濛々もうもう)” の例文
濛々もうもうとこめる戦雲と朝霧に明けて、夜もすがら戦い通した籠城の兵に、ふたたび飢餓きがと、炎暑と、重い疲労が思い出された朝の一瞬ひととき
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
色のない焔はまたたく内に、濛々もうもうと黒煙を挙げ始めた。と同時にその煙の下から、茨や小篠をざさの焼ける音が、けたたましく耳をはじき出した。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
正午近い銭湯はすいていた。ただ濛々もうもうと湯気のめた湯槽ゆぶねに腰かけて坊主頭の若造と白髪の老人とが、何かしきりに饒舌しゃべりあっている。
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
あたりの岩の狭間からは白烟が濛々もうもうと噴き上げ、其間から奥不帰おくかえらず岳や白馬岳の連峰が隠見する。湯のある所は海抜千七百米に近い。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
濛々もうもうと天地をとざ秋雨しゅううを突き抜いて、百里の底から沸きのぼる濃いものがうずき、渦を捲いて、幾百トンの量とも知れず立ち上がる。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
患者が顔を差寄すれば、綿なす湯気は口にみなぎり、頬をおおい、肩を包み、背にひろがり、腰にまとうて、やがて濛々もうもうとしてただ白気となる。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
濛々もうもうたる砂塵を捲き立てて走りすぎるバスの窓から首だけ出して言葉を投げてよこしたのは、隣り部落のひとりの朋輩であった。
錦紗 (新字新仮名) / 犬田卯(著)
やがて、淫書の扉がひらくと、濛々もうもうとした紫煙のなかの客間サルーンから、現実の微細デリケートな享楽地帯が眼前にパノラマのようにあらわれた。
大阪万華鏡 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
街道の砂煙りを、パッと一時に、濛々もうもうと立ち昇らせて、果せるかな、立派な幌型ほろがた自動車が、二台も続いて、家の前を通りすぎた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
大きな花弁はなびらの形にい上げられた夥しい髪毛かみのけが、雲のように濛々もうもうと重なり合っている……そのびんの恰好から、生え際のホツレ具合までも
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ああ云う大切な、一筆は、前もって考えられて居たか、右の巻雲を、濃く重く濛々もうもうと描いたなごりの力が、さっと一筆彼の処をかすったか。
濛々もうもうと煙る砂塵さじんのむこうに青い空間が見え、つづいてその空間の数が増えた。壁の脱落したところや、思いがけない方向から明りがして来る。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
薄暗くて立ちめた湯気の濛々もうもうたる中で、「旭川は数年にして屹度札幌を凌駕りようがする様になるよ」と気焔を吐いて居る男がある。
雪中行:小樽より釧路まで (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ただ、河口にならんだ蒸汽船の林立する煙突えんとつから、けむりが、濛々もうもうと、夕焼け空を暗くしていたのを、なんとなくおぼえています。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
岩角に隠れた河岸かしの紅葉も残り少なく、千樫ちがしと予とふたりは霜深き岨路そばみちを急いだ。顧みると温泉の外湯の煙は濛々もうもうと軒を包んでたちのぼってる。
白菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そういえば、密林のはずれにあるマヌイエマの部落で、“Kungoクンゴー”といっている蚊蚋かぶゆの大群が、まさにクンゴーのごとく濛々もうもうと立ちこめている。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
天地寥廓りょうかく、しかも足もとではすさまじい響きをして白煙濛々もうもうと立ちのぼりまっすぐに空をき急に折れて高嶽たかたけかすめ天の一方に消えてしまう。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
れ乾いた木の葉に火がいたのである。濛々もうもうたる黒煙のその中からほのおの舌がひらめいて見え嵐にあおられて次第次第に火勢はふもとの方へ流れて来る。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
窓の向うには、なおも、魔物のような濃霧が、濛々もうもうと、何かしら不可思議なものとともに、流れて行くようでございます。
両面競牡丹 (新字新仮名) / 酒井嘉七(著)
平野氏が傲然と云放いいはなった時だった。——庭へ出るドアが突然外から押明おしあけられて、濛々もうもうたる霧と共に京太郎が飛込んで来た。
天狗岩の殺人魔 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
谷間という谷間には濛々もうもうたる霧がたちこめていた。そして、悪霊のように、安息を求めて得られずに、寄るべなく丘の上へさまよい上っていた。
翼のように、舌のように、逆にくしけずる女頭のように、火は焔になり、焔は幾条の筋をよって濛々もうもうとした黒煙に交り、森から前後左右に吐き出された。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
硫化水素の臭いが四辺をこめ、山や丘陵や、赤松や、濛々もうもうたる蒸気の間から、ふきなびく風のまにまに隠見する趣きは、一種の地獄風景観を形作る。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
正にこれ、はてしも知らぬ失恋の沙漠さばくは、濛々もうもうたる眼前に、うるはしき一望のミレエジは清絶の光を放ちて、はなはゆたかに、甚だあきらかに浮びたりと謂はざらん
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
豪雨と激流とでその辺が濛々もうもうと煙ってもいたし、それに何よりも気が顛倒てんとうしていたので、ちょっとの間板倉であることに心付かなかったのであった。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かつてそれはスチームの黒煙を濛々もうもうと吐きながら、白いキリンの首のように、優美に周囲を見下ろしつつ大空に鮮やかに直立していたというのに。……
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
多の市は覚束おぼつかなくも言い切ります。その間にも、修験者の道尊坊は、護摩の煙を濛々もうもうとなびかせながら、揉みに揉んで何やら祈り続けているのでした。
およそ五十メートルほどの幅の滝が、直下三十メートルほどの所に深淵しんえんをたたえた滝壺たきつぼに、濛々もうもうと、霧のような飛沫ひまつをあげて、落下しているのだった。
秘境の日輪旗 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
私は懐古園かいこえんの松に掛った雪が、時々くずれ落ちるたびに、濛々もうもうとした白いけむりを揚げるのを見た。谷底にある竹の林が皆な草のようにて了ったのをも見た。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
濛々もうもうたる灰煙の降りそそぐのに窒息を感じていたが、三人の湯がばかに長いのを思い出して、心配のあまり、様子をうかがいに来て見るとこの有様で
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
轟然ごうぜんたる爆音と、濛々もうもうたる白煙が、サッと部屋の空気に流れたとき、佐久間氏は無残にも脳天を打ち貫かれて、死体となって、彼の前に横たわりました。
玉振時計の秘密 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
たちまち一人の導者が僕の手をとらへて雲霧の濛々もうもうたるなかを行く、それが奈何いかにも慌てふためいた様子であり、僕に前行ぜんかうした数人の紅毛人を追ひ越して行く。
ヴエスヴイオ山 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
田の原の宿を出たのは朝の四時、強力ごうりきともして行く松明たいまつの火で、偃松はいまつの中を登って行く。霧が濛々もうもうとして襲って来る。風が出て来た、なかなかにはげしい。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
腰から下は濛々もうもうと舞いあがるほこりにかくして、歩兵の一群が過ぎると、間もなく輜重兵しちょうへいの隊列が、重い弾薬車のきしりで町並の家々をゆすぶりながら通った。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
一時に濛々もうもうと、凍えた煙を噴きあげて空間を晦冥かいめいに包んでしまった。刺すような冷気が、衣類の織りめから千本の鋭いきっさきとなって肌につき刺さった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
煙は、濛々もうもうとして、生物のように、天井へ突撃し、柱、襖を這い上って、渦巻きおろして来ると、炉の中の火が、燃え上って、部屋の中が、明るくなった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
勢い込んで駈け出そうとするのを、母は呼び止めて何事をか囁き示すうちに、日もようやく暮れかかったらしい。例によっ濛々もうもうたる山霧がうしおの如くに湧いて来た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
どしんどしんと物凄ものすごい大乱闘でも行われているような音が聞えて、そのために階下の部屋の天井板が振動し、天井のちりが落ちて階下はいつも濛々もうもうとしていた。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして、この濛々もうもうたる蒸気と臭気とにして、ドーッと音がすれば、それは、汚物が流れ出した証拠である。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
奴国の陣営は竹のはじける爆音を交えて濛々もうもうと白い煙を空に巻き上げた。長羅は全軍を森の傍まで退却させた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
と、途端にその熱い湯気がはだけた腕に濛々もうもうと触れたので、少し無理をしたと見えその拍子に鍋からつるの片方が外れた。そして鉄の鋳鍋いなべは落ちて微塵みじんくだけた。
右うでのない左膳の右横から、声もかけず拝みうちに撃ちこんだので、防ぎ得ず左膳、血けむり立ててどうッ! そこに倒れた……と見えたその濛々もうもうたる昇煙は。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
此の日余烟濛々もうもうとして襲い、夫人上﨟じょうろう達は恐れまどって居るのに、義政は自若として酒宴を続けて居たと云う。こうなれば、義政も図々しい愉快な男ではないか。
応仁の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そして、あとには、濛々もうもうとして、黒煙こくえんいきづまるほど、ちこめて、電燈でんとうかげでうずをいていたのです。
しかも明るくひろくうち開けた上流の空の、連峰と翠巒すいらん濛々もうもうたる田園の黄緑こうりょく、人家、煙。霧、霧、霧。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そして誰かがひょっと見たら、二人とも、部屋じゅうに濛々もうもうと立ちこめた煙草のけむりがくるくると渦巻くのに、すっかり心を奪われているように見えたかもしれない。
主客が飲み且つ食う時に煙草タバコを盛んに吹かしたので、室内は煙で濛々もうもうかすむくらいになっていた。
確に昼過ぎまで、濛々もうもうと出ていた各会社の幾千本の煙筒からは申合せたように煙が出ておらない。
空中征服 (新字新仮名) / 賀川豊彦(著)
その部屋には殆ど何の什器じゅうきもなくって、机の上に原稿紙があるのと火鉢の傍に煙管が転がっているばかりであった。障子を開けるといつも濛々もうもうたる煙の中に坐っていた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ミルクやクリームの鉢もそなわり、今わたしが数えあげたように、一切がっさい混沌こんとんとしており、しかもその真中からは大きな茶わかしが濛々もうもうたる湯気をまきあげている。