜る面紗ヴェールや搖れ動く帽子の羽毛うまうなどがその乘物に一杯だつた。騎手きしゆの中二人は若い元氣のよさゝうな紳士だつた。
しめっぽい匂いのするほろの上へ、ぱらぱらと雨の注ぐ音がする。疑いもなく私の隣りには女が一人乗って居る。お白粉しろいの薫りと暖かい体温が、幌の中へ蒸すようにこもっていた。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
相乗りのほろかけ車に姿をつつみて、開きたる門を真直に入りて玄関におろしければ、ぬしは男とも女とも人には見えじと思ひしげなれど、乗りゐたるは三十ばかりの気のきし女中風と
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
どうやら雨がやってきそうだが、なにかまいませんよ、ほろをおろしますからな……
婆「うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車をあつらえなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、ほろの漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ほろの中で聞いている京都の春雨の音は静かであったが、それでも賑やかな通に出ると俥のわだちの音が騒々しく行きまじってやわらかみのある京都言葉も、あわただしげに強く響いて来るのであった。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
予は持て居た双眼鏡そうがんきょうかざした。前なるかしほろの内は、丸髷に結って真白まっしろに塗った美しい若い婦人である。後の車には、乳母うばらしいのが友禅ゆうぜんの美しい着物に包まれた女の児をいて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
暗いほろのなかの乗客の眼がみな一様に前方を見詰めている事や、泥除け、それからステップの上へまで溢れた荷物を麻繩が車体へ縛りつけている恰好や——そんな一種の物ものしい特徴で
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
雨の小息こやみもなく降りしきる響を、狭苦しい人力車のほろの中に聞きすましながら、咫尺しせきを弁ぜぬ暗夜の道を行く時の情懐を述べた一章も、また『お菊さん』の書中最もしょうすべきものであろう。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それから半衿はんえりのかかった着物を着た、お茶屋のねえさんらしいのが、なにか近所へ用たしにでも出たのか、小走りにすれ違った。まだほろをかけたままの人力車が一台あとから駈け抜けて行った。
普請中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
下ろしたほろのセルロイドの窓から十一月の鈍い午後の日光のうちに、よどんだように立ち並んでいる、屋根の低い朽ちかけているような建物を見たときに、それが名高い色街であるというだけに
島原心中 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私はほろうちに小さくなっていますと、車夫くるまやはぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、饅頭笠まんじゅうがさをかぶってしわだらけの桐油合羽とうゆがっぱをきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
芸者が黒い人力車に乗って私を追い越す。うすいほろの中でふりかえる。
めくら草紙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
側欄がついてほろがない広い荷車で、四つの車輪と六頭の馬とを持っており、鉄のかまや鋳物のなべ鉄火鉢てつひばちや鉄鎖など音のする荷物を積んで、中には病人らしい数人の男が縛られたまま長く寝ていた。
馬車のほろの下の二人に湿気がみ通ってきた。二人はたがいにひしと寄り添って黙っていた。ほとんど顔をも見合わさなかった。昼とも夜ともつかない妙な薄ら明かりに、二人は包み込まれていた。
と、不意に目の前の菊坂を、金色の造花や、銀色の造花を持つた人足が通つて行くのが見えた。続いてあとから、普通の花を持つた葬儀社の人足や、ほろをかけたくるまなどが幾つも幾つも通つて来たのだ。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
うれしくてうれしくてはなきにけりほろををろせといひにけるかな
小熊秀雄全集-01:短歌集 (新字旧仮名) / 小熊秀雄(著)
瘠馬にひかれたその馬車は黒いほろからしずくをたらしながら
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
風を含みふくれる体をほろとでも讃えたのでなかろうか。
にかがやける枯草の野をほろなき馬車に乗りて
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
ほろをかけた車はしずかに街道をきしって行った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ほろ馬車となるとそうは行かない。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
何ともこたえるものがない。車は千筋ちすじの雨を、黒いほろはじいて一散に飛んで来る。クレオパトラのいかり布団ふとんの上でおどり上る。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
くるまほろふかくしたが、あめそゝいで、鬱陶うつたうしくはない。兩側りやうがはたか屋並やなみつたとおもふと、立迎たちむかふるやまかげみどりめて、とともにうごいてく。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
その時庭木の若葉の間に二つの車のほろが見えた。幌は垣の上にゆらめきながら、たちまち目の前を通り過ぎた。
子供の病気:一游亭に (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)