こら)” の例文
いったい、おまえは私に似て情熱家肌の純情屋さんなのに、よくも、そこをこらえて、現実に生きる歩調に性情をきたえ直そうとした。
巴里のむす子へ (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
大へん悔悟かいごしたような顔はしていましたが何だかどこかき出したいのをこらえていたようにも見えました。しょんぼりだんに登って来て
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
追かけてちのめそうか、と思ったが、やっとこらえた。彼は此後仙さんをにくんだ。其後一二度来たきり、此二三年は頓斗とんと姿すがたを見せぬ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あとは涙に物云わせ、しばし文治の顔を見詰めて居りますと、文治もこらえ兼て熱い涙を流しながら、お町の手を握って引寄せますると
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そしてその眼は子供によって仕方がなく湧き出たゑみこらへながら、子供をさゝへて、その小さな赤い口に僅の食物を入れてやった。
晩餐 (新字新仮名) / 素木しづ(著)
呼吸いきを詰めて、うむとこらえて凍着こごえつくが、古家ふるいえすすにむせると、時々遣切やりきれなくなって、ひそめたくしゃめ、ハッと噴出ふきだしそうで不気味な真夜中。
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さて、兵隊さんの原稿の話であるが、私は、てれくさいのをこらえて、編輯者へんしゅうしゃにお願いする。ときたま、載せてもらえることがある。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
ようやくにこらえてソーッと目を見開いた時、濃茶色の洋服にめっきり老いた三遊亭圓遊も、しきりにハンケチで目頭を拭いていた。
随筆 寄席風俗 (新字新仮名) / 正岡容(著)
相變らず笑の外には表情を知らない相手だから、噴出すのをこらへてゐるやうな顏付ではあるが、あまり意外な返事に三田も驚いた。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
山野夫人は、フラフラと身体がくずれ相になるのをやっとこらえた。そして大きな目で明智をにらむ様にして、どもりながらいった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
聴水は可笑おかしさをこらえて、「あわただし何事ぞや。おもての色も常ならぬに……物にや追はれ給ひたる」ト、といかくれば。黒衣は初めて太息といき
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
知って今までこらえていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だから先生が教室へはいると同時に、期せずして笑をこらえる声が、そこここの隅から起ったのは、もとより不思議でも何でもない。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
おまっちゃんは糸で編んだ網に入れてある、薄い硝子ガラスの金魚入れから水がって廻るように、丸い大きな眼に涙を一ぱいためこらえていた。
彼女はホントに体の具合が悪かったのだ、気分の悪いのをこらえているのが、狂った僕にはよそよそしくとしか写らなかったのだ。
性の悩みにこらえきれないでいることだけは明らかな事実で、その関を突破さえすれば、洪水のように流れ出して来るのだという。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
成吉思汗ジンギスカン (追おうとするのをぐっとこらえているが、必らず戸口まで走って)合爾合カルカ! 達者で暮らせ。札木合ジャムカによろしくとな。
種々いろんなことが逆上こみあがって、咽喉の奥ではむせぶような気がするのをじっこらえながら、表面うわべは陽気に面白可笑く、二人のいる前で、さっき言った
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
お客は可笑をかしさが一杯なのを、奥歯でじつとこらへながら、ともかくも英語で返事をした。すると、女史の機嫌が急によくなつて来た。
今日きょうの日のためばっかりに、どんなことでも、こらえて来たとじゃないですか。これまで、堪えきれんようなことも、随分あった。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
彼等は云ひたいことをこらえるといふ必要もなかつた。思つたこと感じたことは何時もその場その場で喧嘩のやうに口外してしまふのである。
円卓子での話 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
爺さんはそこまで話して来ると、目を屡瞬しばたたいて、泣づらをかきそうな顔を、じっと押こらえているらしく、皺の多い筋肉が、微かに動いていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
じっとこらえている涙のため、息をはずませながら、怨みに燃えた美しい瞳を彼のほうへきらりと投げかけて、リーザは言った。
例の気象で、伯父はそれを、目をつぶってじっとこらえようとするのである。時として、こらえに堪えた気力の隙から、かすかなうめきが洩れる。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
其痛みをこらえて我生血いきちに指を染め其上にて字を書くとは一通りの事にあらず、充分に顔を蹙め充分にそうくずさん、それのみか名を書くからには
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
今まではしばらくこらえていたが、もはや包むに包みきれずたちまちそこへ泣きして、平太がいう物語を聞き入れる体もない。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
何を云っても黙って居られる。自分も妻の右衛門同様、相手にされずに黙過されるに至っては匡衡もこらえきれなくなったろう。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
痛みの残りをじっとこらえて、彼女は、その場の人々に笑いかけ、短い言葉で安心させ、それから、優しく、にんじんにいう——
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
時間は何時なんじだか、はとうていまだ明けそうにしない。腕組をして立って考えていると、足の甲がまたむずむずする。自分はこらえ切れずに
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
立ち上った勝平は、フラ/\とよろめいてやっと踏みこらえた。彼はそのすさまじい眸を、真中に据えながら、瑠璃子の方へジリ/\と迫って来た。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
最後の抽出ひきだしには来月生れると云ふ小児こどもの紅木綿の着物や襁褓むつきが幾枚か出て来た。次の間から眺めて居た美奈子はこらへ兼ねてわつと泣き伏した。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
さして立去たりあとに殘りし男はなほ内の樣子をうかゞひ居る故旅僧たびそうは見付られなば殺されもやせんといきこらへて車のかげかゞみ居る中此方の板塀いたべいの戸を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
長時間そこに立ち盡し、あれこれと氣を使ひ、最後に金を受け取る頃には、彼等は何となくこらしやうをなくして了つてゐた。
続生活の探求 (旧字旧仮名) / 島木健作(著)
伯母リジイがぷんぷんしてさっそく帰り支度をはじめたとき、部屋のあちこちから友達の眼がのぞいて、そして、いちように笑いをこらえていた。
字で書いた漫画 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
もはやこらえられんで二郎は泣出そうとした時に、先刻さっきのみすぼらしい乞食が現われて、私がおうちつれて行ってあげましょう。
迷い路 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「おのれらは、そのうちにとばかりぬかしおるが、おれをば、ふぐり玉の下敷にして殺す気かのう。うちゃもう、この上はこらえてつかわさぬぞ」
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
じーっとそれを口の中でこらえていても、次第に、それはどうしても堪えきれなくなって来た。彼女はとうとう真赤になってふき出してしまった。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
その翌日から、妻は年中こらえに堪えていたヒステリが出て、病床の人となった。乳飲み児はその母の乳が飲めなくなった。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふにつゞれ單衣ひとへすそ短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだもこらゆべし二人の子供を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
悲哀の念急に迫りて、同志の手前これまでこらえに堪え来りたる望郷の涙は、宛然さながらせきを破りたらんが如く、われながらしばしは顔も得上げざりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
水野がこらえ堪えし涙ここに至りて玉のごとく手紙の上に落ちたのを見て、く方でもじっとこらえていたのが、あだかも電気に打たれたかのように
遺言 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ひとりずっと、心の中のかなしみにこらえているのが、彼の性でした。ジェハンじいさんは、よく彼に言い聞かせました。
ふものアンドレイ、エヒミチはこらこらへて、我慢がまんをしてゐたのであるが、三日目かめにはもう如何どうにもこられず。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
マリユスはそれを見てもはやこらえることができなかった。「お父さん、許して下さい、」と彼は心に念じて、指先で、ピストルの引き金を探った。
此子これため、我が為、不自由あらせじ、憂き事のなかれ、少しは余裕もあれかしとて、朝は人より早く起き、はこの通り更けての霜に寒さをこらへて
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
真面目な、しずかな顔付で、色艶が余り好くなくって。口は何事もこらえて黙っているという風な、美しい口なのね。額と目とには気高い処がありますね。
負傷の身をこらえてどうやら此の場所まで来たところを、自制のない群衆のため、無残にも踏み殺されたものであって、弦三は死んだが、その願いは
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
とうとうこらえきれなくなって、わたくしはいつしか切株きりかぶからはなれ、あたかも磁石じしゃくかれる鉄片てつきれのように、一良人おっとほうへとちかづいたのでございます……。
娘の丸い肩が、こらへ性もなく顫へるのを、お靜は後ろからソツト抱き締めるやうに、手拭で涙を拭いてやりました。
しみじみとした感傷に囚われようとするのを、周平はじっとこらえた。顔を上げると、保子の清いあらわな眼はちらと瞬いて、長い睫毛の奥に潜んでしまった。
反抗 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)