小夜さよ)” の例文
鉄砲口の袷半纏あわせばんてん唐縮緬とうちりめんのおこそ頭巾を冠った少女が、庭の塵っ葉を下駄に蹴分けわけて這入って来た。それはこの家の娘お小夜さよであった。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
しかもその際私の記憶へあざやかに生き返って来たものは、当時の私が妻の小夜さよを内心憎んでいたと云う、いまわしい事実でございます。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あまとぶかり小夜さよの枕におとづるるを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、あかつきの千鳥の洲崎すさきにさわぐも、心をくだくたねとなる。
「自害したのはお小夜さよといってな。三年前に死んだ時は十八だった。両親には過分のお手当を下すったはずだ。下谷したやで安楽に暮しているよ」
上のお小夜さよかえでのやうなさびしさのなかに、どこかなまめかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
ふと、こんな小夜さよのあらしは過ぎたものの、覚一は何か索然さくぜんとしたここちで、もう琵琶を取りあげる気にもなれないでいた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
色白く、傾く月の影に生れて小夜さよと云う。母なきを、つづまやかに暮らす親一人子一人の京の住居すまいに、盂蘭盆うらぼん灯籠とうろうを掛けてより五遍になる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その金谷の宿から少しはなれたところに、日坂峠というのがあって、それから例の小夜さよ中山なかやまに続いているんですが、峠のふもとに一軒の休み茶屋がありました。
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小夜さよ嵐』三に、ぶたのもしき坊主とあるは頼みにならぬ坊主で豕に関係なし。僧と豕について次の珍談あり。
菊川の家並やなみ外れから右に入って小夜さよの中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山むげんざんこと倶利くりだけの中腹に、無間山むげんざん井遷寺せいせんじという梵刹おてらがある。
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
小夜さよ中山なかやまというからには彼方むこうも山に相違ない。この次に予定を拵える時には山という字のつくところは一切抜きにしてやる。毎日こうじゃ生命が続かない」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
長割下水のあたり、しんしんと小夜さよふけて、江戸の名物木枯もどうやら少し鎮まったらしい気勢けはいでした。
小夜さよが最後にこう云ったが、これはもっともの希望のぞみというので小町はお小夜が取ることになった。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
わたくしは胸の底がうずくような、なま温いような、こそばゆいような、……小夜さよふけに寝床の中で耳を澄ましますと、わたくしの鼓動が優しくコトコトと鳴るのでございまス。
背子せこ大和やまとると小夜さよけてあかときつゆにわがれし 〔巻二・一〇五〕 大伯皇女
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
小夜さよけてから降り出した小雨こさめのまた何時いつか知らんでしまった翌朝あくるあさ、空は初めていかにも秋らしくどんよりと掻曇かきくもり、れた小庭の植込からはさわやかな涼風が動いて来るのに
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ひとしきり、その小夜さよあらしが走って、ピタとやんだのちは、まるで海底のような静かさだ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「東海道の小夜さよの中山では、はらみ子の母の遊魂が、夜な夜なあめを買いに出たという、それが思い出される。ただし、いま現にやつがれが見たのは、遊魂にしてはいかめしい」
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
よく愛誦したものであるが「旅館の燈幽にして、鶏鳴暁を催せば、匹馬風に嘶いて、天竜川をうち渡り、小夜さよの中山越え行けば、白雲路を埋み来て、そことも知らぬ夕暮に……」
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
卯月うづきのすえ、ようようきょうの旅泊りは駿河するがの国、島田の宿と、いそぎ掛川かけがわを立ち、小夜さよの中山にさしかかった頃から豪雨となって途中の菊川も氾濫はんらんし濁流は橋をゆるがし道を越え
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
やすらはで寝なましものを小夜さよふけてかたぶくまでの月をみしかな、は実に好い歌であるが、あれも右衛門自身の情から出た歌では無くて、人に代って其時の情状を写実に詠んだものである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
吾背子わがせこをやまとへやると小夜さよふけて鶏鳴あかとき露にわれ立ちれし (巻二)
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「お小夜さよも波止場まで正坊を負ぶつて送りに行つてまだ戻らんがな。」
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
ともこゝろがうにして、小夜さよほたるひかりあかるく、うめ切株きりかぶなめらかなる青苔せいたいつゆてらして、えて、背戸せどやぶにさら/\とものの歩行ある氣勢けはひするをもおそれねど、われあめなやみしとき朽木くちきゆる
森の紫陽花 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
小夜さよふけてほかに人こそ音すなれいづこの闇を行けるなるらむ
雲母集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
そう云っている時、小間使いのお小夜さよふすまを開けた。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
初蝉を独りききたる獄の小夜さよ久々の雨通り降りたり
遺愛集:02 遺愛集 (新字新仮名) / 島秋人(著)
負けず小夜さよ福子の写真を私もにらみ上げる。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
から/\と鳴り居る小夜さよのいねこぎ機
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
なぎたる海の如き小夜さよなか。
かの日の歌【二】 (新字旧仮名) / 漢那浪笛(著)
守りて靜かに小夜さよまし。
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
また更に小夜さよをおどろき
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
小夜さよには小夜のしらべあり
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「おい、お小夜さよ
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
同時にまた私の進まなかった理由のうしろには、去る者は日にうとしで、以前ほど悲しい記憶はなかったまでも、私自身打ち殺した小夜さよの面影が
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
先代の旦那が若い時、小夜さよの中山で山賊の手に陷ちて難儀してゐるところを、私の親父に助けられたとかいふ話で、大層恩に着てゐましたよ。
拝啓柳暗花明りゅうあんかめいの好時節と相成候処いよいよ御壮健奉賀がしたてまつりそうろう。小生も不相変あいかわらず頑強がんきょう小夜さよも息災に候えば、乍憚はばかりながら御休神可被下くださるべくそうろう
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は、それを見て、どういふわけか「命なりけり小夜さよの中山——」といふ西行の歌の句が胸に浮んでしやうがない。
蔦の門 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
さてさて、人間の吉凶はわからぬものじゃて。——お小夜さよも、あの大変以来、噂のみして、案じて居ったところじゃ
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日坂は金谷と掛川とのあいだ宿しゅくで、承久しょうきゅう宗行卿むねゆききょうや、元弘げんこう俊基卿としもときょうで名高い菊川きくがわさとや、色々の人たちの紀行や和歌で名高い小夜さよ中山なかやまなどは、みなこの日坂附近にある。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
「山武士態のが、小夜さよ更けの段畑で、鋤を振っていたというのだな。それでわかった」
うすゆき抄 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
あがた赤魚あかえ月丸つきまるさば小次郎こじろう、お小夜さよの六人である。お小夜だけが女である。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
小夜さよ更けぬ。町てぬ。どことしもなく虚空おおぞらに笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿あおく、影を濃く立って謡うと、月が棟高くひさしを照らして、かれおもてに、扇のような光を投げた。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
澄みとほる小夜さよ雉子きゞすのこゑきけば霜こごるらし笹の葉むらに
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「お小夜さよや、トーストを持って来ておくれ」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
小夜さよには小夜のしらべあり
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
再婚の話を私に持ち出したのは、小夜さよ親許おやもとになっていた校長で、これが純粋に私のためを計った結果だと申す事は私にもよく呑み込めました。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
考へたもので、差當り人身御供ごくうに上がつたのは、近頃熱くなつて通つて居る、深川の踊り子、辰巳で一番と言はれた、美乃屋のお小夜さよといふですよ
そのおなじ日の落ちゆく陽脚ひあしをいそいで、まだ逆川さかさがわ夕照ゆうでりのあかあかと反映はんえいしていたころ、小夜さよ中山なかやま日坂にっさかきゅうをさか落としに、松並木まつなみきのつづく掛川かけがわから袋井ふくろい宿しゅくへと
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠江国とおとうみのくに日坂にっさか宿しゅくに近い小夜さよ中山街道なかやまかいどう茶店ちゃみせへ、ひとりの女があめを買ひに来た。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)