ともしび)” の例文
旧字:
 千仭せんじんがけかさねた、漆のような波の間を、かすかあおともしびに照らされて、白馬の背に手綱たづなしたは、この度迎え取るおもいものなんです。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、部屋内のともしびが、一時に光を失ったかのように、四辺朦朧もうろうと小暗くなり、捧げられた深紅の纐纈ばかりが虹のように燦然と輝いた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
灯台のともしびは、廻転する度に、その幅の広い、大きい、長い光芒を夜のくらやみに曳いて行つた。海は真闇で、船の灯らしい灯も見えなかつた。
波の音 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
と子供の声も黄昏たそがれて水底みなそこのように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラとともしびがともるとどこかで三味線の音がかすかに聞え出した。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
やがて龍太郎は、おいのなかから取りのけておいた一体の仏像ぶつぞうを、部屋へやのすみへおいた。そして燭台しょくだいともしびをその上へ横倒しにのせかける。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この神秘的な事件の閉幕を、僕はこういうケルネルの詩で飾りたいのですがね。色は黄なる秋、夜のともしびを過ぎればあかき春の花とならん——
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
帆村の命は、乱暴者のトラ十の前に、今や風前のともしび同様である。彼の命と、貴重なX塗料とが同時に失われそうになってきた。
爆薬の花籠 (新字新仮名) / 海野十三(著)
下流の方はまだ明るいが、山の方からは段々だんだんにくらくなって来て、町の家の窓や戸には早やともしびがきらめいてくるのでした。
不思議な魚 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
外へ出ようと思って豊雄の閨房ねやの前を通りながら見ると、豊雄の枕頭まくらもとに置いた太刀が消えのこりともしびにきらきらと光っていた。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかしこのたびは、主上も都を捨てて、西国へお下りになるという重大な事態、一門の運命も今や風前のともしびでございます。
はる彼方かなたに、ともしびまたたいて、私の方はこの村道に沿ってさえ行けば、やがて教えられた村の宿屋にも行き着くでしょう。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
まだ、そとそらは、幾分いくぶんあかるかったけれど、いえうちは、ともしびをつけると、けたごとく、しんとしました。このときトン、トン、とをたたくおとがしました。
とうげの茶屋 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし両側の人家ではまだともしび一つともさぬので、人通りは真黒まっくろな影の動くばかり、その間をば棒片ぼうちぎれなぞ持って悪戯盛いたずらざかりの子供が目まぐるしく遊びまわっている。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
フランシスとその伴侶なかまとの礼拝所なるポルチウンクウラの小龕しょうがんともしびが遙か下の方に見え始める坂の突角に炬火たいまつを持った四人の教友がクララを待ち受けていた。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
片頬の痣はともしびに背いて、半十郎の方から見えるのは、トロリと渦巻く片靨と、水のように澄んだ左の眼だけ、何んとなくそれは、高貴にさえ見える美しさです。
江戸の火術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
ぼんやりと立って街のともしびみつめていると、たまらなく男に会いたくなった。もう恋人とはいえぬ男に会いたくなった。そこで私は、近くの自動電話へ駈け込んだ。
この、ともしびのつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場ガル・ドュ・クウなりサンラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような君のときめき、それほど溌剌はつらつたる愉悦はほかにあり得まい。
アロアをよろこばせるための、紙でこしらえた提灯にはともしびがつき、いろいろなおもちゃや、目のさめるような絵紙につつんだおいしいお菓子が一ぱい並んでいます。
純真な小学児童の行為は、荒みきつた民衆の心のともしびだ。芝居でも、子供が出ると、われわれは泣かされる。あの呼吸を忘れてはならない。あ、もう、集つたか。では……。
風俗時評 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
この海の上は、今にもわれわれの命を奪おうとするほどれ、わめいている。そして、われわれの家は宙天から地底じぞこへまで揺れころぶ。そこには火もなく、ともしびさえもない。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
動かざる永遠のともしび——その中のあるものは、この小さな地球から非常に遠く隔っているので
昨夕ゆうべは汽車の音にくるまって寝た。十時過ぎには、馬のひづめと鈴の響に送られて、暗いなかを夢のようにけた。その時美しいともしびの影が、点々として何百となくひとみの上を往来おうらいした。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
チャンと自分に説をめてあるから、男女夜行くときはともしびを照らすとか、物を受授するに手より手にせずとか、アンなふるめかしい教訓は、私の眼から見るとただ可笑おかしいばかり。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
とぼそ落ちては月常住じやうぢゆうともしびかかぐ——と、云ふところを書くところが、書いてありました。
一人の無名作家 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
城は次第にともしびを消していつた。誰もみな心が重たかつた。或者は疲れ、或者は戀ひし、或者は醉ひ痴れてゐた。長い、空しい幾夜かの野營の後の、寢臺。ゆつたりとした樫の寢臺。
私は大声で、夕暮の、潤んだともしび這入はいった霧の街の中をそう呶鳴どなって廻りたかった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
燭台のともしびと彼女の姿との間に大きな影があつて戸口は薄くらがりになつて居た。その影になつて居た老人が少しく体をねぢつた。明りは何ものの遮りもなく彼女の横顔に光をさしつけた。
夜烏 (新字旧仮名) / 平出修(著)
載せた板屋根——岡の上にもあり谷の底にもあるともしび——ひなびた旅舎やどやの二階から
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
もっと詳しく説くならばともしびの火にも、細かな段階があり且つ急激な変遷がある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
北口の将兵が全滅するのはもう時間の問題である。そして南口の大隊の運命も風前ふうぜんともしびにひとしい。それは誰しも予感していることである。それにも拘らずなお原隊に止まろうとするのは何か。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
消えかゝるともしびのやうに、瑠璃子の命は、絶えんとして、又続いた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
彼は、赤黄いろいともしびが点の様になってもまだそこに立っていた。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
雛店にともしびあかくつきにけりはろばろし桑の枯野越え来し
海阪 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
みすずかる信濃の国に足たゆくともしびのもとにぬかを煮にけり
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
人麻呂の御像みかたのまへに机すゑともしびかかげ御酒みきそなへおく
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
中殿 ともしび えんとす 竹のうちの声。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
風の夜のともしびうつる水溜みずたまり
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
有明ありあけともしびを見る。
展望 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
一昨日おとついばんよいの口に、その松のうらおもてに、ちらちらともしびえたのを、海浜かいひんの別荘で花火をくのだといい、いや狐火きつねびだともいった。
星あかり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大きな切倒した木の傍に熱心に鋤を執つて働いてゐる老農の姿を載せて、車は夕暮のともしびのチラチラする街を一散に走つて行つた。
百日紅 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
うすぐらいともしびのそばに、ひとりの男が、あけにそまった老婆ろうば死骸しがいを抱きしめたまま、よよと、男泣きに泣いているのであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが支倉君、あの夜最後に僕が伸子に云った——色は黄なる秋、夜のともしびを過ぎれば紅き春の花とならん——というケルネルの詩にあるんだよ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「花を踏んで等しく惜しむ少年の春。ともしびそむいて共に憐れむ深夜の月。……ああ夜桜はよいものだ」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その窓のすぐきわから斜下ななめしたにつき出た屋根、彼はその屋根によじのぼって、しずかに窓をたたくと、中で小さなともしびがつきました。アロアは窓をあけてびっくりしました。
ただ二つの瞳だけが、明らかに青春の光をたたえて、二台のともしびのように、キラキラと光ります。
「赤毛のゴリラ」の顔は見る見る土のように色褪いろあせていった。ああ生命は風前のともしびである。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
が、それがもし夜なら、闇黒とともしびに美化された都会が素顔を包んで君をむかえる。そして、そこにあるのは浪漫の世界だけだ。あくる朝ホテルの窓をあけてほんとの町を発見する。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ちょうどきりのかかったみなとあつまったふねともしびのように、もしくは、地平線ちへいせんちかそらにまかれたぬかぼしのように、あおいろのもあれば、あかいろのもあり、なかには真新まあたらしい緑色みどりいろのもありました。
縛られたあひる (新字新仮名) / 小川未明(著)
鎧戸よろいどを降ろしてともしびを消してもはやまったく沈々たる闇の中に眠っていたのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
彼女は蒼白あおじろい頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方にともしびけたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)